鹿児島県知事の反乱

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これを謀反というべきか、反乱というべきか、迷うところだが、やはり反乱というべきだろう。謀反では、明智光秀が思い浮かんでくるように、無謀な反逆というイメージが強いのに対して、反乱には正義の戦いというイメージがある。これはやはり、正義の匂いがするので、反乱という言葉がふさわしい。筆者が何を言っているかというと、それは川内原発の停止を正式に求めた鹿児島県の三反園知事の行為のことだ。

三反園知事の求めに対して、九州電力の社長は鼻先でせせら笑ったらしいが、それは安倍政権のお墨付きをあてにしてのことだ。我々は安倍政権の全面的な後ろ盾を得て川内原発の再稼働に踏み切った。地元とはいえ、一県知事の求めにおいそれと従ういわれは毫もない、といった不遜な思いが、そこからは伝わって来る。

これに対して、三反園知事の背後には、川内原発周辺の人々だけでなく、鹿児島県中の人々がついている。薩摩おごじょであった(いまは亡き)筆者の母親も、三反園知事の行為を、満身の賛意を以て応援するに違いない。

九州電力を後ろから支えている安倍晋三総理大臣は長州の人間だ。その長州の人間が、自分の国元には原発を作りもさせないのに、薩摩にある川内原発は、地元の強い反対を無視して再稼働させている。これは日本の近代化を推進してきた薩長二大勢力の片割れである薩摩人としては見逃すわけにはいかない。大体原発と共存させられること自体があやういのに、それを強制する徒輩が長州人とあっては、なおさら我慢できぬ。鹿児島県の人々の殆どはそんなふうに思っていることだろう。

長州藩は、維新後武家の殆どが東京に出てきて日本の権力中枢を牛耳ってきた。それに対して薩摩藩は、武家の多くが西郷さんとともに官軍と戦い、敗れたおかげで、権力中枢からはじき出される者が多く、維新遂行の中心であったにかかわらず、とかく長州の風下に立たされることが多かった。原発についても、長州は東京同様大事にされたおかげで立地されることがなかったのに対して、薩摩には、鹿児島とは目と鼻の先の、すぐ近くに作られてしまった。このまま川内原発の稼働を許し続けては、いつ何時とんでもない事態に巻き込まれるやもしれぬ。そうなったら、薩摩はこの日本の地図から消えてしまうかもしれぬ。そんなことはとても許せることではない。

こんな思いが鹿児島県の人々を捉えているに違いない。これは、長州と薩摩との百年戦争の一環である、と。





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