蘭亭修禊図屏風:池大雅の世界

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「蘭亭修禊図屏風」は、書聖といわれた王羲之が催した有名な詩宴「蘭亭修禊」をイメージ化したものである。王羲之自身はこの詩宴の様子を「蘭亭序」という文にあらわし、またそれを書とした。大雅は、その「蘭亭序」に書かれた内容をもとに、この作品を描いたわけである。画面左上に、その文章を写している。

この詩宴は永和九年(353)に、浙江省杭州の郊外山中にある蘭亭で催された。四十一人の名士が集まり、禊を行った後、曲水に酒盃を浮かべ、その流れるさまを見ながら詩を賦した。詩ができなかった者は罰杯を飲まされた、と蘭亭序にはある。

大雅は、右上から左下方向へ、ジグザグに流れる曲水を描き、その両側にごつごつした岩塊を描いている。川の上流には蘭亭が立っており、その遥かな感じが、手前の景色の明確な輪郭と対比して、独特の遠近感をかもし出している。(157.0×359.5cm 紙本淡彩)

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これは蘭亭の部分を拡大したもの。蘭亭の前の広場には大勢の人々が集まり、曲水の流れに酒盃を浮かべている。この酒盃が流れ去る前に詩を賦すというのが、この宴会の洒落た決まりなのである。






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壺斎様
 呉越が戦った会稽山にある蘭亭で曲水の宴を催した書聖王羲之の蘭亭の序は有名である。後世の書家は必ずといっていいほどこの書を学んだ。
<四十一人の名士が集まり、禊を行った後、曲水に酒盃を浮かべ、その流れるさまを見ながら詩を賦した>
 これらの詩に序を述べたこの叙文は酔って書いたのだが、酔ってない時に何度書いても、これを上回るものがなかったという。この序文には王羲之の死生観が述べられているという。
 日本書記の顕宗天皇(485年頃)が曲水の宴を催した、と三度も記載されている(全現代語訳日本書記 宇治谷氏著)。日本の古代からこの曲水の宴が知られ、実際に行われていたらしい。
 
 池大雅のイメージした曲水の宴はこの絵のように華やかであったのだろう。会稽山という山の中であり、多くの名士が集っていることを表現するのに苦労したのではなかろうか。
 2016/8/24 服部

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