牢獄の中のウゴリーノと息子たち:ブレイクの「神曲」への挿絵

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ウゴリーノはダンテらに向かって、自分が投獄中にどんなにつらい目にあったか、夢の内容に事寄せて語る。その夢のなかでのウゴリーノは、四人の子どもたちとともに飢えており、子どもたちから自分らの肉を食うようにと勧められていた。躊躇しているうちに、こどもらは一人ずつ死んでゆき、そのたびにウゴリーノは身を裂かれるような辛い思いをする。

そしていま、その辛さを思い出し、自分をこのような目にあわせた仇敵に襲い掛かるのである。


 わがためには餓の名をえてこののちなほも人を籠むべき塒なる小窓が
 既に多くの月をその口より我に示せる頃、我はわが行末の幔を裂きし凶夢を見たり
 すなはちこの者長また主となりてルッカをピサ人に見えざらしむる山の上に狼とその仔等を逐ふに似たりき
 肉瘠せ氣燥り善く馴らされし牝犬とともにグアンディ、シスモンディ、ランフランキをその先驅とす
 逐はれて未だ程なきに父も子もよわれりとみえ、我は彼等が鋭き牙にかけられてその傍腹を裂かるゝを見しとおぼえぬ
 さて曉に目をさましし時我はともにゐしわが兒等の夢の中に泣きまた麪麭を乞ふ聲をきゝぬ
 若しわが心にうかべる禍ひの兆をおもひてなほいまだ悲しまずば汝はげに無情なり、若し又泣かずば汝の涙は何の爲ぞや
 彼等はめさめぬ、糧の與へらるべき時は近づけり、されど夢のためそのひとりだに危ぶみ恐れざるはなかりき
 この時おそろしき塔の下なる戸に釘打つ音きこえぬ、我はわが兒等の顏を見るのみ言なし
 我は泣かざりき、心石となりたればなり、彼等は泣けり、わがアンセルムッチオ、かく見たまふは父上いかにしたまへるといふ
 かくても我に涙なかりき、またわれ答へでこの日この夜をすごし日輪再び世にあらはるゝ時に及べり
 微かなる光憂ひの獄にいりきたりてかの四の顏にわれ自らのすがたをみしとき 
 我は悲しみのあまり雙手を噛めり、わがかくなせるを食はんためなりとおもひ、彼等俄かに身を起して
 いひけるは、父よ我等をくらひたまはゞ我等の苦痛は却つて輕からむ、 
 我は彼等の悲しみを増さじとて心をしづめぬ、この日も次の日も我等みな默せり、あゝ非情の土よ、汝何ぞ開かざりしや
 第四日になりしときガッドはわが父いかなれば我をたすけたまはざるやといひ、身をのべわがあしもとにたふれて
 その處に死にき、かくて五日と六日目の間に我はまのあたり三人のあひついでたふるゝをみぬ、我また盲となりしかば
 彼等を手にてさぐりもとめて死後なほその名を呼ぶこと二日、この時斷食の力憂ひにまさるにいたれるなりき 
 かくいへる時彼は目を斜にしてふたゝび幸なき頭顱を噛めり、その齒骨に及びて強きこと犬の如くなりき
 ねがはくはカプライアとゴルゴーナとゆるぎいでゝアルノの口に籬をめぐらし、汝の中なる人々悉く溺れ死ぬるにいたらんことを
 そはたとひ伯爵ウゴリーノに汝に背きて城を賣れりとのきこえありとも汝は兒等をかく十字架につくべきにあらざればなり
 第二のテーべよ、年若きが故にすなはち罪なし、ウグッチオネもイル・ブリガータもまた既にこの曲に名をいへる二人の者も(地獄篇第三十三曲から、山川丙三郎訳)


絵は、牢獄のなかに閉じこめられたウゴリーノと、四人の子どもたちを描く。

この場面のあと、ダンテらは更に先へ進み、氷のなかに閉じこめられた修道士アルベリーゴに出会う。アルベリーゴはフィレンツェの人だが、やはり祖国への反逆の罪によって、ここへ落されてきたのだった。反逆の罪はもっとも重いので、それを犯した者は、直接地獄の底へ落されてしまうのだ。








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