2016年9月アーカイブ

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昨夜来風雨の音すさまじくしばしば眠りを破られたが、夜明け過ぎには勢いが弱まった。起床して朝風呂を浴びる。すこぶる気持ちがよい。髭を剃り、八時前に一階の大広間に下りて朝食をとる。バイキング方式だ。よく眠れましたかと熟女たちに聞くに、雨の音がうるさかったけど、十分睡眠を取ることができましたという。では今日も頑張って歩きましょう。

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「手紙を書く女と召使」は、手紙を読んだり書いたりする女を描くことで、手紙にこだわり続けてきたフェルメールにとって、手紙をモチーフにした最後の作品である。このモチーフでの最後の作品とあって、それまでに現れていた要素が繰り返され、いわばこのモチーフの絵の集大成のようなところがある。

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ルイス・ブニュエルがサルヴァドーリ・ダリと共同で作った映画「アンダルシアの犬(Un Cien Andalou)」は、映画におけるシュル・レアリズム宣言だと言われている。この映画によってルイス・ブニュエルはシュル・レアリストの映画作家と認められ、ダリはシュル・レアリストの芸術家としてデビューした。もっとも、ダリはその後もシュル・レアリズムと密接な関係を持ち続けたが、ブニュエルのほうはかならずしもそうではなかった。この作品に続く「黄金時代」はまだシュル・レアリズムへの傾斜を感じさせるが、その後は次第にシュル・レアリズムから遠ざかり、戦後はガチガチのレアリズム作品を作るようにもなった。

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この写真(Barbara Kinney--Hillary for America)は一見すると異様に見える。右端で手を振っているのは大統領候補のヒラリー・クリントン。どうやら彼女は遊説先で大勢の聴衆に語りかけているらしいが、すべての聴衆が彼女に背を向けている。事情が分からないと、聴衆がヒラリーを拒絶しているようにも見える。

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バスは四時近くに湯元温泉に着いた。湯守釜屋という旅館に投ずる。かなり古い旅館で、あたり一面から館内まで硫黄の匂いが充満している。硫黄の匂いが嫌いな人にはかなり厳しい条件だ。我々はさほど気にしないので、部屋に案内されるとまずお茶を飲み、それから風呂につかることとした。T女とY女はその前に湯の湖の辺を散歩してくるという。明日そのあたりを歩くのだから、なにもいま行かなくても、と言ったが、明日は明日、今日は今日よといって出かけていった。小生は湯を浴びに行くことにした。

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(東京橋場渡黄昏景)

橋場の渡しは、隅田川に多くあった渡しの中でももっとも古く、かつ利用度の高いものだった。場所は、現在白髭橋のあるところのやや下流あたり、浅草側の橋場と向島側の梅若塚を結んでいた。業平が東下りの途中で隅田川を渡ったところであり、また謡曲「隅田川」で狂女が船に乗って向島に渡るのもこの渡しであった。

「政治的ロマン主義」は、カール・シュミットの始めての本格的な政治学論文である。これが書かれたのは1919年だが、その時点でロマン主義を取り上げたことに何か特別の事情があるのか、21世紀の日本の読者にとっては腑に落ちないところがある。しかもこの論文は、アダム・ミュラーとかフリードリッヒ・シュレーゲルとか、政治理論の上でも、またほかのいかなる精神史的な歴史においてもほとんど関心の対象とならないような人物について、延々と退屈極まる論及を行っている。そうした退屈な論及が、シュミットがこれを書いた1919年のドイツにおいては、ことさらに意義を持っていたかと言えば、どうもそうでもないらしい。にもかかわらずシュミットは、なぜこんな文章を書いたのか。

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豊穣たる熟女の皆さんと久しぶりの温泉旅行を楽しんだ。奥日光の湯元温泉に一泊して硫黄の湯を堪能しながら、日光の世界遺産を見物したり、戦場ヶ原を散策しようという欲張りな計画だった。四人とも寄る年波に体力の限界を感じ、万事計画通りには運ばなかったが、なんとか無事に歩き終えることができて、それなりに充実したハイキング旅行にもなった。雨もよいの予報だった天気のほうも、例の晴女の効験のおかげでひどい目にあわずに済んだ。まあまあ楽しい旅行だったわけだ。

 客も主もともに醉ごゝちなるとき、眞女子杯をあげて、豐雄にむかひ、花精妙櫻が枝の水にうつろひなす面に、春吹風をあやなし、梢たちぐゝ鶯の艶ひある聲していひ出るは、面なきことのいはで病みなんも、いづれの神になき名負ふすらんかし。努徒なる言にな聞き玉ひそ。故は都の生れなるが、父にも母にもはやう離れまいらせて、乳母の許に成長しを、此の國の受領の下司縣の何某に迎へられて伴なひ下りしははやく三とせになりぬ。夫は任はてぬ此の春、かりそめの病に死に玉ひしかば、便なき身とはなり侍る。都の乳母も尼になりて、行方なき修行に出でしと聞けば、彼方も又しらぬ國とはなりぬるをあはれみ玉へ。きのふの雨のやどりの御惠みに、信ある御方にこそとおもふ物から、今より後の齡をもて御宮仕へし奉らばやと願ふを、汚なき物に拾て玉はずば、此の一杯に千とせの契をはじめなんといふ。豐雄、もとよりかゝるをこそと乱心なる思ひ妻なれば、塒の鳥の飛び立ばかりには思へど、おのが世ならぬ身を顧みれば、親兄弟のゆるしなき事をと、かつうれしみ、且つ恐れみて、頓に答ふべき詞なきを、眞女兒わびしがりて、女の淺き心より、嗚呼なる事をいひ出でて、歸るべき道なきこそ面なけれ。かう淺ましき身を海にも沒らで、人の御心を煩はし奉るは罪深きこと。今の詞は徒ならねども、只醉ごゝちの狂言におぼしとりて、こゝの海にすて玉へかしといふ。

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溝口健二はサイレント時代に大家としての風格を示した。彼のサイレント映画は新派狂言を映画化したものが殆どだ。それらは彼の属していた日活向島撮影所のカラーを反映していた面もあったようだ。残念なことにそれらの殆どは失われてしまったが、「滝の白糸」については、現存する痛んだフィルムをもとに編集されたデジタル・リマスター版を見ることができる。これは「カチューシャ」のメロディをバックに、字幕と弁士による読み上げをともなったもので、わかりやすい。

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(東京新大橋雨中図 明治九年)

清親が明治九年に松木から刊行した東京名所図シリーズ五点のうちの一点。清方の作品のなかではもっとも有名なもののひとつである。

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ダンテとヴィルジリオが汀に佇んでいると、西の水平線の彼方から何かが勢いよく近づいてくる。よく見るとそれは、地上の死者たちの霊を煉獄へ運ぶための船だった。その船は天使が操縦しているが、彼は櫂で船を漕ぐのではなく、自分の羽をはばたかせて船を進めるのだった。それ故、船はすさまじい速さで進むわけなのである。

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(東京銀座街日報社、明治九年)

銀座通りに洋風の建物がつながる街が形成されたのは明治六年以降のこと。前年の火事で古い街並が焼けてしまったことと、開通したばかりの新橋駅の駅前通りとして洋風の景観を整備しようとする意向と、この二つの事情によって作られた街だ。清親が東京名所図のためにスケッチした明治九年頃には、大分整備が進んで、近代的な街並の景観を完成させつつあった。

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ヴィルジリオは小カトーの指示に従い、煉獄山の麓の海辺へとダンテを誘い、そこでダンテの顔を水で浄めさせた後、イグサの茎を抜いてダンテの腰に巻きつける。この時、二人は地獄を出て以来初めて太陽の上るところを見る。

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「レースを編む女」は、「牛乳を注ぐ女」と同様家事にいそしむ女性の姿を描いたものである。レースに限らず布を編んだり裁縫をしたりは、当時のフランドル社会では最も女性に相応しい仕事とされ、それらにいそしむ女性の姿は非常に素晴らしいと受け取られていた。そのような社会的背景があったために、当時はこのような主題の風俗画が多く製作された。フェルメールのこの絵も、そのような時代の動きを反映したものと考えられる。

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斎藤寅次郎は日本の喜劇映画の草分けで、サイレント時代に夥しい数の喜劇映画を作った。その殆どは失われてしまったが、現存する作品などを見ると、アメリカのスラップスティックコメディを思わせるような軽妙なドタバタ喜劇といった趣向のものだったようだ。山田洋次の「キネマの天地」のなかで、斎藤寅次郎の演出ぶりの一端が紹介されているが、それを見る限り、かなり洒落た感覚の持ち主だったと思われる。

Alt-Rightの Alt は Alternative の略だ。だから Alt-Right とは、もう一つの選択肢としての右翼、新しい右翼運動とでもいったらよいのだろう。アメリカではこの右翼が最近すさまじい勢いで台頭し、ドナルド・トランプを支持しているという。トランプの破竹の勢いの影には、彼らの運動が多分に影響しているらしい。

小林清親は、光線画と呼ばれる画法を駆使して明治初年の東京を版画という形で表現した作家である。幕末から明治初年の江戸―東京を絵画の世界に定着した画家としては、安藤広重や河鍋暁斎という先輩がいたが、清親は自分なりの独特の画法で、明治初年の東京、それは徳川時代の田園的な雰囲気を残した江戸の名残としての東京から、西洋風の近代的な都市へと変貌しつつあった東京だが、そうした過渡期の東京の姿を、如実に見える形で残したことは、絵画の歴史の上のみならず、日本の歴史の上でも貴重な貢献であったといわねばならない。

ルソーの社会契約論における全体主義的傾向を指摘する議論は結構根強く行われているが、カール・シュミットはそうした議論の先駆者といってよい。彼のルソー批判は、全体主義を批判する議論の中では、いまだに強い論拠として引用され続けている。

安倍政権が、高速増殖原型炉もんじゅの廃炉に向けて動きだしたようだ。もんじゅは1994年の初臨界以来一度もまともに機能したことがなく、今後も機能する見込みがない。原子力規制委員会が、運転の条件としている責任体制の整備についても見通しが立っていない。そんななかでこれ以上もんじゅを存続させることは、国民の理解が得られないと判断したようだ。

 女、いと喜しき御心を聞え玉ふ、其の御思ひに乾<ほし>てまいりなん。都のものにてもあらず。此の近き所に年來住みこし侍るが、けふなんよき日とて那智に詣で侍るを、暴なる雨の恐しさに、やどらせ玉ふともしらでわりなくも立ちよりて侍る。こゝより遠からねば、此の小休に出で侍らんといふを、強<あながち>に此の傘もていき玉へ。何の便にも求めなん。雨は更に休みたりともなきを。さて御住ゐはいづ方ぞ。是より使ひ奉らんといへば、新宮の邊にて縣の眞女兒が家はと尋ね玉はれ。日も暮れなん。御惠のほどを指し戴て歸りなんとて、傘とりて出づるを、見送りつも、あるじが簑笠かりて家に歸りしかど、猶俤の露忘れがたく、しばしまどろむ曉の夢に、かの眞女兒が家に尋ねいきて見れば、門も家もいと大きに造りなし、蔀おろし簾埀れこめて、ゆかしげに住みなしたり。眞女子出迎ひて、御情わすれがたく待ち戀ひ奉る。此方に入らせ玉へとて奧の方にいざなひ、酒菓子種々と管待しつゝ、うれしき醉ごゝちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明て夢さめぬ。現ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食も打ち忘れてうかれ出でぬ。

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童話「風の又三郎」は、宮沢賢治の死の翌年(1934年)に刊行された。これは草野心平の努力による賢治全集刊行の一環としてなされたことで、この全集によって、生前無名に近かった賢治は一躍注目を浴びた。中でも「風の又三郎」は賢治の童話を代表するものとして、多くの日本人に受け入れられた。島耕二はこの童話を1940年に映画化したが、この映画によって「風の又三郎」人気にさらに拍車がかかったといわれている。映画評論家の佐藤忠男は、この映画が「風の又三郎」を世に知らしめたというような言い方をしているが、映画が童話を有名にしたのか、童話の人気の高さが映画化を促したのか、筆者には判断がつかない。

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写真(ロイターから)の男女が見つめ合っているように見えるのは、互いに愛し合っているからではない。そうではなく睨み合っているのだ。1973年にチリで起きた軍事クーデターに抗議する集会が先日サンティアゴで催されたが、これはその折に目撃された光景。抗議集会には大勢の機動隊員が投入されたが、その機動隊員に向かって集会に参加した少女が、抗議の意思を表明するために睨みつけたというのである。それに対して機動隊員も睨み返したが、暴力沙汰に発展することはなかったという。

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小島湾は、瀬戸大橋児島・坂出ルートの本州側の起点に当たるところにある。いまの岡山市の南側にあたる。古来風景の美しいところとして知られていた。池大雅は40歳代の半ばに友人の韓天寿と共に山陽を旅したことがあったが、この絵はその際に描かれたものだろうと推測される。

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ダンテとヴィルジリオは、地獄を潜り抜けた後に、地球の反対側に出た。そこには煉獄の山が聳えていて、それを上ると天国に通じると言われている。二人は、この煉獄の山を上り、ついには天国へ到るべく、新たな旅を始めるのである。

読売(9月18日発ウェブサイト記事)によれば、アメリカ政府の政策決定に強い影響力を持つ政策研究機関「外交問題評議会」が、オバマ後の新政権を対象に、北朝鮮への空爆を勧める呼びかけを行ったそうだ。北朝鮮が核兵器の小型化と弾道ミサイルの技術を向上させていることへの強い危機感が反映されているとのことだ。もしもアメリカの新政権がこの提言通り北朝鮮の空爆に踏み切れば、東アジア情勢は一気に液状化するだろう。

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「恋文」も、「女主人と召使」同様、女主人と彼女のもとに手紙をもたらした召使をモチーフにしている。「女主人」のほうは、テーブルを前にして手紙を書いている途中の女主人のもとに、召使が届いたばかりの手紙、おそらく恋文を手渡そうとしているところを描いているが、こちらは暖炉のそばに腰掛けてマンドリンを弾いている最中の女主人に、召使が手紙を手渡した瞬間を描いている。

最近は日本でも「反知性主義」という言葉が流行っているが、それは「知性に反した愚かな言動をする人たち」つまり愚者という意味で使われている。ところがこの言葉はもともとアメリカで言われたもので、その当のアメリカにはこういう意味合いはないようだ。森本あんりによれば、この言葉は反権威主義というような意味合いで使われた。アメリカにはこうした反権威主義の伝統があって、それが節目ごとに勢いをもりかえし、アメリカの歴史を動かしてきた、ということらしい。

読売のウェブサイトの記事(9月17日発)によれば、過去20年間で夫の実父から精子の提供を受けた夫婦114組から、対外受精で173人の子どもが誕生していたそうだ。これらの子どもたちは、法的には夫の子とみなされるのだと思うが、生物学的にはそうではないわけで、まして道徳的にどう受け取るべきかは別の問題だ。

 いつの時代なりけん。紀の國三輪が崎に、大宅の竹助といふ人在りけり。此の人海の幸ありて、海郎どもあまた養ひ、鰭の廣物狭き物を尽してすなどり、家豐かに暮しける。男子二人、女子一人をもてり。太郎は質朴にてよく生産を治む。二郎の女子は大和の人のつまどひに迎へられて、彼所にゆく。三郎の豐雄なるものあり。生長優しく、常に都風たる事をのみ好みて、過活心なかりけり。父是を憂ひつゝ思ふは、家財をわかちたりとも即人の物となさん。さりとて他の家を嗣しめんもはたうたてき事聞くらんが病しき。只なすまゝに生し立て、博士にもなれかし、法師にもなれかし、命の極は太郎が覊物にてあらせんとて、強ひて掟をもせざりけり。此の豐雄、新宮の神奴安倍の弓麿を師として行き通ひける。

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木村荘十四の1936年の映画「兄いもうと」は、室生犀星の同名の短編小説を映画化したものだ。この短編小説は戦後も、成瀬巳喜男、今井正によって映画化されたほか、テレビドラマにもなったくらいから、日本人の気持にしっくりするものがあったのだろう。

蓮舫民主党総裁が野田元総理大臣を党の幹事長に指名した。野田元総理といえば、その後の民主党の没落と、民進党の停滞ぶりの最大の貢献者だ。民進党内では「戦犯」と呼ぶ向きもある。そういう人物が自分の過去の失敗をほとんど反省しないまま、またぞろ顔を出したと言うので、民進党内には不協和音も流れているそうだ。

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瀟湘八景は徳川時代の文人画の好みのモチーフであり、池大雅も多く手がけたが、この作品は瀟湘八景のすべてを一つの画面の中に描いた珍しいものである。どの部分がどこに相当するかは、裏に貼り付けられた大雅の書簡に記されている。それによれば、向かって右より、遠浦帰帆・瀟湘夜雨・漁村夕照・洞庭秋月・平砂落雁・山市晴嵐・遠寺晩鐘・江天暮雪ということになる。

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ダンテとヴィルジリオはついに地獄の最低部に下りてくる。そこは氷に封じ込められた空間で、夥しい亡霊たちがさまざまな格好のままで氷漬けにされている。その真ん中に一人の巨人が立って、亡霊たちを見張ったり、あるいは悪霊を口に咥えて責苦を与えている。その巨人こそは、あらゆる悪魔を従える大王ルチフェルだ。

黄金の便座

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写真(New Yorker から)は18金で作られた便座。人の意表を突く前衛的な作品で知られるマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)が制作して、グッゲンハイム美術館のトイレに設置した。美術館に置かれているからと言って、実用とは無縁の飾り物ではない。実際の用途を前提にした立派な便器だ。

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「女主人と召使」は、構図的には「手紙を書く女」と似ているところがある。どちらも、大きなテーブルを前に女が座って手紙を書いている。テーブルにかけられたクロスや女の着ている上着も全く同じものだ。女の配置の仕方が画面の前に出てきているのも共通している。一方異なっている点は、女のほかにもう一人の人物である召使が加わっているのと、女がその召使のほうへ顔を向けているところだ。

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豊田四郎が1940年に作った映画「小島の春」は、ハンセン病患者の隔離をテーマにしたものだ。瀬戸内海の長島にあるハンセン病隔離施設の医官をしていた小川正子が、前々年の秋に出版した手記をもとにしている。この手記は、小川が医官としての立場から各地のハンセン病患者を施設に隔離する経緯を記録したもので、刊行されるや大きな反響をよんだ。その反響に答える形で、一年ちょっと後に映画化された。

民進党の代表選で蓮舫氏が勝利し、民進党として初めて選ばれた女性党首となった。蓮舫氏といえば、民主党時代の事業仕訳で、スーパーコンピュータの国際開発競争をめぐり、何故一位ではなく二位ではだめなのか、二位でもよいではないか、と主張して大方の失笑を買ったことは多くの人の記憶に残っているだろう。事業仕訳の場以外でもこの主張をしているようだから、よほどナンバーツーが好きなのだろう。だが政党の党首ともなれば、ナンバーツーに甘んじてはいられないはずだ。かりにも政党として政権を目指すのなら、ナンバーワンにならねばならぬ道理だ。

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宇治の黄檗宗寺院万福寺には、池大雅の手になる障壁画や壁貼画が数十点描かれていた。万福寺は大雅が少年時代からかかわりのあった寺院で、大雅は生涯の折節にこの寺のために障壁画等を製作した。五百羅漢図もその一部で、もともと開山の間に四面ずつ向かい合って、八面の襖に描かれていた。40歳代の作品である。現在は掛軸に仕立て直されている。

カール・シュミットは、「現代議会主義の精神史的状況」のなかで、民主主義と議会主義とがかならずしも結びつかないということを主張したが、「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」という小論の中では一歩進んで、民主主義と議会主義との根本的な対立について述べている。ここでシュミットが想定している民主主義とは、民主主義の現代的な形態としての大衆民主主義のことだが、それは単純化して言えば、多数による支配の徹底ということらしい。

 時うつりて生き出づ。眼をほそくひらき見るに、家と見しはもとありし荒野の三昧堂にて、黒き佛のみぞ立せまします。里遠き犬の聲を力に、家に走りかへりて、彦六にしかしかのよしをかたりければ、なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず迷はし神の魘ふものぞ。足下のごとく虚弱き人のかく患ひに沈みしは、神佛に祈りて心を収めつべし。刀田の里にたふとき陰陽師のいます。身禊して厭苻をも戴き玉へと、いざなひて陰陽師の許にゆき、はじめより詳にかたりて此の占をもとむ。

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豊田四郎は文芸作品の映画化を得意とした。文芸作品というと漠然としているが、昭和時代にこの言葉を使うと、それには西洋かぶれの作品というイメージがまといついていた。それまでの日本の伝統的な文芸といえば、説経や講談など語り物の延長で、それを芝居にすると新派劇のようなものになった。それに対して新しい文芸作品は、洋風のハイカラさを感じさせた。豊田は映画の中にそうしたハイカラさを持ち込んだわけである。

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先日湖南省の張家界の渓谷にできたガラス底の橋についてはこのブログでも紹介したところだが、中国人はこういうものを愛するらしく、すさまじい数の人が殺到、その重みで橋がおかしくなり、わずか一週間あまりで封鎖されてしまった。だが中国人はそんなことでめげる民族ではないらしく、今度は世界一高い橋を開通させるそうだ。その橋は貴州省の西部を流れる北盤江に架けられ、その名も北盤江橋というそうだ。

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「洞庭赤壁図巻」は、日本の文人画が到達した記念碑的な作品だとの評価が高い。国宝にもなっている。大雅生前から文人仲間の話題となり、多くの文人たちがかかわりをもった。すなわち、韓天寿が題簽(九霞山樵法唐人之筆洞庭赤壁図)を、宮崎筠圃が題字(乾坤日夜浮)を、細合半斎と頼春水が跋文を、木村兼霞堂が箱書(池貸成洞庭赤壁図)を、それぞれ寄せており、この作品が文人仲間のシンボル的なものだということを表明している。

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ウゴリーノはダンテらに向かって、自分が投獄中にどんなにつらい目にあったか、夢の内容に事寄せて語る。その夢のなかでのウゴリーノは、四人の子どもたちとともに飢えており、子どもたちから自分らの肉を食うようにと勧められていた。躊躇しているうちに、こどもらは一人ずつ死んでゆき、そのたびにウゴリーノは身を裂かれるような辛い思いをする。

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フェルメールは絵の中に手紙を取り入れることが好きだったようで、手紙を読む女を二点、手紙を書く女を三点描いている。これは、手紙を書く女のうちの一点。このモチーフとしては最初のものだ。フェルメールが、手紙に拘ったのは、時代の流行と関係があるらしい。1650年代のフランドルでは、手紙を書く女をモチーフにした絵が流行したが、フェルメールはそれを意識して、1660年代に手紙をモチーフにした絵を描いたのではないか。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」は、週刊朝日に1995年11月から1年1ヶ月にわたり連載したエッセーを集めたものである。1986年に始まる長い海外生活から日本に戻ってきて、村上にとっては10年ぶりの連載エッセーだったということだ。そんなこともあるのか、日本についての文明論的な感想がけっこう多い。そういう感想は、諸外国に比較しての日本の特殊性みたいなものを指摘しているのだが、いきおい批判的というか、悪口にも聞こえる。

近年の筆者には野球の試合を見る習慣はなく、ましてや特定の野球チームのファンでもないのだが、昨夜(9月10日)はテレビの野球中継を見てしまった。広島カープ対読売ジャイアンツの試合で、カープはこの試合で勝てばリーグ優勝することになっていた。そして試合に勝って見事にリーグ優勝したのだった。実に25年ぶりの快挙だった。

 正太郎今は俯して黄泉をしたへども招魂の法をももとむる方なく、仰ぎて古郷をおもへばかへりて地下よりも遠きこゝちせられ、前に渡りなく、後に途をうしなひ、昼はしみらに打ち臥して、夕々ごとには塚のもとに詣でて見れば、小草はやくも繁りて、虫のこゑすゞろに悲し。

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山本嘉次郎は、エノケンと組んで軽快なミュージカル・コメディを作ったほか、太平洋戦争が本格化すると「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼戦闘隊」などの戦意高揚映画も作った。いづれも映画会社の商業主義に応えたものといえるが、加藤はそうした映画のほかに、当時の日本社会の現実を見据えたシリアスな映画も作った。「綴方教室」はその代表的なものである。

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「柳下童子図屏風」は八曲一隻の大画面に、粗末な橋の上から水面を覗き込む二人の童子を描いたもの。水面をはさんで、彼岸には柳の葉が垂れ、此岸には笹の葉が繁る。柳の葉は水面に影を落としているが、このような水面の描き方は、従来の日本の絵には見られないところで、大雅の独創性が指摘される。この絵をモネの睡蓮の絵の先駆的作品と言う者もある。

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もつれあいながらも、他人の頭にかじりついていた男がダンテに気づいて声をかけ自分の名を名乗る。彼はピサの執政官を勤めていたが、「ピサを敵に売り渡した罪」で投獄され、獄死した。彼が死後地獄のもっとも深い部分に落されたのは、祖国への裏切りの罪によるものだったのだ。

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「フルートを持つ女」は、「赤い帽子の女」とともにフェルメールの真筆に疑いをさしはさまれることがあるが、その疑いの度合いは「赤い」よりも強い。美術家のなかには、「赤い」を真筆として、「フルート」をそうではないとするものもいるが、それは間違いだとするべきである。この二つには決定的な共通点があり、同じような時期に同一の作者によって描かれたと考えるのが自然だからである。

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戦前に数多く作られたエノケンのレビュー映画の中でもっとも人気をとったのは「エノケンの孫悟空」だ。エノケンが孫悟空に扮して三蔵法師とともに天竺への旅をし、その途中奇想天外な出来事に遭遇するという趣向で、アイデアは中国の小説「西遊記」から借りているが、日本人好みに脚色して、大いに喝采を博した。

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「倣王摩詰漁楽図」は、画題の通り王摩詰の漁楽図を手本にした絵である。王摩詰とは盛唐の大詩人王維のこと。王維は画家としても有名だった。漁楽図とは、老荘思想が理想とする脱俗の境地を描いたもので、古来画題として好んで取り上げられてきた。池大雅もそれに倣ったと自ら言っているわけだが、ここには彼独自の境地がある。

カール・シュミットが「現代議会主義の精神史的状況」のなかで主張したことは、一つには、民主主義と独裁とは対立するのではなく親密な関係にあること、もう一つには、民主主義と議会主義とは必然的な関係にはないこと、というより対立関係に陥りやすい傾向があること、この二つのことであった。民主主義と独裁との関係については、先稿でふれたので、ここでは民主主義と議会主義との関係についてのシュミットの議論を見ておきたい。

オバマ米大統領やローマ法皇をえげつないことばで罵っているドゥテルテ比大統領。その過激さは一向に弱まる様子がない。今度はASEANサミットに参加するために訪れたビエンチャンで、現地のフィリピン人社会の会合の席で、先日のミンダナオでのイスラム過激派のテロに言及し、言葉がすべったのかどうか、ミンダナオのイスラム過激派たちに向かって、お前たちを生きたまま食ってやる、と宣言した。

 香央の女子磯良かしこに徃きてより、夙に起き、おそく臥して、常に舅姑の傍を去らず、夫が性をはかりて、心を尽して仕へければ、井沢夫婦は孝節を感でたしとて歡びに耐へねば、正太郎も其の志に愛でてむつまじくかたらひけり。されどおのがまゝのたはけたる性はいかにせん。いつの比より鞆の津の袖といふ妓女にふかくなじみて、遂に贖ひ出し、ちかき里に別莊をしつらひ、かしこに日をかさねて家にかへらず。磯良これを怨みて、或は舅姑の忿りに托せて諌め、或ひは徒なる心をうらみかこてども、大虚にのみ聞きなして、後は月をわたりてかへり來らず。父は磯良が切なる行止を見るに忍びず。正太郎を責めて押し篭ける。

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山本嘉次郎は、エノケンこと榎本健一のミュージカル風コメディ映画を多く作った。エノケンといっても、今の若い人達には馴染がないと思うが、筆者のような団塊の世代の人間にとっては懐かしい役者だ。戦中から戦後にかけて、浅草を拠点に栄えたレビューの人気者で、日本のコメディ史上特筆すべき存在と言ってよい。その本領は、とぼけた表情で繰り広げるドタバタ劇と、独特のだみ声で歌う歌謡曲だ。

フィリピンのドゥテルテから「売女の倅」と罵られたオバマが、プーチンに面と向かって「お前は間抜けなロバだ"Everyone here thinks you're a jackass"」と罵ったそうだ。日本のメディアで取り上げているのはいないようだが、欧米のメディアではちょっとした騒ぎになっているようだ。というのも、オバマはこの言葉をプーチンとの共同会見の席上で吐いたからだ。それだけではない、各国のリーダたちを引き合いに出して、世界中の誰もがお前のことを「くされちんぽ」と思っているぞ"Ask Angela Merkel. Ask David Cameron. Ask the Turkish guy. Every last one of them thinks you're a dick"、とまで罵ったというのだ。

フィリピンのドゥテルテ大統領は、先日オバマ大統領を a son of a whore と言って罵ったが、すぐさまそれを撤回すると表明した。ドゥテルテのこの発言にさすがのオバマも腹をたて、ビエンチャンのASEANの席で予定されていた米比首脳会談をキャンセルする騒ぎになったために、アメリカとの関係悪化を恐れて撤回した模様だ。

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「白雲紅樹図」は、池大雅の傑作として古くから名高い作品である。大雅の作品としては早い時期に重文に指定された。画題のとおり、白雲たなびく山中の秋の紅葉を描いたもので、描法はきわめて緻密でありながら、しかもゆったりとした雰囲気を失わないという点で、大雅の特徴がもっともよく発揮された一点である。

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亡霊がダンテの問いかけに答えないので、ダンテは珍しく怒ってその亡霊の髪を引っ張った。それでも亡霊は自分の名を名乗らない。だが他の亡霊がそのものの名を告げた。その者こそは、ボッカといって、ダンテの故郷フィレンツェを裏切った男だった。

フランスの多くの自治体で、イスラム教徒の女性にイスラム風の服装をやめさせる動きが広がる中、海辺のリゾート地では、イスラム風水着ブルキニの着用を禁止する動きが世界中の注目を浴びた。これについては、フランスの法廷もやり過ぎだとの判断を示したほどだが、内務大臣のヴァルスはそう思っていないようで、ブルキニ着用の禁止を続けるべきだと鼻息が荒い。ただ、国務大臣という要職についている手前、むやみやたらとブルキニ禁止を叫ぶわけにもいかないと思ったか、ブルキニがいかにフランスのよき伝統と反しているかについて強調した。

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「赤い帽子の女」は、次に取り上げる「フルートを持つ女」とともに、フェルメールの真筆を疑われることのある作品である。フェルメールの絵のほとんどは、中サイズのカンヴァスに描かれているのに対して、この二つは非常に小さいサイズの板に描かれていること、いづれも20世紀になって発見されたが、それまではこれらの存在を裏付けるような手がかりが存在せず、発見者の直感によってフェルメールの作品だとされたこと、などによる。だが今日では、これらをフェルメールの作品と認める美術関係者が多数派を占める。

「シドニー!」は、2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。村上はこの仕事を、スポーツ情報誌「ナンバー」の依頼があって引き受けたそうだ。日頃お祭騒ぎが大嫌いで、オリンピックなど退屈極まりない見世物だと思っていた村上が何故この仕事を引き受けたか、あまり説得力のある説明はない。なんとなく引き受けたというのが真相のようだ。何しろ、9月15日の開会式に始まり10月1日に終わるオリンピックの全期間を含め、その前後の数日をあわせ滞在期間の全日にわたって他人の金で旅行できるわけだから、これは儲け物と思ったのかもしれない。もっともあてがわれたホテルはエコノミークラスで、大会期間中毎日30枚以上に及ぶレポートを書かねばならぬハードなスケジュールが条件ではあったが。しかしそうした条件を差し引いても、このシドニー滞在は村上にとって損ではなかったようだ。彼は彼なりにオリンピックを楽しんだようだし、400ページを超える大部の旅行記を残すこともできた。

 妬婦の養ひがたきも、老いての後其の功を知ると、咨これ何人の語ぞや。害ひの甚しからぬも商工を妨げ物を破りて、垣の隣の口をふせぎがたく、害ひの大なるにおよびては、家を失ひ國をほろぼして、天が下に笑を傳ふ。いにしへより此の毒にあたる人幾許といふ事をしらず。死して蟒となり。或は霹靂を震ふて怨を報ふ類は、其の肉を醢にするとも飽くべからず。さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて教へなば、此の患おのづから避くべきものを、只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の身の憂をもとむるにぞありける。禽を制するは氣にあり。婦を制するは其の夫の雄々しきにありといふは、現にさることぞかし。

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内田吐夢は日本映画の草分けの一人で、佐藤忠男によれば「汗」とか「生ける人形」とか、社会問題への視線を感じさせる映画を作っていた。1939年の「土」は、そうした傾向の典型的なもので、内田の戦前の代表作といえるものだ。これは、戦前の日本の農村の状況を淡々と描いたもので、小作人たちの貧しい暮らしぶりが、あたかもドキュメンタリーのような感じで描き出されている。

安倍晋三総理大臣がロシアのプーチン大統領と会談し、北方領土の返還を含む平和条約の締結に向けて交渉を加速することで一致し、今年中には日本で両者の会談を行うことで合意したというので、日本のメディアには、あたかも北方領土の返還が現実味を帯びて来たかのように伝えるものもある。その通りだとしたら大いに結構なことだし、もし安倍晋三総理が北方領土の返還に筋道をつけることができるのなら、日本の歴史に大きな足跡を残すことになるだろうと筆者も思う。しかし、ことはそう簡単ではない。日本のメディアには、現実と希望的観測をごっちゃにする点で、一部の政治家と変わらぬ者があるが、現実をわきまえぬ希望的な観測は、ただの幻想に終わるだけだ。

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高野山の塔頭遍照光院の大広間を飾る襖絵十枚を総称して「山水人物図」と言うが、そのうちの四面がこの「山中雅会図」である。この絵は、山中の小亭で雅会を楽しむ高士たちを描き、残りの六面のうち四面はこの小亭に向かっている人物たちを描き、二面が老松を描いている。遍照光院の建物自体は消失してしまったが、この襖絵は幸いなことに残された。

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ダンテらが氷の海を進んで行くと、ダンテがある者の頭を蹴った。蹴られた者がダンテをののしると、ダンテはその者に名を名乗れという。しかしその者は断固として名乗らない。ダンテはめずらしくイライラする。

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写真(APから)は、湖南省の張家界にある峡谷にかかる橋。全長420メートル、高さ300メートルというから、これだけでも筆者のような高所恐怖症気味の人間には渡るのが困難と思われるが、この橋にはそれに加えて恐ろしい仕掛けがある。床の大部分がガラス張りになっていて、谷底が丸見えなのである。だからこの橋を渡っていると、あかたも空中を歩いているような醍醐味が味わえるに違いない。空中遊泳の趣味を持った人には、こたえられないだろう。

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「少女の頭部」は、「真珠の耳飾りの少女」と比較されることが多い。どちらも漆黒の背景に浮かび上がった少女のトルソーを描いていること、その少女の顔が横向きになった上半身の肩越しにこちらを向いていること、髪のうしろにベールをたらしていることなど、共通点があるからだ。

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五所平之助は、「伊豆の踊子」を作った三年後の1936年に「朧夜の女」を作った。この映画は、筋の上では「伊豆の踊子」とはなんのつながりもないのだが、精神的なバックボーンの面では、深いつながりを指摘できる。どちらもエリートの学生が、水商売の女に惚れるというものだ。「伊豆の踊子」では、男が惚れた相手を捨ててしまう結末になっているが、「朧夜の女」では相手の女が男に遠慮した挙句に死んでしまうということになっている。どちらも男の身勝手さがテーマだ。その身勝手さは、まるで餓鬼がダダをこねているように見えるので、見ているほうとしては、なんだこれはという気持になってしまう体のものである。

身体の尊厳

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移植医療の進化がついに頭部の移植にまでたどり着きそうだという記事を書いてこのブログに載せたところ、早速読者から反応があった。その読者は、かりにロシア人(の頭)と中国人(のボディ)が合体した場合、「ロシア人の脳味噌で中国人の身体は、脳味噌の指示通りに動きますかね?」というコメントを寄せてきたのだが、これを読んだ筆者は、先日読んだ内田樹のある文章を思い出した。内田は、身体というものは、脳の自由になるようなただの物質ではなく、それ自体の自主性のようなものがあるのだと言って、それを「身体の尊厳」と呼んでいた。

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「酔翁亭図屏風」は「楼閣山水図屏風」のうちの一隻である。酔翁亭とは北宋の詩人欧陽脩が安徽省の滁州に作った亭。彼は皇帝の不興をかってこの地に左遷されたときに、この亭に文人たちを招いては、ともに詩を作って無聊を慰めたという。「酔翁亭記」と題した紀行文は、長らく文章の模範とされ、日本人にも愛された。

カール・シュミットは、「現代議会主義の精神史的状況」の中で、民主主義と議会主義とは必ずしも密接な結びつきを持つわけではないことを明らかにしようとした。議会主義の極端な反対物は独裁だが、民主主義は容易に独裁を導く。「近代議会主義と呼ばれているものなしにも民主主義は存在しうるし、民主主義なしにも議会主義は存在しうる。そして、独裁は民主主義の決定的な対立物ではなく、民主主義は独裁への決定的な対立物ではない」(樋口陽一訳から)というのが、シュミットの基本的な考え方である。

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