臨終に際してからくも悔恨したものたち:ブレイクの「神曲」への挿絵

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ダンテとヴィルジリオが煉獄山の台地を上ってゆくと、大勢の亡霊と出会う。彼らは、臨終に際してからくも悔悛した者たちの霊なのであった。彼らは、ダンテが亡霊とは違って、生きた人間であることを知ると、是非とも自分たちの願いをかなえたいと迫ってきた。その願いとは、生きて再び地上に戻ったなら、自分の愛する者たちを訪ねて、自分のために祈って欲しいというものだった。

 かゝる間に、山の腰にそひ、横方より、かはるがはる憐れみたまへ、憐れみたまへを歌ひつゝ、我等のすこしく前に來れる民ありき 
 彼等光のわが身に遮らるゝをみしとき、そのうたへる歌を長き嗄れたるあゝに變へたり 
 しかしてそのうちより使者とみゆるものふたり、こなたにはせ來り、我等にこひていふ。汝等いかなるものなりや我等に告げよ。 
 わが師。汝等たちかへり、汝等を遣はせるものに告げて、彼の身は眞の肉なりといへ 
 若しわが量るごとく、彼の影を見て彼等止まれるならば、この答へにて足る、彼等に彼をあがめしめよ、さらば彼等益をえむ。 
 夜の始めに澄渡る空を裂き、または日の落つるころ葉月の叢雲を裂く光といふとも、そのはやさ 
 かなたに歸りゆきし彼等には及ばじ、さてかしこに着くや彼等は殘れる者とともに恰も力のかぎり走る群の如く足をこなたに轉らせり 
 詩人曰ふ。我等に押寄する民數多し、彼等汝に請はんとて來る、されど汝止まることなく、行きつゝ耳をかたむけよ。 
 彼等來りよばはりていふ。あゝ幸ならんため生れながらの身と倶に行く魂よ、しばらく汝の歩履を停めよ 
 我等の中に汝嘗て見しによりてその消息を世に傳ふるをうる者あるか、噫何すれぞ過行くや、汝何すれぞ止まらざるや 
 我等は皆そのかみ横死を遂げし者なり、しかして臨終にいたるまで罪人なりしが、この時天の光我等をいましめ 
 我等は悔いつゝ赦しつゝ、神即ち彼を見るの願ひをもて我等の心をはげますものと和らぎて世を去れるなり。 
 我。われよく汝等の顏をみれども、一だにしれるはなし、されど汝等の心に適ひわが爲すをうる事あらば、良日の下に生れし靈よ 
 汝等いへ、さらば我は、かゝる導者にしたがひて世より世にわが求めゆく平和を指してこれをなすべし(煉獄篇第五曲から、山川丙三郎訳)


絵は、ダンテとヴィルジリオの前に現れた亡霊たちを描く。ダンテが亡霊たちを暖かく迎えるのに対して、ヴィルジリオは両手を上げて彼を制している。








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