プミポン後のタイ

| コメント(0)
タイの国民統合のシンボルとして絶大な影響力を持ちつづけて来たプミポン国王が死んだ。普通なら憲法の規定にしたがって速やかに王位継承の儀となるところだが、その王位継承が当分延期されることとなった。軍事政権の説明では、ヴァジラロンコン皇太子から、当分は喪に服したいので王位継承を延期したいとの申し出があったとされているが、その真偽を巡っては様々な憶測が流れているようだ。日本のメディアではそれを取り上げるものがないので、主に欧米系のメディアを通じて知るほかはないが、ここではそんな憶説の幾分かについて取り上げてみたい。

まず、ヴァジラロンコン皇太子の資質や素行の悪さを指摘するものが、タイの内外では多いということがある。彼はこれまで四度も結婚したが、離婚した妻やその親族にひどい仕打ちをした。そのため、子どもたちの何人かは海外での実質的な亡命生活を余儀なくされている。2007年には、半裸の女とプードルを相手にパーティを催した。彼はある時自分の裸の背中を見せたことがあったが、その背中には大きな刺青が彫ってあった、等々といった噂である。

そうした噂が流されているということは、皇太子が国民から敬愛されていないことの現れで、皇太子は王位を継承する資格がないのではないか、という意見も多方面から寄せられているようだ。軍事政権のプラユト首相は、いまのところ公然と皇太子を放逐する意図を見せていないようだが、政権の周囲では、皇太子ではなく、シリントン王女を王位につけたい、という観測も流れている。だがそれには憲法上の大きなハードルがある。憲法では、国王が生前後継者に指名したものが皇太子として王位を継ぐことになっており、いまのところその要件を満たしているのはヴァジラロンコンだけだからである。タイでは国王の意思は神聖不可侵と考えられているから、国王の意思を無視するにはある種の革命を経る必要がある。

軍事政権とその背後にあるタイのエスタブリッシュメントにとって最大の悩みは、ヴァジラロンコン皇太子がタクシン派と親しい間柄にあるということだ。これまでのタイでは、タクシン派の勢力が強まりエスタブリッシュメントが脅威を感じるたびに、軍部がクーデターを起こしてきた。そのクーデターは、プミポン国王の実質的な支持があったから成立した。いくら軍部でも、国王の反対を押し切ってまで政権を倒すためのクーデターはおこせない、というのが事情通の見方だ。

ヴァジラロンコンが新国王になり、そのもとでタクシン派が勢力を取り戻す事態は、タイのエスタブリッシュメントにとって悪夢のような事態である。それ故、新国王がタクシン派に親和的であるという前提では、その国王を戴けない。かといって、皇太子を追放することはむつかしく、まして自分らの気に入ったシリントン王女を無理に国王に戴くわけにもいかない。大きなジレンマを、タイのエスタブリッシュメントは抱えているわけである。

だから、現在の状態はある種の休戦状態のようなものだともいえる。その間にエスタブリッシュメントと国王の間で妥協を成立させ、国王がエスタブリッシュメントの利害を損なわないよう保証させる、そういう努力が今後なされるのだろうと思われる。なにしろ王室自体がタイ最大のエスタブリッシュメントとして、タイ経済に深くアタッチしている。エスタブリッシュメントを揺るがすことは、タイ王室にとっても、かならずしも得策ではないのである。







コメントする

アーカイブ