2016年11月アーカイブ

吉野の桜:西行を読む

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桜といえば真っ先に吉野の名が出るほどに、吉野は桜の名所として知られる。吉野に桜が植えられたのは平安時代からだというので、西行の時代にはその最初のブームが訪れたものと思われる。その吉野の桜を西行はこよなく愛し、夥しい数の歌を読んでは、その感慨を吐露している。感慨の内容は、桜の視覚的な美しさを歌ったものよりも、それが見るものの心に訴えるものを表現したというものが多い。

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ルイ・マルの1975年の映画「ルシアンの青春(Lacombe Lucien)」は、第二次大戦中、ドイツ占領下のフランスで、ナチスの手先となった卑劣なフランス人を描いたものである。こうした人々をフランス人は「対独協力者(Colaborateur)」と呼んで、近代史最大の恥としてきた。同じフランス人が、ドイツ人の手先となって、レジスタンス活動家をはじめ、ドイツ占領に抵抗する同国人を迫害したという事実、これはまさに民族の歴史の大いなる汚点であった。そんなこともあって、対独協力者の問題は、あまりおおっぴらに語られることはなかったし、映画で取り上げられることもなかった。フランス映画は、第二次大戦にはあまりかかわりたくないという姿勢が強かったのだが、なかでも対独協力者の問題は、腫物に触るような扱いを、戦後長い間受けていた。

トランプはアメリカ版ベルルスコーニ?

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アメリカでは今、トランプをベルルスコーニと比較するのが流行っているそうだ。ベルルスコーニもトランプ同様ビジネスマン上がりだったし、登場した時には誰からもまともに相手にされなかった。にもかかわらず、合計9年間にわたり、イタリアの政治を牛耳った。トランプもベルルスコーニ同様、長期政権を享受するのではないか、そうひそかに噂されているらしい。

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(大川富士見渡 明治十三年)

富士見の渡しは、今の蔵前橋のやや下流、蔵前工業高校と対岸の同愛記念病院あたりを結んでいた。船の上から富士がよく見えたことから、この名がついたと言われる。震災後に蔵前橋が架けられるまで、渡し舟は続いた。

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この挿絵には対応する部分がない。煉獄の螺旋階段を描いているところから、煉獄の構成について説明しているものとも思われ、その意味では、煉獄について説明している第十八曲に対応するといえなくもないが、ここでは煉獄を締めくくる最後の場所に置くこととする。

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「画家の家族(La famille du peintre)」は1911年に、「赤のアトリエ」を含むアトリエ四部作の一つとして描かれた。他の三作と比較して、この絵にはかなり違ったところがある。全体に装飾的だという印象は変らないが、ほかの三作が単純な色彩配置になっているのに、これはマニアックなほどに微細なタッチで描かれている。そういう点で、この時期のマティスの絵にしては、ユニークなものである。

信長、秀吉、家康は、日本の近世史を飾る英雄たちである。英雄はどの民族でも敬愛を集めるもので、その活躍は壮大な物語となって、民衆の心に生き続ける。日本人も例外ではなく、源平の英雄たちの興亡は平家物語を通じて語り継がれ、南北朝の興亡は太平記によって語られた。ところがこの三人については、そうした壮大な国民的叙事詩は何故か作られなかった。彼らの活躍ぶりを伝えたのは、ささやかな語り物であり、その延長としての講談であった。名もない大勢の講談師たちが、長い時間をかけてこの三人のイメージ作りを行ってきたというのが実相で、その営みは20世紀に入ってもなお引き継がれていたと言ってよい。この三人の英雄たちをめぐる司馬遼太郎の語り口もそうした営みの一つだった。司馬は大勢の講談師たちと日本近世の歴史観を共有していたわけである。

生けるトランプ死せるカストロを罵る

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キューバ革命の「英雄」フィデル・カストロが死んだことで、トランプがツイッターで吠えた。カストロを残忍な独裁者と呼び、彼の「業績」を「盗み、想像を絶する苦悩、貧困、基本的人権の否定」だったと断定した。

花の歌:西行を読む

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花と言えば桜、というほどに、日本人にとって桜は特別な花である。だが神代の昔からそうだったかと言えば、必ずしもそうとは言えないようである。万葉集には多くの花が歌われているが、そのうち最も多いのは秋に咲く萩で百四十二首、その次は梅で百十九首が歌われている。これに対して桜は四十六首である。数が少ないだけではない、万葉集で単に花と言えば、梅をさすのが殆どである。ということは、万葉の時代までは、梅が最も日本人に愛された花であり、桜はそうでもなかったということになる。

好奇心(Le Souffle au Coeur):ルイ・マル

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フランス人は世界でもっとも偽善的で不道徳な国民だとの見方がある。ルイス・ブニュエルは隣国のスペイン人としてフランス人をそう見ていたし、フランス人自身にもそんな見方をするものがいた。ヌーヴェル・ヴァーグ運動を主導したフランスの映画作家たちはその代表選手と言ってよい。ルイ・マルはヌーヴェル・ヴァーグの運動とは距離を置いていたにかかわらず、その主導者の一人に数えられることがあるが、それは彼のフランス人についてのシニカルな見方が、ヌーヴェル・ヴァーグの連中と似たところがあったからだ。

トランプと反ユダヤ主義

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トランプの政策の一つに在イスラエル大使館をテル・アヴィヴからエルサレムに移すというものがあったが、それを巡ってアメリカのユダヤ人社会で大きな反応が起きているようだ。アメリカにはイスラエルと並んで地上最大のユダヤ人コミュニティがある。そのコミュニティは、必ずしもイスラエルのユダヤ人と利害を同じくするわけではない。イスラエルのユダヤ人が喜ぶことが、アメリカのユダヤ人を窮地に立たせることもありうる、そう彼らは考えている。

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(桜田弁慶堀原 明治十三年)

弁慶堀は、皇居の掘割の延長で、今の日比谷公園の東北隅から溜池方面を結んでいた。赤坂見附に残っている弁慶橋あたりの堀はその名残である。

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ベアトリーチェに叱責されたダンテは、淑女マティルダの導きで、レテの川の水を飲んで忌まわしい記憶をすべて焼却する。こうして過去の罪悪から浄められたダンテは、ベアトリーチェの眼をまっすぐに見つめることができるようになる。その眼のなかには、聖書が教えるような、人類史の出来事がイメージとなって再現される。その様子にダンテは見とれる。

海外進出の話を聞く

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四方山話の今月の例会は小氏が自分史を語るというので、八名が新橋の古今亭に集まった。小子のほか、六谷、七谷、石、浦、福、岩の諸子及び小生である。この日は昨夜のうちから降っていた雨が朝方雪に変り、夕近くまで降り続いていた。十一月に東京に雪が降るのは54年ぶりのことで、積雪するのは観測史上初めてのことだそうだ。そんなわけで、交通機関がとまるかと恐れたが、何とか動いていたので、電車に乗って新橋まで出た次第だ。電車は動いたが、寒さが尋常ではなく、真冬なみの服装をして出かけた。

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「赤のアトリエ」同様「会話(La conversation)」も、背景を一色で塗りつぶしたものだ。当初は「赤のアトリエ」と同じく、赤で塗りつぶしていたものを、後に青で塗りなおしたという。暖色の赤と寒色の青では全く正反対の色相なので、塗り替えによる効果はドラスティックに変ったはずだ。マティスが何故、赤から青に塗り替えたか、作品のモチーフと並んで、いろいろな解釈がなされている。

鬼火(Le Feu follet):ルイ・マル

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ルイ・マルは、一作ごとに全く趣向の異なった映画を作るので、とらえどころのない作家といえる。1963年に作った作品「鬼火(Le Feu follet)」は、精神を病む男の自殺を描いたものだが、以前の作品とは全くつながりを感じさせない。殺人映画のパロディである「死刑台のエレベーター」、男女の奔放な性愛を描いた「恋人たち」、ナンセンスなスラップスティックコメディ「地下鉄のザジ」といった先行作品と、これは全く似たところがない。一人の作家がこれらの作品群を手がけたとは思えないほどである。

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(本町通夜雪 明治十三年)

本町通りは、今でいう江戸通りの前身で、日光街道の江戸側の終着点として、東海道、中仙道の起点たる日本橋通りと交差していた。徳川時代から江戸の物流の一大拠点であり、明治以降も反映を続けた。現在では物流の拠点というより、オフィスの立ち並ぶ地帯になっている。

ハンス・ケルゼンはハロルド・ラスキとともにシュミットが最大の標的として強く批判した相手だった。どちらも権力の多元主義を肯定しているところが、権力の一元性にこだわるシュミットには我慢がならなかった。ラスキは国家をほかの形態の団体と並ぶ相対的な存在としてとらえ、その特権的な位置を認めない多元的権力論の立場をとった。ケルゼンは国家の特権性は認めたが、国家権力の一元性には懐疑的で、国家権力が複数の機関に分有され、それらが相互に牽制しあうという権力分立論を主張した。この考え方の背後にあるのは自由主義的な国家観である。

トランプがメディア支配に乗り出す

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ツイッターを通じて、「ハミルトン」や「サタデー・ナイト・ライヴ」を罵り続けたトランプが、今度はトランプタワーの25階にテレビ局の幹部たちを集めて苦言を呈した。席上最初に彼が言った言葉は、「NBCニュースは自分の写真を紹介する際にわざと二重あごに映った顔を映し出した。なぜもっとましな写真を使わなかったんだ」というものだった。

春の歌:西行を読む

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西行自選の歌集「山家集」の構成は、春以下四季それぞれの部に始まり、恋の部、雑の部と続く。これは基本的には古今集の構成に従ったもので、古今集で賀、離別、羇旅、物名、哀傷、雑とあるものを雑の部としてまとめたものである。歌を四季以下こういう分類基準で構成するのはいわゆる八大集をはじめすべての勅撰和歌集に共通したものであり、歌というものについての日本人の向き合い方が反映されているといってよい。西行もまた、日本人のそうした姿勢に従ったということであろう。

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ルイ・マルの1960年の映画「地下鉄のザジ(Zazie dans le métro)」は、日本語でいう「どたばた喜劇」の傑作である。どたばた喜劇を英語では「スラップ・スティック・コメディ」というが、これは「おしおき棒」という語源から推測されるように、人間の身体を痛めつけるような派手なアクションを売り物にした喜劇だ。サイレント時代のハリウッドで盛んに作られ、チャップリンとかバスター・キートンとかがその代表選手になった。フランスでは、ルネ・クレールがスラップ・スティック・コメディの手法を取り入れ、軽快な喜劇映画を多く作った。ルイ・マルは、その喜劇の伝統をよみがえらせたわけである。

来年のフランス大統領選挙を控え、中道・右派政党の予備選が実施され、フィヨンが一位に、ジュペが二位になり、大統領への返り咲きをねらっていたサルコジは敗退した。これを受けて、フィヨンとジュペとの間で決選投票が行われることになるが、これはフランスの未来にとって重大なものになると思われる。というもの、その勝者と極右政党NF党首マリーヌ・ル・ペンとの間で、大統領選が最終的に戦われることになると思われるからだ。その勝者が、次のフランス大統領となる可能性が、圧倒的に高い。

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(江戸橋夕暮富士 明治十二年)

江戸橋は、日本橋と並んで江戸の橋の象徴のような存在である。もともとは現在地よりやや下流にあったが、関東大震災後、昭和通りの開通にともない、現在地に移された。

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戦車の上に乗っていたのは、ダンテの永遠の女性ベアトリーチェ。ベアトリーチェは戦車の上からダンテに声をかけ、ダンテの犯したさまざまの罪を責める。その罪の最たるものは、愛する女性ベアトリーチェを、青春の快楽を求める気持から、彼女の死後忘れてしまったということだった。

トランプのネポティズム

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トランプが、日本の安倍総理との会談に自分の娘や義理の息子を同席させたことで、米国ではトランプのネポティズムへの懸念が高まっている。アメリカには反ネポティズム法というものがあって、親族や密接な利害関係者を合衆国の公職に採用することを、大統領に対して禁止しているのだが、トランプはそれを無視するのではないかと、懸念しているわけだ。

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「ダンス」と「音楽」は、シチューキンには気に入ってもらえたが、美術批評家たちの反応はさんざんだった。批評の主なものは、構図も色彩も単純すぎる一方、単純さがもつ力強さにも欠け、非常に中途半端な、要するに子どもでも描けるものだというものだった。マティスは絵の中に、筋肉的な躍動感とか音楽的な要素を持ち込もうとしたが、本来視覚の芸術にそんな要素を持ち込むのは邪道だ、という批判もあった。

司馬遼太郎の薩長土肥観

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司馬遼太郎は明治維新を礼賛しているので、それを遂行した勢力、俗に言う薩長土肥も非常に肯定的に見ている。司馬は一方では、薩長の宿敵であり、薩長によってひどい目にあわされた会津にも同情的な視線を注いでいるので、首尾一貫しない印象を与えてもいるのだが、司馬が会津に拘るのは、思想的な根拠からではなく、細君が会津の出身だったという偶然的な要素に大分左右されているらしい。

トランプがハミルトンを攻撃

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トランプがハミルトンを攻撃といっても、トランプがハミルトンという実在の人間を攻撃したわけではない。アメリカ建国の父の一人であるハミルトンをテーマにしたミュージカルのスタッフを、トランプが攻撃したということだ。このミュージカルはいまブロードウェーで大当たりをとっていて、トニー賞やグラミー賞などを総なめにしてロングランの勢いを示している。そのミュージカルのスタッフに立腹したトランプが、彼らを攻撃したというわけなのである。

貧福論(四):雨月物語

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 左内いよいよ興に乘じて、靈の議論きはめて炒なり、舊しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試みにふたゝび問はん。今豊臣の戚風四海を靡し、五畿七道漸しづかなるに似たれども、亡國の義士彼此に潜み竄れ、或は大國の主に身を托せて世の変をうかゞひ、かねて志を遂げんと策る。民も又戰國の民なれば、耒を釈てて矛に易え、農事をことゝせず、士たるもの枕を高くして眠るべからず。今の躰にては長く不朽の政にもあらじ。誰か一統して民をやすきに居しめんや。又誰にか合し給はんや。

恋人たち(Les Amants):ルイ・マル

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ルイ・マルの1958年の映画「恋人たち(Les Amants)」は、欲求不満の女の男遍歴を描いた映画である。フランス女の尻軽ぶりはフランソア・ラブレーの時代から深刻な社会問題であり、フランスでは女房を寝取られたことのない男はほとんどいないほどだった。女が浮気をする理由はいろいろあるが、たとえば亭主の性的能力が低いなど、亭主の側に一定の責任がある場合には、妻の浮気は大目に見られたようだ。だからこそフランス男は、妻を退屈させないようあらゆる努力を払わねばならなかった。そんな努力もせずに女房を寝取られても、それは亭主の側に大きな責任があるとみなされ、妻が厳しく糾弾されることはなかったようだ。と言っても、妻の浮気をおおっぴらに認めるわけにもいかず、それを抑止する法的な制度として姦通罪を発明したのもフランス人だった。

寿司を食いながら昔を語る

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旧友鈴生と久しぶりに会って、船橋の寿司屋で歓談した。カウンター席に並んで座り、まずは挨拶を兼ねて近況を報告しあう。小生は世の中から身を引いて、目下悠々自適の毎日を送っているよと控えめに言う。鈴生のほうは、二年前に特発性難聴になったのがもとで、耳が聞こえなくなったし、足腰も弱くなった、満身創痍で何時死んでもおかしくない。この分だと母親より先に死ぬかもしれないと言ったら、母親より先に死ぬのはこの上ない親不孝だと叱られた。こんなわけで、二年前に完全に仕事をやめて、今はあんた同様自由の身だが、あんたのように遊んでいるわけではなく、毎日老々介護に忙しいのだと言う。

スティーヴ・バノンを主席情報官に選んだのに続いて、ジョフ・セッションズを司法長官に、マイケル・フリンを安全保障担当補佐官に、マイク・ポンペオをCIA長官に選んだ。いづれも名うてのハードライナーとして知られる。また、トランプとは強い信頼感で結ばれているといわれる。

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(元柳橋両国遠景 明治十二年)

今でいう東日本橋地区にかつて薬研堀という水路があって、それが隅田川に流れ落ちる地点に柳橋という橋が架かっていた。その後、神田川の河口に同じ名前の柳橋が架けられてので、こちらは元柳橋と呼ばれるようになった。

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ダンテを先頭にして三人が進んでゆくと、小川のほとりにいたる。小川の対岸には一人の淑女がいて、ダンテの問いに答えて言う。ここは地上の楽園にして、人間たちが夢想してきた黄金時代の展開された場所だと。

安倍総理のトランプ表敬訪問

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安倍首相のトランプ表敬訪問の様子が少しづつ伝わってきた。トランプタワーのトランプ私邸で行われたこの訪問では、訪問者の安倍総理が通訳の他は誰も同席させなかったのに対して、トランプの方は、娘のイヴァンカとその夫のジャレド・クシュナー及び安全保障アドヴァイザーに就任予定のマイケル・フリンを同席させたそうだ。イヴァンカはともかく他の二人は、トランプ政権のタカ派を代表すると見られている。その連中を前に、安倍総理は品定めをされた格好だ。

トランプの選挙参謀で、いまは代理人のカール・ヒグビーが、フォックス・ニュースのインタビューの中でイスラム教徒の排除政策に言及し、アメリカが第二次大戦中に日系市民を対象に実施した隔離政策を参考に考えていると答えた。日系人への隔離政策が、法的に許容されるのなら、イスラム教徒の排除政策も法的に許容されるはずだ。そういう論拠を展開したという。

音楽(La musique):マティス、色彩の魔術

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「ダンス」が気に入ったシチューキンは、続いて音楽をテーマにした同じようなサイズの絵を注文してきた。彼の三階建てのアトリエの、二階部分のメーンとして飾りたいという意向であった。マティスは二つ返事で請け負った。マティスにとってシチューキンは最大のお得意先だったので、大事にしたのだろう。

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1958年のフランス映画「死刑台のエレベーター(Ascenseur pour l'échafaud)」は、ドジな殺人犯たちの物語。普通、犯罪映画といえば、主人公の犯人は多かれ少なかれかっこよく描かれるものだが、この映画に出てくる犯罪者たちにはまったくいいところがない。かっこ悪いというより、頭が悪いと感じさせる。犯罪映画の主人公としては最低のタイプである。にもかかわらず、映画自体は結構評判になり、なかにはクールで見所のある映画だなどという批評もあった。筆者が今の視点からこの映画を見て、何がこの映画の取柄かと考えたとき、真っ先に音楽のすばらしさに思い当たった。この映画には、当時売り出し中のマイルス・デーヴィスが参加していて、全編にわたってしびれるようなジャズをフィーチャーしているのだ。この音楽がなければ、この映画はただのB級映画に終わっていただろう。

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(千ほんくい両国橋)

両国橋の北東、現在の安田庭園付近の隅田川の水面には夥しい数の杭が打ち込まれていた。防潮の役目を果たしていた。このあたりは古地図でみると、隅田川が湾曲してちょっとした湾のような形状を呈していて、そこに波が立ちやすかったと推測される。その波を消す為の簡易防波堤のようなものとして杭が打ち込まれ、その数の多さから千本杭とか百本杭とか呼ばれた。

カール・レーヴィットのシュミット批判

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カール・シュミットの著作「政治神学」の邦訳(未来社刊)には、カール・レーヴィットによるシュミット論の小文が二本掲載されている。「シュミットの機会原因論的決定主義」と「マックス・ヴェーバーとシュミット」だ。どちらもシュミットの決定主義的な議論を厳しく批判している。

貧福論(三):雨月物語

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 翁いふ。君が問ひ玉ふは徃古より論じ尽さゞることわりなり。かの佛の御法を聞けば、富と貧しきは前生の脩否<よきあしき>によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前生にありしときおのれをよく脩め、慈悲の心專らに、他人にもなさけふかく接はりし人の、その善報によりて、今此生に富貴の家にうまれきたり、おのがたからをたのみて他人にいきほひをふるひ、あらぬ狂言をいひのゝじり、あさましき夷こゝろをも見するは、前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。佛菩薩は名聞利要を嫌み給ふとこそ聞つる物を、など貧福の事に係づらひ給ふべき。

小さいおうち:山田洋次

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山田洋次の2014年の作品「小さいおうち」は、戦時中の日本人の生活の一端をテーマにしたものである。山田は、2008年にも戦時中をテーマにした「母べえ」を作っている。山田のほか降旗康男が2013年に、やはり戦時中の庶民の生活を描いた「少年H」を作っており、年配の映画作家たちが、戦争の意味を問いかける試みだと感じさせる。近年になって、日本人から次第に戦争の記憶が希薄になり、それに乗じる形で好戦的な雰囲気が広がっていることへの懸念が働いているのだろう。

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(上野東照宮積雪之図 明治十二年)

上野の東照宮は、家康の死後、天海僧正らによって造営され、慶安年間に家光によって現在の形に整備された。日光や久能山と並んで、全国各地にある東照宮の総社のような位置づけになっている。また牡丹の名所としても知られる。

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猛火をくぐったところで日が沈んだ。日没を過ぎたら歩くことは出来ぬという煉獄の掟に従い、三人はそれぞれ石段の上に横になった。眠りの中でダンテは、リーアとラケールの姉妹が出てくる夢を見る。彼女らは、ダンテが煉獄山の頂上に近づいているのを祝福しているようであった。

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ロシア人の美術評論家で、マティスの得意先でもあったシチューキンが、1909年の3月頃、マティスに装飾用パネルの創作を依頼してきた。三階建ての彼のアトリエの一階ホールに飾りたいという趣旨だった。ダンスをテーマに描いて欲しいという。マティスは早速水彩画で習作を描き、それをシチューキンに見せたところ、シチューキンは大いに気に入った。そこでマティスは、油彩による本格的な作品をすばやく完成させた。

司馬遼太郎の日本中世史観

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司馬遼太郎は、日本の近代化を担ったのは薩長をはじめとした西南諸藩の下級武士たちだ、というざっくりした理解に立った上で、そうした武士階級というものが鎌倉時代の初期に成立して以来、日本という国のかたちを規定してきたと考えているようである。いわば武士階級一元論の歴史観といってよい。武士階級は日本の歴史を動かしてきただけではない。それは日本人のエートスというようなものとなって、今現在もこの国のかたちを規定している、どうもそのように考えているようでもある。

米大統領に選ばれたトランプが、早速政権発足に向けた準備に取り掛かった。なにせ米政界とは無縁なことを売り物にしてきたこともあって、側近を始め重要スタッフには、個人的に信頼している人間を重点的に採用すると公言している。その中には、自分の息子や娘も含まれていて、彼らを重要な公職につけるようである。

貧福論(二):雨月物語

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 恒の産なきは恒の心なし。百姓は勤めて穀<たなつもの>を出し、工匠等修めてこれを助け、商賈務めて此を通はし、おのれおのれが産を治め家を富まして、祖を祭り子孫を謀る外、人たるもの何をか爲ん。諺にもいへり。千金の子は市に死せず。富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに渕深ければ魚よくあそび、山長ければ獸よくそだつは天の隨なることわりなり。

おとうと:山田洋次

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山田洋次の2010年の映画「おとうと」は、市川崑が1960年に作った同名の映画のリメークだということになっている。両者とも幸田文の小説を下敷きにしているが、市川の作品が原作にかなり忠実なのに対して、山田のこの作品は大胆な変更を加えている。主人公である姉弟が、原作や市川の映画では十代の若者なのに対して、この映画の姉弟は中年を過ぎている。弟が姉を困らせた挙句病気で死んでゆくところは同じだが、この映画の弟は、(原作のように)不治の病の結核に倒れるのではなく、放浪の果てに行旅病人となり、大阪にあるホスピスで死んでゆくという設定になっている。二つの映画の間には五十年の歳月が流れているわけで、この映画はその歳月の流れを反映したものとなっているわけだ。

カール・シュミットが「政治的なものの概念」のなかで展開した「友/敵」論は、彼の政治理論の核心をなすものだが、その評価をめぐっては、プラスとマイナス(肯定と否定)があい別れる。これを否定的に見るものは、シュミットが政治を「友/敵」の枠組に単純化することで、国家の行う戦争や内乱に積極的な意義を認め、その結果ナチスのようなものにも理論的な根拠を付与したと批判するもので、多くの政治学者はこの立場をとっている。シュミットが「ナチスの桂冠学者」といわれるのは、こうした見方が普及したことの一つの効果である。

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猛火を前にして恐れひるむダンテをヴィルジリオが励まし、まず自分が火の中に入り、ダンテに続くように促す。その声に促されてダンテはあとに続き、そのあとにスターツィオが続いた。かくしてダンテは、ヴィルジリオとスターツィオに前後を守られる形で猛火の中を進む。そこに天使らの歌声が聞こえてきて、ダンテを励ますのだ。

シュミットが自分の著作の題名に用いた「政治神学」という言葉を筆者は、否定的な文脈で批判的な意味で使われていると受け取ったのだが、仲正はそうではなく、シュミットの立場を含めた政治学全般を特徴付けるような積極的な言葉として受け止めているようだ。そうした受け止め方によれば、政治学と政治神学は密接に重なりあう概念だということになる。

母べえ:山田洋次

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山田洋次にしろ吉永小百合にしろ、ある種の日本人から目の仇にされているが、彼らの何がそういう反発を起こさせるのか。映画「母べえ」を見ると、その理由の一端がわかるかもしれない。この映画は、国家への冷めた視線を感じさせるのだが、そうした姿勢が、国家を自分自身と一体視する人々には、許しがたく見えるのだろう。

三粋人経世問答:2016年米大統領選を語る

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無覚先生:2016年米大統領選挙の結果、ドナルド・トランプが勝利しました。私自身はありえないことではないと思っていましたので、あまり驚きませんが、世界中のマスコミが大騒ぎをし、それにつられる形で株相場が大変動するなど、大変なショックが世間を襲っているようです。この事態を壺齋さんはどう見ますか。壺齋さんはブログの中でトランプ批判を展開していましたので、トランプの勝利はやはりショックだったんじゃないですか。

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(堀切花菖蒲 明治十二年)

堀切の菖蒲園は、徳川時代に地元の百姓小高伊左衛門が各地から集めた菖蒲を植えたことが始まりといわれ、徳川時代から現在に至るまで、東京の菖蒲の名所として知られる。広重の浮世絵でも「堀切の花菖蒲」として取り上げられている。

仲正昌樹はこの本の中で、カール・シュミットの主要著作三点(政治的ロマン主義、政治神学、政治的なものの概念)を取り上げ、テクストに添ってシュミットの思想を解釈している。例によって、学生相手の講義形式を踏まえているので、わかりやすい。

貧福論(一):雨月物語

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 陸奧の國蒲生氏郷の家に、岡左内といふ武士あり。祿おもく、譽たかく、丈夫の名を關の東に震ふ。此の士いと偏固なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。儉約を宗として家の掟をせしほどに、年を疊みて富昌<さか>へけり。かつ軍を調練<たなら>す間には、茶味翫香を娯しまず。廳上<ひとま>なる所に許多の金を布き班べて、心を和さむる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇野情の人なりとて、爪はぢきをして惡みけり。

武士の一分:山田洋次

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山田洋次は、始めての時代劇として作った「たそがれ清兵衛」が成功したのに気をよくして、その後二本続けて時代劇を作った。「武士の一分」は、「隠し剣鬼の爪」に続く時代劇三作目である。この映画は、前二作と同様藤沢周平の短編小説を原作とし、舞台設定や人物像などに多くの共通点があるが、作品としてはいささか退屈なものに堕している。特に「たそがれ清兵衛」と比較すると、見劣りがする。「たそがれ清兵衛」は男女の愛をこまやかに描き、それに時代劇らしく武士の生活ぶりを丁寧に描いていて、それなりに現代人にも訴えるところが強かったが、この映画で描かれているのは、男の嫉妬と体面だ。そんなものは、時代劇としては無論、現代劇として描かれたとしても、よほどの力技がなければ、観客の感動は呼べないだろう。

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(湯島元聖堂 明治十二年)

湯島聖堂は、五大将軍綱吉が孔子廟として作ったもので、後に徳川幕府の学問・研究の拠点となった。孔子廟が学問の拠点となったのは、徳川時代には儒学が学問の中心であり、儒学の聖人を祭っている湯島聖堂が学校を兼ねるのが自然だったためだ。

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ダンテとヴィルジリオは、煉獄の七つの冠を次々と経てゆく。第二の冠を出た後、第三の冠は憤怒、第四の冠は怠惰、第五の冠は貪欲、第六の冠は貪食、第七の冠は貪色の、それぞれの罪を清めるために当てられていた。それらを通り過ぎると、ダンテ自身の罪も洗い清められ、その証拠に、煉獄の門で天使によって額に付けられた七つのPの文字が、次々と消されてゆくのだった。

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1908年の作品「赤い食卓(La desserte rouge)」は、マティスがフォーヴィズムを完全に脱却して、全く新しい境地に入ったことをうかがわせる作品だ。遠近法とか色彩の調和についての従来の常識を悉く覆したこの絵は、絵画という形式の芸術に新しい時代が幕を開けた、と人々に感じさせた。

司馬遼太郎の明治維新観

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司馬遼太郎は明治維新を革命と捉えているようである。最大の理由は、これによって徳川時代以前の身分社会が解体されて、日本は基本的には国民がすべて平等である社会が実現したことだという。その一つの例として司馬が持ち出すのは、自分自身が見聞したことだった。

青頭巾(四):雨月物語

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 一とせ速くたちて、むかふ年の冬十月の初旬、快庵大徳、奧路のかへるさに又こゝを過ぎ給ふが、かの一宿のあるじが莊に立ちよりて、僧が消息を尋ね玉ふ。莊主よろこび迎へて、御僧の大徳によりて鬼ふたゝび山をくだらねば、人皆淨土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活きては侍らじ。今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も隨縁したてまつらんといふ。

たそがれ清兵衛:山田洋次

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山田洋次の映画「たそがれ清兵衛」は、切ない恋を描いた作品だ。傑作と言ってよい。日本の恋愛映画の傑作と言えば、筆者にはまず成瀬の「浮雲」と溝口の「近松物語」が思い浮かぶのだが、「たそがれ清兵衛」はこれらと並ぶ恋愛映画の傑作と言ってよいと思う。恋愛映画といっても、ハリウッド映画やフランス映画のように、若い男女の熱烈な恋を描いているわけではない。妻に先立たれた子連れの冴えない男と、夫の暴力に耐えられず自ら望んで離縁した女の、はかないといえばはかないながら、それぞれ自分の命をかけて愛し合った男女の物語である。

こおろぎに見つめられたら

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写真(National Geographic)は、ヒマワリの陰から顔を出して、こちらのほうを見つめているこおろぎ。こおろぎは複眼だから、その目に映ったあなたの顏は、いくつにも分裂していることだろう。目玉には分裂して映るが、その情報が脳に伝達されると、やはり本来通り一つの顏として認識されるのだろうか。コオロギでも神でもない筆者にはわからない。

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(品川海上眺望図 明治十二年)

明治初年の東京湾は、沿岸が浅瀬になっていて大型船が付けられなかったために、このように沖合に停泊し、そこから小型の舟で陸地と往復していた。この時代の大型船の主流はまだ帆船だった。

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ダンテとヴィルジリオは山道を登ってやがて第二の冠にさしかかる。ここは嫉妬の罪を犯した者が配置され、寛大の徳の功徳によって浄められるのを待つところ。彼らは、乞食のように粗末な姿で群をなし、瞳を鉄の糸で縫いつけられているために、太陽を見ることができない。

豪奢(Luxe):マティス、色彩の魔術

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(豪奢Ⅰ 1907年、キャンバスに油彩、210×138cm、パリ、国立現代美術館)

1907年から翌年にかけて二点描かれた「豪奢(Luxe)」と題するシリーズは、マティスのフォーヴィズムからの脱却と飛躍を物語るものとして興味深い。まず1907年に描かれた「豪奢Ⅰ」は、まだフォーヴィズムの印象を色濃く残している。ところが翌年にそれを描きなおした「豪奢Ⅱ」には、フォーヴィズムの面影は殆どなく、マティスが新たな段階に踏み込んだことを如実に物語っている。

息子:山田洋次

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山田洋次は「寅さん」シリーズとは別に、家族の絆とか人と人の触れ合いをテーマにしたヒューマン・タッチの映画を作り続けてきた。「息子」はそのなかでも、社会的な視線といい、感傷的なところといい、この路線を代表するものと言える。社会的な視線と言うのは、この映画に描かれた家族の姿が、日本社会の変貌振りを映し出しているからであり、感傷的というのは、解体する家族を、孤独な父親の背中を通じて、いとおしむように描いているからだ。この映画は、「息子」という題名がついてはいるが、父親の孤独をテーマにしたものと言ってよい。

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今年のMLBのワールド・シリーズは古豪同士の対決になった。1876年のナショナルリーグ創設メンバーであるシカゴ・カブスと1901年のアメリカンリーグ創設メンバーであるクリーブランド・インディアンズの対決だ。カブスは108年ぶりのワールド・チャンピオンを目指し、インディアンズは68年ぶりのワールド・チャンピオンをそれぞれ目指して戦ったが、勝ったのはシカゴ・カブスだった。それも一勝三敗の崖っぷちから巻き返した第七戦で、延長十回の死闘を制しての勝利だった。カブスのこの日を100年以上待ちわびたシカゴ市民は、さぞ狂喜したことだろう。

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(御城内吊橋之図)

皇居内の道灌堀に日本最初の鉄橋が架けられたのは明治三年。西の丸山里と吹上庭園を結んでいたところから、山里の鉄橋と呼ばれた。作ったのは明治政府に招かれたアイルランド人土木技師のウォートールス。当時の橋梁技術の粋を尽くしたものだった。

カール・シュミットの1924年の著作「ライヒ大統領の独裁」は、ワイマール憲法第48条の解釈をめぐる議論である。この条項は大統領の非常権限を定めた規定であり、それが後にヒトラーの独裁を許したものとして、公法学史上非常に議論のあるものとして知られるが、シュミットがこの論文(初版)を書いた1924年の時点では、1919年の制定からまだ5年しか経っていないにもかかわらず、ドイツの未曾有の政治的・経済的危機を前にして、すでに何度も実際に発令されており、しかもそのたびにその法的根拠とか効果をめぐってさまざまな議論が交錯し、この条項についての統一的な見解は成立していないような状態だった。シュミットをそれに一石を投じ、ワイマール憲法48条が定める大統領の独裁権限の範囲と効果について明らかにしようとしたわけである。

安部晋三をたたえる

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旧友の一生と久しぶりに会い、船橋の縄暖簾で歓談した。随分久しぶりだが元気でやってるかい、と互いに確かめ合うようにして挨拶する。俺もこんな白髪頭になってしまったが、お前のほうはまた一段と禿げてしまったな、てっぺんまで淋しくなったじゃないか、と遠慮のないことを一生がいうので、お前さんはお前さんで元気な様子がなによりだが、随分とふくよかな顔になったな、まるで達磨のようじゃないか、と筆者も負けずに冷やかす。

青頭巾(三):雨月物語

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 山院人とゞまらねば、樓門は荊棘おひかゝり、經閣もむなしく苔蒸しぬ。蜘網をむすびて諸佛を繋ぎ、燕子の糞護摩の牀をうづみ、方丈廊房すべて物すざましく荒れはてぬ。日の影申にかたふく比、快庵禪師寺に入りて錫を鳴らし給ひ、遍參の僧今夜ばかりの宿をかし給へと、あまたたび叫どもさらに應へなし。眠藏より痩槁たる僧の漸々とあゆみ出で、咳たる聲して、御僧は何地へ通るとてこゝに來るや、此の寺はさる由縁ありてかく荒れはて、人も住まぬ野らとなりしかば、一粒の齋糧もなく、一宿をかすべきはかりこともなし、はやく里に出でよといふ。

キネマの天地:山田洋次

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1986年の松竹映画「キネマの天地」は、松竹が社をあげて一体となり、松竹のオールキャストを動員し、全国の松竹映画ファンのために作った映画と言ってよい。そのため監督の山田洋次は、毎年恒例の「寅さんシリーズ」を一回分中止し、この作品に勢力を集中した。渥美清と倍賞千恵子はじめ寅さんシリーズの常連がまるごと出演しているほか、当時松竹とかかわりのあったあらゆる映画人が参加した。その中には歌舞伎役者の松本幸四郎や松竹新喜劇の藤山寛美もあった。

朝日の今日の「折々のことば」が長嶋茂雄の名言を紹介している。都はるみを招いたラヂオ番組の中で、引退する彼女に向かって長嶋が「人生山あり、海ありですよねえー」と言ったというのだ。長嶋としてはそれまでの彼女の波乱に富んだ人生をねぎらったつもりなのだろう。彼女もそんな長嶋の配慮に感じたか、唸るように共振した、と評者の鷲田は書いている。

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(御厩橋之図)

厩橋は明治七年に架けられた。民間の橋で、渡り賃をとったことから賃取り橋と呼ばれた。架けられたのは、駒形橋の下流で、ここに以前は御厩の渡しがあったので、当初は御厩橋と呼ばれた。この橋が出来たことで、東京の幹線道路の一つである春日通りが、この橋を挟んで東京の東西を一本に貫くようになった。

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ダンテとヴィルジリオが第一冠の道を上り進んで行くと、彼らの踏む道には様々な像が彫られている。それらは、高慢の罪を犯した人々の像なのであった。それらの一人一人をダンテは、丁寧に見つめながら、感嘆の声を上げる。

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