丹下左膳余話百万両の壺:山中貞雄

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丹下左膳シリーズはちゃんばら映画の定番として、戦前から戦後にかけて夥しい数の作品が作られた。左膳を演じた俳優の数も、この種のシリーズものとしては群を抜いて多い。筆者などは、団塊の世代の一員として、大友柳太郎の演じる左膳を、ことさらかっこよく感じたものだ。しかし、全時代を通じて最も人気の高かった左膳役者と言えば大河内伝次郎だろう。大河内伝次郎は、無声映画の時代から派手な立ち回りで左膳を演じ、トーキー時代になっても、「シェイはタンゲ、ナはシャジェン」というあの伝説的な台詞回しで一世を風靡した。

「丹下左膳余話百万両の壺」は、戦前日本映画界の鬼才といわれた山中貞雄が監督したものだ。左膳シリーズの中では異色の作品で、喜劇仕立てになっている。左膳の生みの親である林不忘が、これでは左膳の剣豪としてのイメージが台無しだといって抗議したくらいだ。しかし、その喜劇的な雰囲気がこの作品に独特の輝きをもたらし、その結果この映画は日本の映画史上有数の傑作として数えられるようになった。

この映画の中の左膳は、揚弓屋の居候ということになっている。そこへひょんなきっかけで小さな男の子が養われることになる。その男の子は壺を持参してやってくる。その壺はコケ猿の壺と言って、百万両の宝を隠してある場所の手がかりがあるという。その壺を求めて、さまざまな連中が暗躍する。その騒ぎのなかに左膳と男の子も巻き込まれ、奇想天外な事件が次々と沸き起こる。映画はその奇想天外な場面をこぎみ良く展開することで、喜劇としての独特の晴れやかな感じを演出するのである。

この映画の中の左膳は、あまり剣豪らしいところがない。甲高い声でわめき散らすし、相手をバッタバッタと切り殺すわけでもない。むしろ、へんな行きがかり上、手合わせの相手にわざと負けるようなシーンも出てくる。もっとも意外なのは、左膳シリーズでは定番になっている名乗りの場面がないことだ。この映画の中の左膳は、自分の名を名乗ることなく、いきなり相手に切りつけるのである。

左膳らしいところがるとすれば、道場破りのシーンで相手の門人たちを相手に手合わせするところだろう。隻眼隻腕の左膳が、柳生源三郎の道場の門人たちを相手に木刀を振り回し、次々と倒してゆく、その技は目にも留まらぬほどである。この辺の立ちまわしは、殺陣師の手柄か、大河内の手柄か、どちらとも軍配を上げられぬほど手が込んでいて、しかも颯爽としたものである。

面白いのは、百万両の壺の所在が明らかになった後で、すぐには宝を掘り起こしにかからないことだ。急いで宝を掘り起こしてしまうと、楽しみを先に延ばす妙味がなくなる、楽しみというものは先々のために取っておくもものだ、という理屈からである。その辺がまた、悠長で面白い。

左膳が居候をしている揚弓屋の女将を喜代三が演じているが、彼女は新橋の芸者あがりでなかなか色気がある。何度か端唄のようなものを歌う場面が出てくるが、歌もまたなかなかのものだ。その揚弓屋に通う客の中に柳生源三郎もいるわけだが、これを演じた沢村国太郎が、演技はともかく声に艶があってよい。声の質は中村梅之助に非常に良く似ている。この源三郎こそは、百万両の壺のそもそもの持ち主だったのだが、それを細君がくず屋に売り飛ばしたせいで、それを取り戻す為に大変な目にあうハメになったというわけなのである。

こんなわけでこの映画には、左膳シリーズのほかの作品のように、極悪非道の悪人を相手に左膳が正義の味方として立ち向かうというような単純な構図にはなっていない。悪人が出てこないわけでもないが、それは話の大筋から見れば脇役のようなものだ。話の大筋からいえば、百万両の壺のほうが圧倒的な存在感をもっている。その圧倒的な存在である壺をめぐって、左膳はじめさまざまな人間たちがキリキリ舞いさせられるというのが、この映画の妙味なのである。





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