カール・シュミットの独裁論

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カール・シュミットが「独裁」を刊行したのは1921年のこと、「政治的ロマン主義」(1919)と「政治神学」(1922)にはさまれた時期である。この著作を通じてシュミットが本当に目指していたのは、「独裁」を例外状態における主権者の行為として正当化することだったと思うのだが、表向きにはそこまでは主張していない。とりあえず独裁というものに、政治的・公法的な存在意義を付与しようという意気込みだけが伝わってくるように書かれている。独裁をめぐる価値論ではなく、独裁の存在論というべき議論が、この著作の表向きの風貌なのである。

シュミットがこの著作を書いた頃までは、独裁は専制とほぼ同じような意味で捉えられていた。このような捉え方を前提としては、独裁にはマイナスイメージしか残らない。それを統治の一つのスタイルとして合理化することなどはできない。独裁を積極的に論じることは法外な行為となる。これは、独裁を統治の有効なスタイルとして合理化したいシュミットにとっては不都合なことである。それ故彼はこの著作において、独裁は専制とはまったく異なったものであり、しかもある特定の政治状況、それをシュミットは例外状態とか非常事態とかいうのだが、そうした国家の存続が危ういような状態においては、一定の積極的な意義を持つのだということをまず証明しようとする。彼はその証明を、理論的な論証によってではなく、歴史を繙くことによって成し遂げようとする。その歴史とは、ローマの法制の歴史であり、近世のヨーロッパ諸国における君主権の委任の歴史といったものだ。それらを細かく分析することでシュミットは、ヨーロッパの公法史ないし政治史において、独裁が古くから一定の存在意義を持ち続けてきたことをあぶり出し、そのことを通じて現代政治において独裁の持つ政治的意義を明らかにしようと試みたといえる。

こんなわけでシュミットは、まずローマの独裁官からはじめ、近世のドイツにおけるコミサールとかフランス革命期における人民委員とかの歴史的な分析に従事するのであるが、それがこの本の大部分を占めている。したがってこの本は、瑣末な歴史的出来事にあまりにも拘っているといった印象を与え、読んで楽しいものではない。

以上の分析を踏まえてのシュミットのとりあえずの結論は、彼が取り上げたこれらの独裁がいづれも委任独裁だったということだ。委任独裁というのは、独裁者のほかに主権者がいて、独裁者はその委任を受けて独裁的な統治にあたるという意味である。これは形容矛盾のように聞こえるが、シュミットはそれが形容矛盾などではなく、ヨーロッパの政治史上立派な統治形態であったということを、ローマの公法の分析から取り出す。ローマ公法においては、独裁官の規定があって、その規定には独裁官は主権者の委任を受け、限定された期間に独裁的な権限を揮うことが規定されていた。

つまり、委任を受けた独裁者こそ、ヨーロッパにおける独裁の歴史的なあり方だったと主張するわけである。独裁について最初に理論的な考察を行ったのはボダンだというのが学者の常識になっているが、ボダンが独裁の概念で説明したのも、まさに委任独裁であったわけで、しかがって委任独裁は、ヨーロッパの政治史においては珍しくないことだった、というわけである。

シュミットの狡猾なところは、この委任独裁の概念から一足飛びに主権独裁の概念を引き出すことにある。委任独裁は歴史の分析から導き出された、いわば帰納的な概念だが、主権独裁のほうは、純論理的な操作によって導き出された演繹的な概念である。委任を受けた独裁が現実にありうるなら、委任を受けない独裁があってもよい、というか理論上ありえないことではない。また、委任独裁にはかならず期間の限定が含まれており、したがって期間限定の独裁として、その役割を終えれば速やかに解消されるべきだとされていたわけだが、独裁者に無期限無限定な権限行使を許すことだって、理論上はありえないことではない。こういう理屈を振りかざしてシュミットは、主権独裁に理論的な根拠を付与するとともに、それに現実的な基盤をも与えようというわけである。

その現実的な基盤とは、シュミットがこの著作を書いた頃のドイツの政治的な状況と関連している。その頃のドイツは第一次大戦の敗戦の結果、国際的には孤立無援の状態、いわば準戦争状態にあり、国内的には社会主義勢力の台頭によって政治が極端に不安定になっていた。そうした状況では、自由主義的な議会政治では難局に対応できない。ここは強力な独裁者が出現して、国を強権的にまとめるしかドイツの生き残る道はない、そうシュミットは考えて、主権独裁にはドイツの現実に対応するためという立派な理由がある、それが主権独裁の、少なくともドイツにおける、現実的な基盤をなしている、そうシュミットは主張したわけである。

だがシュミットはこの本の中では、主権独裁の概念を詳細には定義していない。また、ドイツにおいて主権独裁がどのように実現されるべきかについても、詳しくは言及していない。ただ本の最後の部分で、ワイマール憲法第48条の規定に言及し、この条項をテコとして主権独裁を確立するのが現実的な道筋だと匂わせているくらいである。

シュミットはその後、1922年の「政治神学」の中で主権者を詳細に定義し、主権者が国家の緊急事態において独裁者の形をとるのは必然だという流れに議論を切り替えてゆく。そして1924年の「大統領の独裁」において、ドイツにおける独裁実現の道筋を検討するようになるわけである。それがヒトラーの独裁を合理化する露払いの役目を果たしたことについては、多言を要しないところだろう。






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