アメリカにおける原住民(インディアン)の虐殺を追跡したベンジャミン・マッドリー(Benjamin Madley)の著作「アメリカン・ジェノサイド(An American Genocide)」が、驚きを以て受け止められている。この本は、1846年のカリフォルニアのアメリカへの編入から1873年までの二十数年の間に、カリフォルニアで起きたインディアン虐殺の実態についての記録である。この期間にカリフォルニア内のインディアンの数は15万人から3万人にまで劇的に減った。そのほとんどは、白人によって虐殺された。虐殺した者は、自警団から州兵、そして連邦政府軍にまでわたる広範なタイプの人々だったが、中心になったのは自警団と州兵だったようだ。
これまで、アメリカにおけるインディアンの虐殺については、詳細な研究は無いに等しかった。あっても部分的なもので、批判的な視点は弱く、インディアンの排除は必要でやむを得ないものだった、という視点から書かれていた。白人という強者がインディアンと言う弱者を虐殺したのではなく、両者が対等の立場で戦った、いわば文明間の戦争だったというような扱い方が主流だった。それをマッドリーは、白人という圧倒的な強者がインディアンという無力な弱者を相手に、無慈悲に虐殺したといい、そうした意味では、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺やアルメニアにおける虐殺と何ら異なるところはないと結論付けた。
アメリカのような言論の自由が尊重される社会でも、このように一方的にアメリカの白人を悪者にするような見方は不人気と見えて、マッドリーを「反米分子」として罵倒するものもいるそうだ。そうした連中にとっては、マッドリーのいうような虐殺はなかったのだということになる。そういう点では日本の歴史修正主義者と似たところがある。違うのは、短期間にインディアンの人口が劇的に減少したという事実は認めることで、これは南京虐殺など全くなかったと頭から決めつけてかかる日本の歴史修正主義者とは違う。彼らはインディアン殺害の事実は事実として認めた上で、それは虐殺ではなく、白人とインディアンとの人種間の戦いの結果だったというわけである。
というのも、アメリカではいまでも対インディアンの戦いにおける白人の英雄を褒め称える伝統がある。それは、インディアンとの戦いが正義の戦いだったという前提のもとで成り立つ話で、実際は対等な立場同士の戦いではなく一方的な虐殺だったということになると、こうした英雄伝説は根拠がなくなることとなる。
そもそもアメリカの軍隊というのは、インディアンを相手に戦うことを目的に作られたものだ。アメリカの白人はインディアンに比べれば、武器の点では圧倒的に優位だったが、兵士一人一人の勇気という点では、インディアンより劣る場合が多かった。一対一で戦うと、インディアンに勝てる自信がない。だからインディアンと戦う時には、圧倒的に優位な体制を整えてから戦う。その場合の基準は、インディアン一人に対して、白人三人というものだった。三人でかかれば、どんなに強い相手でも、こちらは致命的な打撃を受けずに勝てる見込みが高い。
こうしたアメリカ流戦術は、その後の米軍にも受け継がれ、たとえば対日戦では、日本軍の兵力の三倍の態勢を整えなければ決して戦いを挑むことはなかった。大戦末期に南洋諸島で繰り広げられた戦いでアメリカが勝ったものは、みな三倍以上の戦力を以て日本軍を叩いた結果である。同等の兵力で戦った場合には、そのほとんどで日本軍が勝っている。
ちょっと脇道に逸れてしまったが、アメリカにおけるインディアン虐殺の実態が、この研究をきっかけ広範に行われるようになることを期待したい。
(参考)California Slaughter: The State-Sanctioned Genocide of Native Americans By Alexander Nazaryan
壺斎様
日本において先住民を大量虐殺ジェノサイドの歴史はあったのだろうか。朝鮮半島から大量にやってきた渡来人が先住の縄文人を征服、混血してできあがった弥生人が倭国の主人公ではなかっただろうか。殺戮よりむしろ混血を選択し、人工を増やし、稲作をすすめ生産力の確保を優先したのではなかろうか。
6世紀末、中国大陸に現れた強大な帝国隋が誕生したことにより、朝鮮半島の国々、そして倭国は安全保障上の対応を迫られることになった。高句麗、百済、新羅三国はそれぞれのやり方で国づくりを行い、強兵を勧めた。倭国は隋の律令制をとりいれ、帝国の道を歩き始めた。
しかし、隋のあとの唐は新羅と手を組み、百済を滅ぼした。倭国は強大な唐の侵略に怯え、百済再興という手段を講じて、自国の安全を確保しようと考えた。百済復興軍がたちあがり、倭国は三万の軍を朝鮮半島におくった。しかし、大軍と強力な軍艦を保有する唐・新羅連合軍に完膚なきまでに敗れ去った。
その後倭国は、唐の脅威に怯えながら、専守防衛に努めた。戦争に敗れた倭国へ、半島から大量の難民が押し寄せるのであるが、倭国に定住させ、関東の開発を進めた歴史がある。そして、天皇中心の律令国家を完成させた。日本には大量虐殺の歴史はなかったのではなかろうか。
軍隊は殺人を行うために訓練された集団である。敵地にでれば、無能な指揮官のもとでは何がおこるか予想はつかない。人は、生死の境におかれたら冷静におれるとは思われない。人間が人間であるためには、戦争を避けなければいけないことは真理であると思うのだが・・・
2016/8/23 服部