陸奥奇勝図巻:池大雅の世界

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池大雅は寛延元年(1748)馬歯二十七の年に江戸へ赴き、足を伸ばして松島に遊んだ。その翌年、今度は金沢に遊んだが、その折に金沢藩士小堀永頼の願いに応じて、松島の風景を図巻の形にして描いた。図巻は長さ八メートル半に及び、そこに松島の遠景を、水墨を主体に、ところどころ淡彩を交えて、パノラマ模様のようにして展開して見せた。

そのパノラマには、右から左に向かって、雄島、五大堂、大悲閣、遠南峡が連続した光景として描かれているが、これらが一定の地点から見た実景なのかどうか、それとも大雅が、頭の中にあるイメージをつなぎ合わせたものなのかどうか、はっきりとはわからない。絵をそのままに見れば、あたかも実景のようにも見える。(31.5×853.2cm 紙本淡彩)

これは、雄島の眺め。雄島は、松島の島嶼群のほぼ中央に位置する。五大堂から見ると、左手になるが、手前の島にはばまれて見えないはずだ。

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これは五大堂。松島観光の拠点となるところで、海に突き出るようにして立っている。この図柄は、空中から見下ろしたようになっている。

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大悲閣というのは、小高い丘のうえにある観音堂である。

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遠南峡とあるが、松島のどのあたりにあるのか、よくわからぬ。

・十便十宜図:池大雅と与謝蕪村の競作 





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壺斎様
 金沢藩士小堀永頼との問答で、松島の素晴らしさを説明して欲しいと言われ、これを絵にするとこうなってしまった。全部素晴らしいんだと言わんばかり。

 芭蕉翁が松島や ああ松島や 松島や と詠んだ句は斬新である。
 池大雅のこの長大な絵も斬新である。歩いていけば、視点はかわる。かまわず気にいったところは全部表すのだ、こうして新しい絵の模索が行われるのであろう。
 2017/8/7 服部

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