吉備津の釜(四):雨月物語

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 時うつりて生き出づ。眼をほそくひらき見るに、家と見しはもとありし荒野の三昧堂にて、黒き佛のみぞ立せまします。里遠き犬の聲を力に、家に走りかへりて、彦六にしかしかのよしをかたりければ、なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず迷はし神の魘ふものぞ。足下のごとく虚弱き人のかく患ひに沈みしは、神佛に祈りて心を収めつべし。刀田の里にたふとき陰陽師のいます。身禊して厭苻をも戴き玉へと、いざなひて陰陽師の許にゆき、はじめより詳にかたりて此の占をもとむ。

 陰陽師占べ考へていふ。災すでに窮りて易からず。さきに女の命をうばひ、怨み猶尽きず。足下の命も旦夕にせまる。此の鬼世をさりぬるは七日前なれば、今日より四十二日が間戸を閉てておもき物齊すべし。我が禁しめを守らば九死を出て全からんか。一時を過るともまぬがるべからず、かたくをしへて、筆をとり、正大郎が背より手足におよぶまで、篆りうのごとき文字を書く。猶朱苻あまた紀にしるして与へ、此の咒を戸毎に貼して神佛を念ずべし。あやまちして身を亡ぶることなかれと教ふるに、恐れみかつよろこびて家にかへり、朱苻を門に貼り、窓に貼りて、おもき物齊にこもりける。

 其の夜三更の比おそろしきこゑしてあなにくや、こゝにたふとき苻文を設けつるよとつぶやきて復び聲なし。おそろしさのあまりに長き夜をかこつ。程なく夜明けぬるに生き出て、急ぎ彦六が方の壁を敲きて夜の事をかたる。彦六もはじめて陰陽師が詞を奇なりとして、おのれも其の夜は寢ずして三更の比を待ちくれける。松ふく風物を僵すがごとく、雨さへふりて常ならぬ夜のさまに、壁を隔て聲をかけあひ、既に四更にいたる。下屋の窓の紙にさと赤き光さして、あな惡やこゝにも貼りつるよといふ聲、深き夜にはいとゞ凄しく、髪も生毛もことごとく聳立ちて、しばらくは死に入りたり。

 明くれば夜のさまをかたり、暮れば明くるを慕ひて、此月日頃千歳を過るよりも久し。かの鬼も夜ごとに家を繞り或は屋の棟に叫びて、忿れる聲夜ましにすざまし。かくして四十二日といふ其の夜にいたりぬ。

 今は一夜にみたしぬれば、殊に愼みて、やゝ五更の天もしらしらと明けわたりぬ。長き夢のさめたる如く、やがて彦六をよぶに、壁によりていかにと答ふ。おもき物いみも既に滿ちぬ。絶て兄長の面を見ず。なつかしさに、かつ此月頃の憂怕しさを心のかぎりいひ和さまん。眼りさまし玉へ。我も外の方に出んといふ。彦六用意なき男なれば、今は何かあらん、いざこなたへわたり玉へと、戸を明くる事半ならず、となりの軒にあなやと叫ぶ聲耳をつらぬきて。思はず尻居に座す。

 こは正太郎が身のうへにこそと、斧引き提げて大路に出れば、明けたるといひし夜はいまだくらく、月は中天ながら影朧々として、風冷やかに、さて正太郎が戸は明けはなして其の人は見えず。内にや迯げ入りつらんと走り入りて見れども、いづくに竄るべき住居にもあらねば、大路にや倒れけんともとむれども、其のわたりには物もなし。いかになりつるやと、あるひは異しみ、或は恐る恐る、ともし火を挑げてこゝかしこを見めぐるに、明けたる戸腋の壁に腥々しき血潅ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず、月あかりに見れば、軒の端にものあり。ともし火を捧げて照らし見るに、男の髪の髻ばかりかゝりて、外には露ばかりのものもなし。淺ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。夜も明けてちかき野山を探しもとむれども。つひに其跡さへなくてやみぬ。

 此の事井沢が家へもいひおくりぬれば、涙ながらに香央にも告げしらせぬ。されば陰陽師が占のいちじるき、御釜の凶祥もはたたがはざりけるぞ、いともたふとかりけるとかたり傳へけり


(現代語訳)
しばらくして息を吹き返した。目を細くあけて見ると、家と思ったのは以前からそこにあった荒野の三昧堂で、黒い仏像だけが立っていた。遠くで犬の啼く声を聞きながら家に走り帰って、彦六にしかじかと語ると、彦六は、「なに、狐にだまされたんだろう。心が塞いでいるときにはかならず迷わし神がとりつくものだ。お前のように気の弱いものが思い悩んでいるときには、神仏にお祈りして心を静めるのがよい。刀田の里にありがたい陰陽師がお出でになる。いって禊をしてお守りの札でももらいなさい」と言って、正太郎を誘って陰陽師のところへゆき、はじめから詳細を語って占いを求めた。

陰陽師が占って言うには、「災いはすでに極まって容易ではない。さきに女の命を奪ったが、恨みはなお尽きていない。お前の命も旦夕にせまっている。この鬼が世を去ったのは七日前のことだから、今日から四十二日間戸を閉めて厳重な物忌をしなさい。我が戒めを守れば九死に一生を得るだろう。一時でも時間を間違えてはならない」。そう固く教えて、筆をとり、正太郎の背中から手足に及ぶまで篆刻のような文字を書き、なお朱符を沢山与えて、「これを戸毎に貼って神仏を念じなさい。あやまって身を滅ぼさぬように」と教えたので、正太郎は恐れかしこみつつ家に帰ると、朱符を門に貼り、窓に貼って、厳重な物齊にこもった。

その夜の三更の頃に恐ろしい声がして、「ああにくい、ここに尊い苻文を貼ってあるよ」とつぶやいて、それきり二度と声がしない。恐ろしさのあまり夜の長さを嘆いた。まもなく夜があけると起き出て、急いで彦六の家の壁を叩いて、夜の間の出来事を語った。これを聞いた彦六もはじめて陰陽師の言葉を神妙に受け取り、その夜は自分も三更の頃まで寝ないでいた。松吹く風は物を倒すほどに激しく、雨さえ降って常ならぬ夜の様子に、二人は壁を隔てて声を掛け合い、やっと四更に至った。すると下屋の障子窓の紙にさっと赤い光がさして、「ああにくい、ここにも貼ってあるよ」と言う声が聞こえてきて、それが深夜にすさまじく、髪も産毛もことごとく逆立って、しばらくの間気絶してしまった。

夜が明ければ夜の間の様子を語りあい、暮れれば夜の明けるのを慕って、この間は千年以上の長さにも感じられた。あの鬼も夜毎家のまわりを巡り歩き、あるいは屋根の上で叫んで、その怒り声は夜毎にすさまじかった。かくして四十二日目の夜に至った。

今やあと一夜になったので、特に謹んで、ようやく明け方の空がしらじらとなってきた。長い夢から覚めたように、すぐに彦六を呼ぶと、壁沿いにどうしたと答える。「つらい物忌みがやっと終わった、その間あんたの顔をみなかったので、なつかしくなった。この一月の間のつらかったことを思う存分に語り合おうよ。目を覚ましたまえ、私も外に出るから」と正太郎が言うと、彦六も無用心な男だから、「もう大丈夫だろう、さあ、こっちへきなさい」と言いつつ、戸を半分あけたところ、隣の軒で、ああ、と叫ぶ声が耳を貫き、思わずその場に尻餅をついた。

これは正太郎の身になにかあったのだろうと、斧を引き下げて表通りに出ると、明けたと言った夜はまだ暗く、月は中天にかかって朧々と輝き、風は冷ややかに吹いている。さて正太郎の家の戸は開け放しのままで本人の姿は見えない。中に逃げ込んだのだろうかと走り入ってみても、隠れるほどの広さでもない。大通りに倒れているのかと思って探したが、そのあたりには何も見えない。どうしたのかと、あるいは不思議に思い、あるいは恐る恐る、ともし火をかかげてここかしこを見回したところ、開け放った戸の脇の壁に生々しい血が流れて地面にまで伝わっている。だが死骸も骨も見えない。月明かりに見れば、軒の端に何かある。ともし火を掲げて見ると、男の髪の髻だけがかかっていて、他には何も見えない。浅ましくも恐ろしいことは筆にも尽くせない。夜があけた後も近くの山を探してみたが、ついに何も見つけることができないまま終わってしまった。

このことを井沢の家に知らせてやると、井沢は涙ながらに香央にも知らせた。こういうわけで、陰陽師の占いの正しかったことも、御釜の凶祥の予言があたったことも、大変尊いことであったと、人々は語り伝えたのであった。


(解説)
最後に、正太郎を殺そうとする磯良の悪鬼と、なんとか逃れようとする正太郎の根競べが描かれる。正太郎は陰陽師の言いつけにしたがい、自分の体や家中にまじないの言葉を書いたり貼ったりして、悪鬼を近づけないようにする。悪鬼もそのまじないの前では手を出せない。磯良が死んでから四十九日たてば、悪鬼の呪いは消えるはずだから、その期間をなんとかしのげれば、正太郎は助かることができる。

こうして四十九日目の夜を迎え、まんじりともしないでいるうちに、夜が明けたと正太郎には思われた。そこで喜んで戸をあけて外へ出たところが、悪鬼にさらわれてしまう。なんとも運の悪いことだ。

ここでのポイントは、正太郎が陰陽師に救いを求めることだ。陰陽師というのは、基本的には占いを職分としたものであり、加持祈祷や悪霊撃退とは縁がないはずだ。そうした役柄は僧侶が担っていたはずなのだが、秋成の時代にはそのへんの境界が流動していたのだろう。

陰陽師が厄除けのためにお札をくれるというのは、「牡丹灯記」のアイデアを採用したものだ。中国では古来厄除けの札が道教において用いられていた。

ラストシーンで、悪鬼に連れ去られた正太郎の遺品として、髪の髻に言及しているところは、秋成の想像力によるところだろう。







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壺斎様
 小泉八雲の耳なし芳一の怪談を思い起こしますね。鬼神をも感動させる琵琶を弾き語る芳一は、怨霊の武士に連れられ、貴人達に、毎夜平家物語を語っていた。不審に思った和尚が、その話を聞き、怨霊にそそのかされていると芳一に告げる。このままでは芳一は殺されてしまう。和尚は体中に般若心経を墨で書くよう小僧に命じた。しかし耳にだけ書くのを忘れてしまったため、哀れにも怨霊にその耳を引きちぎられてしまった。しかし命はとりとめた。

 上田秋成の正太郎は殺されてしまう。彦六の声につられて戸を開けた。「耳」あるいは「声」がキーになっているのだろうか。

 四十九日をすぎれば、魂はあの世へ旅立つのは仏教の教えではなかったのだろうか。神道の怨霊は恨みが消えない限り、この世にとどまるのではなかったのか?
 日本の歴史には怨霊に関わる話がおおかった。それだけ宗教にこだわった民族であったに違いない。
 2016/9/15 服部

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