2016年10月アーカイブ

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1905年から6年にかけて、マティスはフォーヴィズムのスタイルを確立したのだが、それと平行してセザンヌに大きな関心を寄せ、セザンヌにインスピレーションを受けた絵もいくつか描いた。1906年の作品「赤い絨毯(Les tapis rouges)」はその一つだ。

司馬遼太郎の昭和史観

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先日友人たちと談笑した際に、いわゆる司馬史観が話題に上った。司馬が明治を賛美して、昭和について殆ど語らないという話から始まって、司馬の史観をどう受け取るかについて、否定論と肯定論が拮抗した。否定論は、司馬の明治礼賛には問題がある、何故なら明治の精神そのものに昭和の破滅の原因があったのに司馬はそれを無視していると言い、肯定論は、明治は日本の近代化にとって歴史的な意義を持ったが、昭和の全体主義的な体制がそれを踏みにじって日本を破滅に導いたと言った。その議論を脇で聞いていた筆者は、いわゆる司馬史観について理解するところ少なかったので、その場では発言を差し控えた。だが、彼らの議論を聞いていると、司馬が現代の日本人の歴史認識にかなりな影響を及ぼしているらしいことが感じられた。そこで、自分も多少司馬を読んでみようという気になった。取り上げたのは「この国のかたち」である。以下、その読書の観想をいくつか述べてみたい。

いわしの柱

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写真(Guardianから)は、柱状になったいわしの魚群。南太平洋のオーストラリア沖で水中撮影された。これを撮ったカメラマンは鯨類の撮影を狙って海に潜ったところ、たまたまこのような眺めを目にして圧倒されたそうだ。

青頭巾(二):雨月物語

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 快庵この物がたりを聞せ給ふて、世には不可思議の事もあるものかな、凡そ人とうまれて、佛菩薩の教の廣大なるをもしらず、愚なるまゝ、慳<かだま>しきまゝに世を終るものは、其の愛慾邪念の業障に攬れて、或は故の形をあらはして恚を報ひ、或は鬼となり蟒<みづち>となりて祟りをなすためし、徃古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。又人活きながらにして鬼に化するもあり。楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜刄となり、呉生が妻は蛾となる。又いにしへある僧卑しき家に旅寢せしに、其の夜雨風はげしく、燈さへなきわびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴くこゑの聞えけるが、頃刻<しばらく>して僧のねふりをうかゞひてしきりに嗅ぐものあり。僧異しと見て、枕におきたる禪杖をもてつよく撃ちければ、大きに叫んでそこにたをる。この音に主の嫗なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たをれてぞありける。嫗泣々命を乞ふ。いかゞせん。捨てて其の家を出でしが、其のち又たよりにつきて其の里を過ぎしに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよりて何なるぞと尋ねしに、里人いふ、鬼に化したる女を捉へて、今土にうづむなりとかたりしとなり。

遥かなる山の呼び声:山田洋次

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1980年公開の山田洋次の映画「遥かなる山の呼び声」は、1950年代に大ヒットした西部劇映画「シェーン」の主題歌の日本語題名である。そんなこともあってこの映画は、「シェーン」を連想させるものがある。風来坊が突然やってきて一家にいつき、一家のためにいろいろ手助けをしているうちに、その家の子どもやその母親から愛されるようになる。だが最後には風来坊は何も言わずに去ってゆく。その去りゆく風来坊の背後から小さな男の子が「シェーン・カム・バック!」と叫ぶ。その場面を記憶している人もいるだろうと思う。

真鶴で手料理を振る舞われる

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先日の四方山話の例会の席上、浦子が真鶴に持つ別荘で一席設け、そこで自分の手作りの料理を振る舞おうと言うので、その場に居合わせた何名かが手を上げて応じた。そんなわけで、十月末の木曜日の午後一時に、真鶴駅前に五名が集まった。招待主の浦子のほか、石、岩、梶の諸子及び小生である。六谷子も参加するはずだったが、急に知恵熱が出たとかいって来なかった。

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(梅若神社)

梅若神社は、梅若伝説を踏まえた梅若塚というものが、後に神社に祭られたものだ。この伝説は十世紀後半に成立したもので、梅若丸という京の子供が人買いにかどわかされ、奥州に向かう途中に、隅田川を渡ったあたりで倒れた。人買いはそのまま捨てて去り、梅若丸は死んだのだが、土地の者が死んだ梅若丸を不憫に思って塚を築いて葬った、というものである。

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ダンテとヴィルジリオが彫刻に見入っていると、不思議な人々の一団が通り過ぎてゆく。彼らは高慢の罪で煉獄の第一冠に配された人々である。背中に重いものを負い、その重さに腰を曲げながら歩いてゆく。

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「生きる喜び(La joie de vivre)」は、マティスのフォーヴィズム時代の代表作だ。彼はこの作品を仕上げるために、セーヴル街の修道院跡を借りてアトリエにし、1906年のサロンドートンヌに出品した。すると前年のサロンに出品した「帽子をかぶった女」以上に強い反響を巻き起こした。その中には否定的なものも多かった。シニャックは、この絵を見て、ポインティリズムへの反逆だと非難した。それまでマティスはシニャックに師事してポインティリズムの研究に励み、有力な後継者としてシニャックから期待されていたのだった。それがわずかな期間をおいて、ポインティリズムとは反する傾向にマティスが走ったわけだから、シニャックの落胆も大きかったのである。

幸福の黄色いハンカチ:山田洋次

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四十年近く前に「幸福の黄色いハンカチ」を暗い映画館の中で見たとき、筆者はなんともいえない強い情動に捉われ、闇の中を涙が流れてくるままにしたものだった。四十年ぶりに自分の家の中でDVD装置で見返したときも、やはり同じような情動に捉われた。今度は自分の家の中であるから、涙が流れるのを遠慮することはない。

カール・シュミットの戒厳状態論

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カール・シュミットは「独裁」の最終章を「既成法治国家的秩序内における独裁」と題して、戒厳状態に関するかなり詳しい議論を展開している。章題から伺われるようにシュミットは、戒厳状態を独裁と密接に結びつけて考察する。それはここで分析されている戒厳状態が、近代的な意味での権力の分立を廃止し、権力の一元化をもたらすとの認識から来る。シュミットが独裁を国家の危急(例外)事態における主権者の振舞と明確に規定するのは「政治神学」においてであるが、この著作においては、戒厳状態がなぜ独裁を要請するようになるのか、そのメカニズムを考究することで、独裁と主権とをつなげる道筋を明らかにしようとしたのだと思う。

青頭巾(一):雨月物語

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 むかし快菴禪師といふ大徳の聖おはしましけり。総角より教外の旨をあきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の國の龍泰寺に一夏を滿たしめ、此の秋は奧羽のかたに住ふとて、旅立ち玉ふ。ゆきゆきて下野の國に入り玉ふ。

同胞:山田洋次

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山田洋次の映画「同胞」が公開されたのは1975年のことだが、その時点でもこれは日本社会をかなりアナクロニスティックな目で捉えているという印象が否めない。この映画は表向きには農村の啓蒙とか、農村青年たちの団結とかをテーマにしているのだが、高度成長が絶頂期にさしかかっていたこの時期は、日本の農業が大きな転換期、つまり解体に向かっての歩みを始める時期に当たっているので、こうしたテーマはすでに時代遅れになっていたことは否めないのである。しかし別の見方もありえないわけではない。

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(滝の川の図 明治十一年)

滝野川は、飛鳥山と一対になった形で、桜の名所として知られるが、この絵は紅葉の滝の川を描いている。場所としては、滝の川が飛鳥山からのびる高台にさしかかるところだろう。いまでもこのあたりは、鬱蒼とした感じで、都会のオアシスのような雰囲気を湛えている。

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ダンテとヴィルジリオは、煉獄の入り口であるピエルの門をくぐり、いよいよ煉獄山の本体を上ってゆくことになる。煉獄山の本体は七つの冠と呼ばれる層からなっている。その冠は、らせん状にせり上がってゆく道に沿って存在し、それぞれの冠には、七つの大罪を起こしたものたちが、罪の種類に応じて配されている。ダンテとヴィルジリオは、煉獄山を上る途中で、これらの人々と出会い、そこを過ぎるごとに、ダンテが額に記されたPの文字が、ひとつずつ消されることとなる。

ノーベル賞は風に吹かれて

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イラスト(JapanTimesから)は、ノーベル文学賞の受賞を伝えられたボブ・ディランをイメージしたもの。受賞の気持ちはどうだい、と聞かれて、「その答えは風に吹かれて・・・どうでもいいじゃんか」と言っているディランが、コミカルに描かれている。しかし実際にコミカルなのはディランではなく、ディランにノーベル賞を付与したアカデミー組織であるようだ。

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マティスが画家として一躍脚光を浴びたきっかけは1905年の秋にパリで開かれた第二回目のサロン・ドートンヌ(秋のサロン)だった。このサロンは、春のサロンが伝統的な格式を誇っていたのに対して、始まったばかりということもあって、比較的自由な雰囲気に囲まれていた。そこにマティスは、従来の絵画の常識を覆すような奇想天外な作品をいくつか展示し、それがいろいろな意味で大きな評判となったのだった。「帽子をかぶった女(Femme au chapeau)」はその時に出品された絵の一つであり、もっとも大きな反響を呼び起こした。

村上春樹「サラダ好きのライオン」

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現役を退いて隠遁生活に入って以来読書三昧の日々を過ごしている。そんな亭主を見て筆者の家内は、毎日一人で家に閉じこもってよく退屈しないわね、と冷やかすのだが、筆者には一向に退屈する理由が見当たらない。もともと孤独を愛する性質で、一人でいるのが全く気にならないばかりか、世俗の騒音から免れて毎日読書にいそしむ生活が非常に気に入っているのである。気に入った作家の洒落た文章を読むと心が洗われるし、たまには自分の考えを下手な文章にして乙にいるのも悪くはない。最近は村上春樹の文章が気に入って、よくこれを読んでいる。これだけでも毎日の屈託など飛ばしてくれるよ、そう家内に言ったところが、村上春樹って偏屈親爺でしょ、そんなもの読んでどこが面白いの?と言う。へえ、世の中には村上春樹を偏屈親爺と思っている人もいるんだ、と筆者は聊か驚いた次第であったが、まあ嗜好というのは人ごとに違って当たり前、筆者のように村上春樹が面白い感じる者がいれば、筆者の家内のように偏屈親父の偏屈な文章と感じる者がいてもよいわけだ。

蛇性の婬(十):雨月物語

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 豐雄いふは、世の諺にも聞ゆることあり。人かならず虎を害する心なけれども、虎、反りて人を傷る意ありとや。なんぢ人ならぬ心より、我を纏ふて幾度かからきめを見するさへあるに、かりそめ言をだにも此の恐しき報ひをなんいふは、いとむくつけなり。されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば、こゝにありて人々の歎き玉はんがいたはし。此の富子が命ひとつたすけよかし。然て我をいづくにも連れゆけといへば、いとうれしげに點頭<うなづき>をる。

故郷:山田洋次

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「故郷」は、「家族」同様家族の絆を描いた作品だ。「家族」では故郷を捨てて北海道に新天地を求めに行く家族の姿が描かれていたが、この作品では一家が故郷を捨てるまでの過程が描かれている。

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(愛宕山の図 明治十一年)

芝の愛宕山には、京都の愛宕神社を勧請した愛宕神社が祭られ、防火の神として江戸の庶民の信仰を集めた。昭和時代の初めにNHKの放送センターが愛宕山の一角に立てられたために、昭和時代を通じて愛宕山はNHKと強く結びついた。いまでもその放送センターを偲ぶ博物館のようなものが残っている。

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ダンテとヴィルジリオを迎えた天使は、ダンテの額に剣をあて、Pの文字を七つ記す。その後、金銀二つの鍵を使って煉獄の門を開け、彼ら二人を導き入れるのである。

「11月8日の大統領選の結果敗北した者は、誰であれ翌日中にアメリカを立ち去って二度と戻ってこないよう求める」という内容の大統領令に、オバマ米大統領が署名したそうだ。理由は、今回の大統領選によって生じた国民の間の分裂を、すこしでもやわらげたいということらしい。ともあれ前代未聞のことなので、この情報に接した時、筆者は悪い冗談ではないかと思ったほどだが、どうやら冗談ではないらしい。

喫煙チンパンジー

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写真(APから)は、ピョンヤンの動物園にいるメスのチンパンジー、名前はダラエ。観客の前でタバコを吸っているところだ。このチンパンジーは動物園の人気者で、毎日大勢の小学生を前に歓迎の御挨拶をしているそうだが、こうして煙草を吸っているところを見せるのもそのサービスの一環だ。なかなか器用なチンパンジーで、スタッフが投げた煙草を拾い上げ、それに自分でライターで火をつけて、煙を吹きながらうまそうに吸う姿が、子どもたちの喝さいを浴びているという。

マティス、色彩の魔術

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アンリ・マティス(Henri Matisse)は、ピカソと並んで20世紀を代表する画家で、この二人は20世紀の二大アーティストと言ってよい。20世紀は芸術の世紀と言われるほどで、なかでも絵画のようなヴィジュアル・アートが全盛を誇ったのだが、林立する高峰のなかでも、マティスとピカソは群を抜いて聳える双璧といってよかった。

家族:山田洋次

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山田洋次は、「男はつらいよ」シリーズを年二回のペースで作り続け、その合間に単発的な作品を結構多く作った。1970年の「家族」はその走りといえるものだ。映画評論家の中には、「男はつらいよ」シリーズを盆・正月用の興業を当て込んだ娯楽作品とし、「家族」を含めたその他の作品を芸術的な作品だと分類するものもいるが、そんなふうに単純に分けられるものではない。作品に流れている叙情的な雰囲気は共通しているし、人間を感傷的に描き出しているところも同じだ。要するに、人間の心のふれあいに拘っている。

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(海運橋<第一銀行雪中>)

海運橋は、日本橋川から枝分かれした掘割にかかっていた。いまの兜町界隈にあたる場所だ。この橋の袂に、三井が一族の新たな拠点として「三井ハウス」を建てた。変則五階建ての、実に威風堂々たる建物で、俄に東京名所が一つ生まれたといって騒がれた。

カール・シュミットにとって、政治をめぐる議論のなかでもっとも我慢がならないのは自由主義的政治論だ。民主主義はまだ我慢ができる。民主主義なら、シュミットが主張する主権者の議論とか独裁とも両立する。民主主義から独裁が生まれた歴史的な例もある(フランス革命におけるジャコバン独裁)。ところが、自由主義からは絶対に独裁は生まれない。独裁と自由主義的政治体制は、水と油の関係、というより両立不可能な対立関係にある。そこでシュミットは、ケルゼンとかラスキの自由主義的議論を目の仇にするわけだが、自由主義的な立憲主義の元祖といわれるモンテスキューについては、かなり屈託した思いを抱いているようだ。基本的には批判しながらも、その歴史的意義については一定の理解を示している。

安藤昌益の仇討批判

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ハーバート・ノーマンの安藤昌益論(「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」大窪愿二編訳)を読んでいたら、昌益が仇討制度に厳しい批判を加えている部分に出会った。仇討というのは古い歴史を持ち、日本人の生き方の根幹にかかわるようなもので、簡単に批判しておさまるという性質のものではないが、昌益はその仇討の、制度としての側面に注目してこれを批判したようである。徳川時代の仇討は、人間の自然の感情から行われたというよりも、社会制度の根幹をなすものとして、それ故道徳的な要請として、人々に外部から強制される側面をもっていた。昌益が批判したのは、そうした強制を伴った制度としての仇討だった、ということがノーマンの文章からは、かすかながら、伝わってきた。

蛇性の婬(九):雨月物語

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 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ、かうかうの恐しき事あなり、これいかにして放<さけ>なん、よく計り玉へといふも、背にや聞くらんと聲を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を青くして歎きまどひ、こはいかにすべき、こゝに都の鞍馬寺の僧の、年々熊野に詣づるが、きのふより此の向岳の蘭若<てら>に宿りたり。いとも驗なる法師にて凡そ疫病、妖災、蝗などをもよく祈るよしにて、此の郷の人は貴みあへり。此の法師請へてんとて、あはたゝしく呼びつげるに、漸して來りぬ。しかしかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、これらの蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。必靜まりおはせとやすげにいふに、人々心落ちゐぬ。

男はつらいよ:山田洋次

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「男はつらいよ」シリーズは、1969年から1995年までの26年間にわたり48本の作品が作られた。日本はもとより世界的に見ても、息の長い人気を誇ったシリーズで、ギネスブックにも登録されたほどだ。なぜこんなにも長い間、高い人気を誇ったのか。それを明らかにするためには、改めて全作品に目を通したうえで、多角的な視点から構造的な分析を施す必要があると思うが、筆者は一映画ファンに過ぎないので、とりあえず、第一作を見た限りでの印象を述べてみたいと思う。

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(上野公園画家写生)

上野の寛永時は徳川家の菩提寺として開かれ、徳川時代にも花見など節目節目に、境内地の一部が庶民に解放されていたが、維新後そのすべてが公園として全面解放された。正式名称を「恩賜上野公園」というのは、徳川家ではなく皇室より下賜されたということを強調するためである。

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ダンテとヴィルジリオは煉獄の門に向かって進む。門の前には三段の階段があり、その上に天使が坐している。天使はダンテらを誰何し、彼らが天の淑女(ベアトリーチェ)の計らいによってここまで来たことを知るや、煉獄の門に導くべく、彼らを進ましむ。

新潟県知事選の意味

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新潟県知事選挙で、原発の強引な再稼働に反対の姿勢を示している米山氏が当選した。民進党が立候補を見送り、自民党候補との直接対決に直面した氏を支えたのは、共産・社民・自由の弱小政党だったが、氏の勝利はそうした政党間の対立を超えて、県民の広い支持に支えられたものだったといってよい。これで、原発の再稼働に異議申し立てをする知事が、鹿児島県に続いて二人目になったわけだ。新潟の場合には、巨大な柏崎刈羽原発を抱えているだけに、その政治的な影響は大きい。

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「ヴァージナルの前に座る女」は、「ヴァージナルの前に立つ女」とともに、フェルメール最晩年の作である。どちらも、ヴァージナルを前にしていること、二人とも全く同じ衣装を着ていることなどが共通している。ただし、ヴァージナルの位置が違う。一方は窓を背にしているのに対して、もう一方は窓の下に置かれている。この窓のある部屋は、「リュートを持つ女」と同じである。

おおきなかぶ、むずかしいアボカド

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村上春樹の「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」は、2009年の春から一年間、女性向け雑誌 anan に連載したエッセーを集めたものである。村上は2000年の春から一年間、やはりこの雑誌のためにエッセーを連載しているから、ほぼ10年ぶりの再開ということになる。村上はこの雑誌を、エッセー発表の媒体として気に入ったのだろう。

Swamp of Crazy

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最近バラク・オバマの言動が過激になっている。先日はプーチンを罵って「お前は間抜けなロバだ」とか「くされちんぽ」だとか、普通なら聞くに耐えない言葉を発したが、今度はドナルド・トランプをさして、「Swamp of Crazy(きちがい沼)からやってきた」と罵った。

蛇性の婬(八):雨月物語

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明けの日大倭の郷にいきて、翁が惠みを謝し、且つ美濃絹三疋、筑紫綿二屯を遺り來り、猶此のものゝけの身禊し玉へとつゝしみて願ふ。翁これを納めて、祝部らにわかちあたへ、自らは一疋一屯をもとゞめずして、豐雄にむかひ、かれ、なんじが秀麗にたはけてなんぢを纒ふ。なんぢ又、かれが假の化に魅はされて丈夫<ますらを>心なし。今より雄氣してよく心を靜まりまさば、此らの邪神を逐<やら>はんに翁が力をもかり玉はじ。ゆめゆめ心を靜まりませとて実<まめ>やかに覺しぬ。豐雄夢のさめたるこゝちに、禮言尽きずして歸り來る。金忠にむかひて、此の年月かれに魅はされしは己が心の正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の覊ならんは由縁なし。御惠みいとかたじけなけれど、又も參りなんとて、紀の國に歸りける。

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ブニュエルは「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」で、ヨーロッパのブルジョワたちの不道徳な生き方をあっけらかんとしたタッチで描いたのだったが、その続編ともいうべき「欲望のあいまいな対象(Cet obscur objet du désir)」は、不道徳な欲望そのものが生き方を支配するに至った、呪われた無信仰者をウェットなタッチで描き出した。異星人がこの映画を見れば、地球人の本質がわかるだろう、そんなブニュエルの思いが込められた作品だ。

プミポン後のタイ

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タイの国民統合のシンボルとして絶大な影響力を持ちつづけて来たプミポン国王が死んだ。普通なら憲法の規定にしたがって速やかに王位継承の儀となるところだが、その王位継承が当分延期されることとなった。軍事政権の説明では、ヴァジラロンコン皇太子から、当分は喪に服したいので王位継承を延期したいとの申し出があったとされているが、その真偽を巡っては様々な憶測が流れているようだ。日本のメディアではそれを取り上げるものがないので、主に欧米系のメディアを通じて知るほかはないが、ここではそんな憶説の幾分かについて取り上げてみたい。

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(不忍池畔雨中)

不忍池は、谷中方面から流れてきた藍染川の水を溜めたものである。かつては、その水が隅田川に流れ出し、池の水は年中入れ替わっていた。だから水質もよかったわけだ。

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眠るダンテは、一羽の鷲が富んできて、彼をかかえて大空を飛ぶ夢を見る。目覚めると脇にはヴィルジリオがいて、ダンテが寝ていた時におきたことを語る。聖ルチーアが眠れるダンテを抱き、煉獄の入り口まで運んでくれたというのだ。

瀬戸内寂聴尼はバカか?

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朝日の今日(10月14日)付の朝刊に、瀬戸内寂聴尼が「バカは私」と題する一文を寄せている。先日、日本弁護士会が死刑廃止を訴える集会を催した際にメッセージを寄せた、そのなかで死刑制度を進める人々を「殺したがるバカ」と言ったつもりが、それが犯罪被害者の家族に向けた言葉と誤解されて大いに批判された。自分としてはそういったつもりは全くなかったのだが、「そんな誤解を招く言葉を94歳にもなった作家で出家者の身で、口にする大バカ者こそ、さっさと死ねばいいのである。耄碌のせいなどと私は逃げない。お心を傷つけた方々には、心底お詫びします」と恐縮されていた。

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フェルメールは、楽器を演奏する女性の姿を描くのが好きで、最晩年になってもなおそうした姿を描いた。ヴァージナルを演奏している女性を描いた二つの作品がそれだ。これはその一つ、「ヴァージナルの前に立つ女」である。一人の女性が、ヴァージナルの前に立ち、両手を鍵盤に置きながら、顔をこちら側に向けている。フェルメール好みのポーズだ。

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ルイス・ブニュエルが1972年に作った「ブルジョワジーの秘かな愉しみ(Le Charme discret de la bourgeoisie)」は、現代人の虚妄振りを描き続けてきたブニュエルにとって、中間決算のようなものといえる。ここでブニュエルは、現代人の虚妄のカタログから、愚かしさ、不道徳、無信仰といったものに加え、好色、貪欲、暴力といったさまざまな要素を取り混ぜて料理している。まさに七つの大罪のオンパレードといったところだ。ひとつ嫉妬が含まれないのは、飽食した現代人には、嫉妬の感情は無縁になった、とブニュエルが考えたためだろう。

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(今戸橋茶亭の月夜)

今戸橋は山谷堀が隅田川に注ぐところにかけられた橋だ。かつて吉原が遊郭として賑わった頃には、この橋を猪牙舟に乗ってくぐり、山谷堀を溯上して吉原に向かうというのが通の遊び人のやり方だった。端唄の深川節にも、「かごでゆくのはふかがわ通い、ちょきでゆくのはよしわら通い」とある。

カール・シュミットの独裁論

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カール・シュミットが「独裁」を刊行したのは1921年のこと、「政治的ロマン主義」(1919)と「政治神学」(1922)にはさまれた時期である。この著作を通じてシュミットが本当に目指していたのは、「独裁」を例外状態における主権者の行為として正当化することだったと思うのだが、表向きにはそこまでは主張していない。とりあえず独裁というものに、政治的・公法的な存在意義を付与しようという意気込みだけが伝わってくるように書かれている。独裁をめぐる価値論ではなく、独裁の存在論というべき議論が、この著作の表向きの風貌なのである。

蛇性の婬(七):雨月物語

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 三月にもなりぬ。金忠豐雄夫婦にむかひて、都わたりには似るべうもあらねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細<なぐはし>の吉野は春はいとよき所なり。三船の山菜摘み川常に見るとも飽かぬを、此の頃はいかにおもしろからん。いざ玉へ出で立ちなんといふ。眞女兒うち笑ひて、よき人のよしと見玉ひし所は、都の人も見ぬを恨みに聞こえ侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、必気のぼりてくるしき病あれば、從駕<みとも>にえ出で立ち侍らぬぞいと憂たけれ、山土産必ず待ちこひ奉るといふを、そはあゆみなんこそ病も苦しからめ、車こそもたらね、いかにもいかにも土は踏ませまいらせじ。留まり玉はんは豐雄のいかばかり心もとなかりつらんとて、夫婦すゝめたつに、豐雄もかうたのもしくの玉ふを、道に倒るゝともいかでかはと聞ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、眞女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。

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ルイス・ブニュエルの映画「哀しみのトリスターナ(Tristana)」は、フランス資本で作られたフランス映画ということになっているが、舞台はスペインだし、カトリーヌ・ドヌーヴはじめ登場人物はすべてスペイン語をしゃべっているので、実質的にはスペイン映画と言ってよい。だが、映画の内容には、スペインを舞台に選ばねばならぬ決定的な理由はない。フランスを舞台にして、フランス語をしゃべっていてもなんら問題はないわけだ。なのに何故ブニュエルは、こんな手の込んだことをやったのか。その理由は、やはりこの映画の不道徳なところにあるようだ。ブニュエルはフランスで映画造りを再開して以来、フランス人の愚かさや不道徳さや無信仰ぶりを執拗に描いてきたわけだが、それがフランス人の愛国感情に触れた側面もあった。だからまたしも同じようなことをして、フランス人を怒らしては、今後フランスで映画造りを続けられなくなる恐れがある。そこでブニュエルは、日頃フランス人に対して抱いていた皮肉な感情を、そのまま祖国のスペイン人に投影して、わずかに自分の創作意欲を満足させようとしたのではないか、どうもそんなふうに受け取れる。

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(御茶水蛍)

これはお茶の水付近の神田川での蛍狩りの様子を描いた図柄。風景は闇に沈んでよく見えない。ただ闇の中に無数に飛び回る蛍の光と、それを水上から追いかける船の明かりが見えるだけだ。

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煉獄山の麓を行くダンテとヴィルジリオの前に一人の亡霊が現れる。ヴィルジリオの故郷マントゥアの人ソルデッロの霊であった。ソルデッロはヴィルジリオと出会ったことを大いに喜び、彼ら二人を案内することを引き受ける。だが、煉獄山では夜歩くことはかなわぬ故といって、さる山ふところの緑地に二人を連れてゆく。そこで二人は、身分の高い人々の亡霊たちが集まっているのを見た。

信仰の寓意:フェルメールの女性たち

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「信仰の寓意」は、「絵画芸術」とよく比較される。どちらもフェルメールとしては非常に大きな画面であること、また構図的にも非常に似ていることが、主な理由である。構図については、これが同じ部屋の中を、同じ角度から描いていることがわかる。小道具の種類や置き場所については異同があるが、天井と床、それに左手の分厚いカーテンなど、全く同じ場所であるし、遠近法の演出方法も同じである。

村上ラジオ

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「村上ラジオ」は、2000年の春から一年間、女性向け雑誌「anan」に連載されたエッセーを集めたものである。この雑誌は若い女性をターゲットにしたもので、そういう点ではかなり特殊な読者層向けの雑誌といってよいが、村上はそれまでも、「アルバイトニュース」とか、それ以上に特殊な読者向けの雑誌にエッセーを連載する癖があったので、そんな彼にとってこれは別に変ったことではなかったようだ。誰が読者なのか、そんなことは気にならないといった様子で、自分の書きたいことを淡々と書いているといった雰囲気が伝わってくる。

蛇性の婬(六):雨月物語

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 二郎の姉が家は石榴市といふ所に、田邊の金忠といふ商人なりける。豐雄が訪らひ來るをよろこび、かつ月ごろの事どもをいとほしがりて、いついつまでもこゝに住めとて、念比に勞<いたは>りけり。年かはりて二月になりぬ。此の石榴市といふは、泊瀬の寺ちかき所なりき。佛の御中には泊瀬なんあらたなる事を、唐土までも聞えたるとて、都より邊鄙より詣づる人の、春はことに多かりけり。詣づる人は必ずこゝに宿れば、軒を並べて旅人をとゞめける。

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スペイン人として隣国の民フランス人の愚かさや不道徳振りをあばき続けてきたルイス・ブニュエルは、「銀河(La Voie lactée)」では、フランス人の無信仰について、もしそう言ったら言い過ぎになるなら、フランス人の信仰の欺瞞性について暴きだした。もっとも(この映画のなかで描かれた)フランス人はカトリックであるから、その欺瞞性をあばくことは、同じカトリック教徒であるスペイン人に跳ね返ってこないとも限らない。どちらにしてもブニュエルは無神論者なので、その立場から見た宗教の欺瞞性を、この映画のなかで描き出したともいえよう。

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(柳島日没)

柳島は、横十間川と北十間川の合流地点をさす。地形的には島ではないが、北側と東側を川で仕切られているために、島のような雰囲気を湛えていた。そこに柳が生えていたことから、柳島と呼ばれるようになったわけだ。この柳は落語の柳派の語源ともなった。この地の一角に法性寺という寺があるが、そこがかつては柳派の落語の拠点だったのである。

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ダンテとヴィルジリオが煉獄山の台地を上ってゆくと、大勢の亡霊と出会う。彼らは、臨終に際してからくも悔悛した者たちの霊なのであった。彼らは、ダンテが亡霊とは違って、生きた人間であることを知ると、是非とも自分たちの願いをかなえたいと迫ってきた。その願いとは、生きて再び地上に戻ったなら、自分の愛する者たちを訪ねて、自分のために祈って欲しいというものだった。

テレサ・メイの国家主義的傾向

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EU離脱問題の混乱がきっかけでキャメロンの後継者に収まったテレサ・メイ(写真、Economist から)だが、その政治的スタンスはいまひとつ明確ではなかった。その彼女が10月5日の保守党大会で、自分の政治スタンスを明らかにした。それは一言で言うと国家中心主義ともいえるようなものだ。

絵画芸術:フェルメールの女性たち

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「絵画芸術」の制作年代については、説が分かれている。構図上の類似性から「合奏」と同じ頃、1660年代の半ば過ぎだとする説と、最晩年に近い頃だとする説とがある。前者は、構図や彩色に完成度の高さが見られるのは、最晩年ではなく円熟期に属する証拠だと主張し、後者は、フェルメールはこの絵を寓意画として描いたのであり、その意図がこの絵の完成度を推し進めたのだと解釈する。ここでは、最晩年に属する一点と考えたい。

昼顔(Belle de Jour):ルイス・ブニュエル

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スペイン人であるルイス・ブニュエルは「小間使いの日記」でフランス人の愚かさを描いたが、「昼顔(Belle de Jour)」では、愚かさに加えフランス人の不道徳な生き方を描いた。ブニュエルの目にはフランス人はとことん不道徳に映ったようだ。といってもブニュエルは、なにも特別なことをことさらに描いたわけではない。フランス人にとってはごく日常的でありふれたことを描いたに過ぎない。それでも出来上がった作品は十分な不道徳さを感じさせる。フランス人は生きながらにしてそのまま不道徳な人間だからだ、そんなブニュエルの思いが、この映画からは伝わってくる。

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(両国雪中)

今でこそ両国といえば両国橋の東側である墨田区の地名になっているが、徳川時代から明治初期にかけてまでは、両国橋をはさんだ東西の両方をさして両国と言った。西両国は繁華な市街地を形成し、東両国は回向院の相撲をはじめ、見世物や興行を行う小屋が立ち並んでいた。

カール・シュミット「政治神学」

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「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」。これは、カール・シュミットの著作「政治神学」の冒頭の文章だ(田中浩、原田武雄訳)。この文章でシュミットは、政治の本質を簡略に表現している。シュミットはこのように簡潔で断定的な文章を通じて自分の思想を表現しようとする傾向が強い。まず断定することが大事なので、その意味するところは追々説明してゆけばよい、というスタンスである。

蛇性の婬(五):雨月物語

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 豐雄漸此の事を覺り、涙を流して、おのれ更に盗をなさず。かうかうの事にて縣の何某の女が、前の夫の帶びたるなりとて得させしなり。今にもかの女召して、おのれが罪なき事を覺らせ玉へ。助いよゝ怒りて、我が下司に縣の姓を名のる者ある事なし。かく僞るは刑ますます大なり。豐雄、かく捕はれていつまで僞るべき。あはれかの女召して問はせ玉へ。助、武士らに向ひて、縣の眞女子が家はいづくなるぞ、渠を押て捕へ來れといふ。

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ルイス・ブニュエルは第二次大戦後、メキシコとスペインで映画を作ったあと、1963年にフランスにやってきて、以来フランスで映画を作り続けるようになる。ブニュエルはスペインの生まれであり、メキシコでも活躍しているのだが、一応フランスを代表する映画作家の一人に数えられている。それは初期の作品とともに、晩年の多くの作品をフランスで作ったことにもとづいている。「小間使いの日記(Le Journal d'une femme de chambre)」は、フランス復帰後最初に作った映画である。

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(二重橋前騎馬兵 明治九年)

現在の二重橋は、堀前の広場から見て、手前が石橋、奥が鉄橋になっている。橋の正式名称は、手前が西丸大手橋、奥が西丸下乗橋といい、奥のほうを本来の二重橋と言うが、通常は二つを合わせて二重橋と呼ばれることが多い。

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前図に引き続き、煉獄山の台地を描く。左手に小さく見えるのがダンテとヴィルジリオ。第四曲の様子を描いたものと言える。

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「ギターを弾く女」は、フェルメールの最晩年に近い頃(1670年代初め)の作品だと考えられる。最晩年のフェルメールは、全盛期に比べて構図に締りがなくなり、彩色技術にも手抜きが目立つという厳しい評価があるが、この絵はそうした評価が(残念ながら)あてはまる作品だと言えよう。

宇野重規「保守主義とは何か」

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政治学の文脈で保守主義が論じられるときには、だいたいエドマンド・バークへの言及から始まることが多い。バークはフランス革命を批判したことで知られる。フランス革命を批判することでバークは、急激な変革ではなく漸進的な改革のほうが好ましいということを主張するとともに、フランス革命のようなドラスティックな変革によって伝統的な価値が破壊されることに反対した。世の中には守り伝えるべき価値というものがあり、それは革命によって破壊されるべきではない、と主張したわけである。バークにとってその価値とは、名誉革命によって確立されたイギリス政治の自由主義的な伝統であった。

蛇性の婬(四):雨月物語

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 母豐雄を召して、さる物何の料に買ひつるぞ。米も錢も太郎が物なり。吾主が物とて何をか持たる。日來は爲すまゝにおきつるを、かくて太郎に惡まれなば、天地の中に何國に住むらん。賢き事をも斈<まな>びたる者が、など是ほどの事わいためぬぞといふ。豐雄、実に買ひたる物にあらず。さる由縁有りて人の得させしを、兄の見咎めてかくの玉ふなり。父、何の譽ありてさる寶をば人のくれたるぞ。更におぼつかなき事。只今所縁かたり出でよと罵る。豐雄、此事只今は面俯なり。人傳に申し出で侍らんといへば、親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと聲あらゝかなるを、太郎の嫁の刀自傍へにありて、此の事愚かなりとも聞き侍らん。入らせ玉へと宥むるに、つひ立ていりぬ。

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ルイス・ブニュエルは第二次大戦後メキシコへ渡り、そこで低予算映画を何本か作った。1950年の作品「忘れられた人々(Los Olvidados)」はその代表作である。メキシコ・シティの下層社会を描いたこの映画は、よくイタリアのネオ・レアリズモと比較される。社会の底辺で貧困にあえぐ人々の生き方をドライなタッチで描いていることに共通性があるからだ。しかし同じ貧困といっても、戦後のイタリアとメキシコでは根本的に異なる。戦後のイタリアは戦火の打撃からまだ回復できず、いわば戦争の犠牲者たちが一時的に貧困状態に陥っていたのに対して、メキシコの貧困は恒常的なものだ。それはメキシコ社会の根本的なあり方を表している。だからそれを正面から描き出すことは、メキシコへのドラスティックな批判を伴わざるを得ない。

物流の理念を聞く

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四方山話の連中と新橋の古今亭で例会をやった。会場に着いてみると三階の狭い仕切りの部屋に案内され、そこには浦・柳の両子が先に来ていた。席が五人分しか用意されていないので、今日は随分少ないねというと、石子が詰めの手を抜いたんだろうと浦子が言う。今日は石子が自分史を語る番なので、人を糾合するのがためらわれたんではないかと言うのである。そのうち当の石子が来たので事情を聴くと、こんなもんじゃないのか、と涼しい顔をしている。俺のところに参加通知がきたのはこれだけさ、と。だが実際に蓋をあけてみると、参加通知のなかったものも現れ、最終的には八人になった。上述の四人のほか、岩、六谷、小、梶の諸子である。

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(東京小梅曳船夜図 明治九年)

現在向島の曳舟通りになっているところは、以前は川が流れていた。この川はもともと亀有上水として、利根川の水を江戸市中に供給することを目的に掘られたものだ。その水路を利用して、船による物資の運搬も行われた。川が狭いこともあって、船は両河岸から綱で引っ張って動かした。これを曳舟というが、そこからこの水路を曳舟川というようになった。その名残が曳舟という地名や通り名になっているわけだ。(ちなみに昔の向島区役所は、この曳舟通りの近くにあった)

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煉獄山の麓にいるダンテとヴィルジリオは、いよいよ山を登ることとなる。山は大きく二つの部分からなり、上層は七つの大罪に応じた罪人が悔い改めるために配置されている。その下の部分は、上層への取りつきとなっているが、これは二つの台地の層からなっている。この台地の層を上りつめると、ペテロの門があって、これをダンテらは潜って煉獄山の本体へとアクセスする。

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