豊穣たる熟女たちと日光に遊ぶ

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豊穣たる熟女の皆さんと久しぶりの温泉旅行を楽しんだ。奥日光の湯元温泉に一泊して硫黄の湯を堪能しながら、日光の世界遺産を見物したり、戦場ヶ原を散策しようという欲張りな計画だった。四人とも寄る年波に体力の限界を感じ、万事計画通りには運ばなかったが、なんとか無事に歩き終えることができて、それなりに充実したハイキング旅行にもなった。雨もよいの予報だった天気のほうも、例の晴女の効験のおかげでひどい目にあわずに済んだ。まあまあ楽しい旅行だったわけだ。

九時過ぎに東武浅草駅で待ち合わせ、九時半の特急けごん号に乗る。車内は平日にかかわらずそこそこに混んでいる。日光はなんといっても昔から人気のあるところだし、手ごろに行けることもあって、いまも多くの人をひきつけるのだろう。

熟女たちは三人とも元気な様子だ。T女とY女は一段と肉付きがよくなったようだし、M女は痩せて顔の皮膚にたるみが見えるとはいえ、声に張りがあって、十里先まで響き渡るほどだ。みなさんこの調子なら、多少険しい山道も難なく歩くことができるだろう。

M女はすっかり体力の衰えた亭主の面倒に毎日振り回されているので、今日はその面倒から解放されて羽根を延ばしたいという。旦那さんのご飯はどうしたの、と他の二人が聞くと、今晩と明日の分の弁当を作って冷蔵庫に入れてきたから、それを食べるように言っておいたという。するとT女は、うちの亭主は今晩は自分で作るけど、明日は早く帰ってきて晩御飯を作って欲しいと言っていたわ、と言う。M女の亭主は自立度が高いらしく、自分の飯の支度は自分でできるらしい。とにかく旅行の時くらい、亭主の面倒なんか考えずに羽根をのばしたいよね、とみんなで口をそろえて言う。

しかしなんだかんだ言ってもあなたたちは立派だよ。こんな旅行のときでもちゃんと亭主のことを心配してやさしくしてあげる。日本の女の鑑と言っていいほどだよ。昨夜僕はNHKテレビで夏目漱石夫妻のドラマを見たが、悪妻の典型と言われる漱石夫人でも、彼女なりに亭主のためにいろいろと気を使っている。こんなに亭主に仕える婦人は世界中どこを探しても日本以外にはいないんじゃないか。その点じゃあなたたちも非常に立派だよ。妻が夫の飯の心配をしてやらなくなったら、日本も世の末だが、あなたたちのような婦人がいるおかげで、日本婦人の美徳が絶えずにいるわけだ、と称賛ともなんともいえないようなことを小生は言った。

列車は十一時四十五分に日光駅についた。途中窓から水田の様子を眺めたら、もう九月も末近くだというのに、いまだ黄色く色づいていない稲があちこちに見られ、黄色くなったものは大雨に打たれて寝そべっている。本来ならとっくに刈り入れが終っているはずだ。やはり異常気象の影響だろうか。

東武日光駅から歩いて神橋まで行き、そのあたりの食堂で昼餉を食してから世界遺産群の見物をしようという心積もりで歩き出した。ところが歩き出してまもなく、M女が歩けないと言い出した。緩いながらも坂道になっていて、とても上れないと言うのだ。坂道といったって、ほとんど勾配を感じない程度のものなのだが、M女にはこれが絶壁のように迫ってくるというのである。そこでY女が持参の湿布を脚に貼ってやり、小生は携帯用の杖を貸してやったうえで、我々はこのまま歩いてゆくが、あなたはバスに乗ってあとから来なさいと言って別れた。

神橋のバス停でM女と合流し、バス停前の食堂に入って湯波弁当を食った。味が多少濃厚ぎみだったがまあまあだったといってよい。食後一人300円を支払って神橋を渡り、その後道路の向かい側から山の中に入った。M女の脚の調子が不安だったが、なんとか階段を上り下りしながら我々の後をついてきた。こんな具合だから、当初の予定を変更し、東照宮だけを見た。

東照宮は目下平成の大修理中とかいうことで、陽明門が工事用の養生を施されていたほか、三猿や眠り猫も本物がはずされてレプリカが置かれていた。そんな状態でも一人当たりの見物料を1300円もとった。その大部分が修復の費用にあてられると思えば、まあ仕方がないか。境内にいる人の多くが中国人なのは、ほかの有名観光地と同じだ。面白いのは和服を着ているもののほとんどが中国人ということだ。彼らは日本の観光地で和服を身につけ、それで歩いているところを写真にとって喜んでいるらしい。

参道付近のタクシー乗り場からタクシーに乗りJRの駅に戻った。このタクシーのドライバーがなかなか面白い男で、途中の景色やら日光の歴史についてあれこれと説明してくれる。さきほど湯波弁当を食った食堂は明治の古い建物で、重要文化財に指定されているのだそうだ。ゆばを湯波と書くのは日光だけで、ほかは皆湯葉と書くのは京都を真似しているのです。日光は昔から誇り高い町なので、京都の風下に立つのを潔しとしないのです、といった具合である。なにしろ日光は徳川時代には日光例幣使といって、京都の朝廷からの使いが毎年参詣したほど格式の高いところなのです、云々。

JR日光駅前は湯元温泉行きのバスの始発場所なので、ここからだと確実に座ることができる。我々は二時三十分のバスに乗ったが、乗り込んだ客は数人で車内はガラガラだった。この状態は東武日光駅でも殆ど変わらず、バスは少ない乗客を乗せていろは坂を上がり、奥日光へと向かっていった。





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