哀しみのトリスターナ(Tristana):ルイス・ブニュエル

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ルイス・ブニュエルの映画「哀しみのトリスターナ(Tristana)」は、フランス資本で作られたフランス映画ということになっているが、舞台はスペインだし、カトリーヌ・ドヌーヴはじめ登場人物はすべてスペイン語をしゃべっているので、実質的にはスペイン映画と言ってよい。だが、映画の内容には、スペインを舞台に選ばねばならぬ決定的な理由はない。フランスを舞台にして、フランス語をしゃべっていてもなんら問題はないわけだ。なのに何故ブニュエルは、こんな手の込んだことをやったのか。その理由は、やはりこの映画の不道徳なところにあるようだ。ブニュエルはフランスで映画造りを再開して以来、フランス人の愚かさや不道徳さや無信仰ぶりを執拗に描いてきたわけだが、それがフランス人の愛国感情に触れた側面もあった。だからまたしも同じようなことをして、フランス人を怒らしては、今後フランスで映画造りを続けられなくなる恐れがある。そこでブニュエルは、日頃フランス人に対して抱いていた皮肉な感情を、そのまま祖国のスペイン人に投影して、わずかに自分の創作意欲を満足させようとしたのではないか、どうもそんなふうに受け取れる。

この映画は、スペインの落ちぶれた貧乏貴族が、妾の死後未成年だったその娘を引き取り、彼女を後添えにするという話だ。未成年の娘は、最初は男の言うままになっているが、やがて自我が芽生えるにしたがって、男との関係を嫌悪するようになる。その時に若い画家と出会って一目惚れし、駆け落ちをするものの、二年後に舞い戻ってくる。その時に脚に腫瘍のできていた彼女は脚を切断するという不幸に見舞われる。そこでその不幸を償わせるかのように、彼女は男につらくあたり、ついには死につつある男を見殺しにするという形で、復讐するのである。

妾の連れっ子に手を出すというのは、日本では「親子丼」といってよくあることだ。だがフランスやスペインなどのカトリック国では、妾を蓄えることが禁止されているうえに、妾の子どもにまで手を出すのは人倫に悖る獣のような行為だと受け取られている。そんな行為を正面から描いたこの映画はだから、フランス人にもスペイン人にも、度肝を抜かれるような不道徳として映ったに違いない。

カトリーヌ・ドヌーヴ演じるトリスターナという女の名前には、「哀しみ」という意味が含まれている。この少女は哀しい星のもとに生まれたようで、まだ分別のつかない頃から、男の性的快楽の餌食にされた。その哀しい運命は、あらかじめ彼女のものとして、名前にも刻まれていたと言わんばかりである。この映画にはまた、サトゥルナとサトゥルノという名の姉弟が出てくる。英語で言えばサタンであり、普通は人の名につけられるものではない。

冒頭の場面で、スペインの古風な街が、上空から映しだされる。どこかで見たことのある眺めだと思いながら、しばらく考えているうち、エル・グレコの描いたトレドの町にそっくりだと思い当たった。そのエル・グレコよって描かれた16世紀末とほとんど変らぬ姿で、トレドの町がタホ川のほとりに展開しているのである。映画はおそらくこの街を舞台にしているのだと思う。タホ川こそ出てこないが、坂道の多い起伏にとんだ地形や、古い石造りの街並が、中世以来の古い街トレドを感じさせる。この街にはおそらく、多くの貴族たちが住んでいたであろうし、そのなかにはこの映画に出てくるドン・ロペのような男もいたに違いないのだ。

カトリーヌ・ドヌーヴが妖艶な女を演じている。最初のころは、世の中の右も左もわからぬうぶな少女として、可憐な表情を見せているが、そのうち男を知って次第に大胆になり、最後にはその男を捨ててドン・ロペのもとに戻ってくる。その後の彼女は、もはやうぶな女ではない。自分の生涯を台無しにした上、脚まで失ったのはお前のせいだとばかり、ドン・ロペを責め続ける。以前はドン・ロペがトリスターナの絶対的な主人であったが、いまやその立場が逆転して、ドン・ロペがトリスターナの慈悲を乞うのだ。だが彼女は、ロペを許さない。最後には死ぬつつあるロペを見殺しにして、復習の満足感に浸る。その際の彼女の顔は、あたかも魔女のように残酷だ。

ドン・ロペを演じたスペイン人の俳優フェルナンド・レイが、経済学者のポール・クルーグマンによく似ている。髭までそっくりだ。






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