小林秀雄の西行論

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小林秀雄には、何にでも首を突っ込んではわけのわからぬことを書き散らす癖があったが、西行論もその一例である。

「西行」と題した一文を小林は、新古今集所載の次の歌への言及から始める。  
  こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮
これは三夕の一つとして知られ、百人一首に入っている「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」とともに西行の代表的な歌として人口に膾炙してきたものである。筆者はこれを(西行のほかの歌に比して)たいした歌だとは思わぬが、それは脇へ置いといて、小林はこれを西行に相応しい優れた歌だとしている。その理由と言うのが面白い。あの時代の和歌の第一人者である藤原俊成が褒めたからだと言いたいようなのである。西行は俊成に判詞を依頼した「御裳濯川歌合」の中で、この歌を「大方の露には何のなるならん袂に置くは涙なりけり」とあわせて載せたところ、俊成が「鴫立沢のといへる、心幽玄に、姿及びがたし」といって褒めたのであるが、小林はそれを根拠として、これが非常に優れた歌だと言いたげなのである。その挙句に、「三夕の歌なぞと出鱈目を言ひ習はしたものである」と言って、この歌を三夕のほかの歌と比較するのが出鱈目に思えるほど、優れた歌だと断定するわけである。

だが、俊成が勝をつけたのは、この歌ではなく「大方の」のほうだし、俊成はそれを自分で編集した勅撰集「後撰集」にも採用しているから、そちらのほうを高く評価していたに違いない。不思議なことに小林は、そういう事情には一切考慮を払わない。「こころなき」の歌に心を打たれて、余計なものが目に入らないと言った風情だ。小林は、この歌のどこが優れているのか、その根拠も示さない。ただ和歌の権威俊成が褒めているくらいだから、自分が余計なことを言わずともわかるだろう、というような態度である。

筆者が思うに、この歌(こころなき・・・)は、西行が僧であることを考慮しないとわからない。この歌はある感動を歌っているのだが、西行がそんなに感動したわけは何なのか。そこには、西行が僧の身でありながら風景に感動したという、業のようなものが介在している。僧となったからには、この世のしがらみはもとより、風景に深く感動するような俗な生き方とも無縁になるというのが、西行の時代の仏教者の常識だった。その常識にかかわらず、僧である自分がなにげない風景に深く心を動かされてしまった。そこに西行は出家の身としてある種の恥ずかしさを覚えたのだ。その恥ずかしさが、この歌に独特の風情を添えている。そういうことを一切度外視して、この歌をただ人間の感動を素直に読んだものだと受け取るだけでは、読み手として深い感動は生まれてこないだろう。

小林の批評のスタイルは、対象とする人物に直に向き合うことが大事だという理由で、対象をその生きた時代背景や彼が属する文化的伝統から切り離して論じることだ。だから非常に抽象的になる。こういうやり方は、対象と批評者が同じよう時代背景や文化的伝統を共有する場合には、比較的ぼろが出ない。しかし西行のような十世紀近くも昔の人間を取り上げる場合には、西行が生きた時代背景や西行が属している文化的伝統(ここでは和歌の伝統)を踏まえなければ、議論は上滑りになるだけだ。小林がこの小論で行っているのも、そうした上滑りな議論であることは、上述したことからも伺える。西行の気持の細かい襞までは、小林がいかに情緒豊かな人間であっても、到底伺いえない。それを理解するにはやはり、西行を彼の生きた時代や彼の属した文化的伝統を参照しなければならぬ。

ところで小林は、西行の西行らしいところは自意識の強さであり、その自意識の内実は人間孤独の観念だといっている。しかして言うところの自意識とか、孤独の観念の内実がどのようなものなのか、それについては、小林は何ら言うところがない。だから読者は、小林は自分自身の自意識やら孤独の観念を西行に投影しているのではないか、と考えたくなるし、それはそれで自然なことだと思うのだが、小林は取って返した手で、「僕は、そうした現代人向けに空想された人間西行とか西行の人間らしさとかいふものを好まぬ」とも言う。つまり一方では西行の自意識や孤独の観念は、かならずしも古代人に特有のものだとする必要はないと言いながら、もう一方では、西行は現代人がそう簡単に理解したつもりになって満足するような安っぽい人間ではないと言っているわけだ。

西行が二十三歳の若さで出家したことは、西行なりの自意識や孤独の観念の働いた結果だと考えられぬでもないが、この点について小林は、西行が出家に際して読んだ歌を引き出して、それらは「自ら進んで世に反いた廿三歳の異常な青年武士の、世俗に対する嘲笑と内に湧き上がる希望の飾り気のない鮮やかな表現だ」と評している。小林としては、西行はすでに廿三歳の若さにして自意識の異常な高まりと孤独の観念に襲われ、その結果「世俗に対する嘲笑と内に湧き上がる希望」を感じ取ったということになるのだろうが、嘲笑と希望とがどういう具合に西行の中で共存したのか、それについて小林はなにも触れない。それ故こんな言葉を聞かされた読者は、そこに小林の粗末な言葉遊びしか見て取ることができないわけだ。

ここでは、自意識とか孤独の観念とかいう言葉を、小林がどのような意味合いで使っているのか、については深く追求しない。いずれにしてもこういう言葉が日本語の中で有意味に使われるようになるのは、明治維新以降のことだ。翻訳語の一種と言ってよい。西行が生きた十世紀も前の時代には、そんな言葉は使われなかったし、したがってそういう言葉で表現されるにふさわしい事柄、つまり人間の自意識とか孤独の観念とかいったものの内実もなかったといってよい。それ故、そういう言葉と西行とを結びつける手がかりのようなものも見当たらないと言ってよいだろう。そういう本来結びつきようのないものを、小林はあえて結び付けようとする、そんなふうに伝わってくる。小林の議論が空転しがちなのは、そのためだ。





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壺斎様
 こころなき身(僧侶、無情の身)が風景に心動かすようでは、なさけないと西行は恥じている。それ以上にこの鴫たつ沢の夕暮れは感動してしまう風景なのだ、と壺斎様は評論されているように思いましたが、間違っていたらお許しください。なるほどとおもいました。
 私は、秋の夕暮れは音もなく寂静の「空」の世界にあって、突然鴫が飛び立ち、風景が「色」に転じた、空即是色の世界を体感したのではないか、それを西行は「あわれ」と詠んだのではないかと愚考しました。
 
 小林秀雄の評論は何やら難しい言葉を並べたりしてあって、胡散臭いところがあると思っていましたが、壺斎様の論考ですっきりいたしました。
 2016/8/13 服部

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