朧夜の女:五所平之助

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五所平之助は、「伊豆の踊子」を作った三年後の1936年に「朧夜の女」を作った。この映画は、筋の上では「伊豆の踊子」とはなんのつながりもないのだが、精神的なバックボーンの面では、深いつながりを指摘できる。どちらもエリートの学生が、水商売の女に惚れるというものだ。「伊豆の踊子」では、男が惚れた相手を捨ててしまう結末になっているが、「朧夜の女」では相手の女が男に遠慮した挙句に死んでしまうということになっている。どちらも男の身勝手さがテーマだ。その身勝手さは、まるで餓鬼がダダをこねているように見えるので、見ているほうとしては、なんだこれはという気持になってしまう体のものである。

徳大寺伸演じるマザコンの大学生が飯塚敏子演じる芸者上がりの女に惚れ、妊娠させてしまう。ところが徳大寺は飯田蝶子演じる母親にそのことを言えない。母親の自分に対する期待を裏切るような気がするからだ。そこで坂本武演じる叔父に相談したところ、叔父が尻拭いの役を買ってくれる。女を自分の妾だったということにして、甥の仕込んだ子を自分の子だと世間に宣言するのである。

要するにこの大学生は、自分の不始末の責任を取ろうとせず、それを全部他人に押し付けるわけである。相手の女はそのことについて、何もうらみがましいことは言わない。坂本の申し出に従って、妾になりきっている。そして男に対しては、勉強して偉い人になってもらいたいと、言うのである。なんとけなげな話ではないか。それに対して男のほうの身勝手さは、あきれて言葉もないといったところだ。

しかも更になさけないことに、この大学生は自分から女を誘惑したのではなく、女から誘惑されたということになっている。だから女のほうでは、もともとは自分が仕掛けたことなのだから、その不始末の責任は自分がとるつもりなのである。

こんな話は、現代人の我々の眼には、まったくありえないこととして映る。だが、この映画が作られた昭和の初期の時代には、まだありえた話だったのかもしれない。この映画に出てくる女性たちは、大学生の母親の飯田蝶子や義理の伯母の吉川満子をはじめとして、みな和服姿で、髪は銀杏に結っている。上っ面を見る限り、天保時代と何ら異なるところはない。上っ面だけではなく、心の持ちようもまた天保時代と変らなかったと思われる。

天保時代と異なるのは、男が高等教育を受けていることだ。「伊豆の踊子」では男は一高生ということになっており、この映画では大学生ということになっている。当時の大学生はエリート中のエリートだから、まわりのものからちやほやされた。だから彼らが精神的に堕落するのも無理は無いというわけか、この映画の中では、徳大寺演じる大学生がまわりに迷惑をかけて自分ひとりのうのうとしているし、彼の同僚の大学生たちも、飲み屋で大騒ぎしながら勘定を踏み倒すつもりでいる。

主人公の学生が周囲からちやほやされるのは「伊豆の踊子」でも同じだ。こちらは一高生の主人公がちやほやされて、いい気分になったあげく、格下の身分の女を相手に恋の真似事をする。この一高生が三年すぎて大学生になったら、「朧夜の夜」の徳大寺のようになるのではないか。そんなわけで、「朧夜の女」はある意味「伊豆の踊子」の後日談といってもよい。

この映画に出てくる大学生は、上流階級の人間ではない。住まいは隅田川沿いの下町にあり、母親は大きな飲み屋の仲居をしていることになっている。彼女は女手一つで息子を育て上げた末に、大学にも入らせたのだ。大学生が母親に異常に遠慮するのは、そうした母親を子どもの頃から見てきたからだろう。それにしても、女との間の不始末を自分で解決できずに、他人に尻拭いさせるというのは、いかにも噴飯ものではないか。

甲斐性の無い男を描くことでは、溝口健二が無類のうまさを感じさせたが、溝口の映画に出てくる男たちは、女を食い物にして平然としているような悪どさがあった。ところが五所の映画に出てくる男たちは、自分で女を食い物にしているという意識さえない。ただただいきあたりばったりに女に惚れて、あとはなりゆきに流されるだけ、といっただらしなさだ。こういうだらしなさを描くことで、五所は当時の日本社会を批判していたつもりなのかもしれない。

それにしても、この映画が作られた1936年は、2・26事件のあった年だ。日本全体が戦争に向かってまっしぐらに進んでいた。そういう時代に、天保時代に逆戻りしたかのような人間関係を描いたというのは、五所の心意気を表すのだろうか。

当時の隅田川沿いの風景が出てくるのがなつかしい。両国橋らしいものが出てくるが、橋の東側には一つをのぞいて高い建物は見当たらない。清洲橋も幾度か出てくる。映画の舞台はだから、西両国から日本橋界隈にかけての下町かもしれない。あるいは、飯田蝶子が働いている飲み屋の様子から見て、浅草界隈かもしれない。画面からは判然としなかった。






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