小林清親の東京名所図

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小林清親は、光線画と呼ばれる画法を駆使して明治初年の東京を版画という形で表現した作家である。幕末から明治初年の江戸―東京を絵画の世界に定着した画家としては、安藤広重や河鍋暁斎という先輩がいたが、清親は自分なりの独特の画法で、明治初年の東京、それは徳川時代の田園的な雰囲気を残した江戸の名残としての東京から、西洋風の近代的な都市へと変貌しつつあった東京だが、そうした過渡期の東京の姿を、如実に見える形で残したことは、絵画の歴史の上のみならず、日本の歴史の上でも貴重な貢献であったといわねばならない。

清親は、幕末の弘化年間に、幕臣の下級武士の子として江戸の隅田川沿いに生まれた。徳川幕府が崩壊すると、一家は主君の徳川氏とともに静岡に移り住んだが、なにせ下級武士のこと、食い詰めて再び東京に出てきた。そんなわけで、彼は少年時代に本格的な絵の修行をしたことはない。東京へ出てきてから、ワーグマンや暁斎の指導を仰いだようだが、彼の画法は独学によるところが大きかった。

そんな彼が、明治九年に、二十歳代半ばの若さで、東京名所図と題する版画のシリーズの刊行を開始した。日本橋の版画屋松木が、清親の才能に惚れこんで、世に出してやろうとしてくれた結果だった。このシリーズは大いに人気を取り、明治九年から同十三年頃にかけて、百枚以上を世に出した。

その後清親は風景画以外に絵の幅を広げてゆき、版画のみならず肉筆画も描くようになるが、やはりなんといっても、彼の画家としての意義は、東京名所図にあると言っても良い。

ここでは、そんな清親の東京名所図のなかから、70点ばかりを取り上げて、鑑賞してみたいと思う。なお取り上げた版画のタイプはいずれも大判錦絵(B4版とだいたい同じサイズ)である。






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