赤のアトリエ(L'atelier rouge):マティス、色彩の魔術

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「ダンス」と「音楽」は、シチューキンには気に入ってもらえたが、美術批評家たちの反応はさんざんだった。批評の主なものは、構図も色彩も単純すぎる一方、単純さがもつ力強さにも欠け、非常に中途半端な、要するに子どもでも描けるものだというものだった。マティスは絵の中に、筋肉的な躍動感とか音楽的な要素を持ち込もうとしたが、本来視覚の芸術にそんな要素を持ち込むのは邪道だ、という批判もあった。

こうした批判は、マティスにも一定のインパクトをもった。たしかにこれらの絵は、構図にせよ色彩にせよ、あまりにも単純すぎて、こんな路線をこのまま進んでいったら、自分の芸術は枯れてしまうかもしれない、そんな不安がマティスの頭を過った。そんなわけで、「ダンス」や「音楽」での実験は、それ以上進められることなく終わった。

建て直しを迫られたマティスは、1910年の秋にミュンヘンで行われたイスラム美術展を見て、イスラム的なものを取り入れようとしたり、いろいろ試行錯誤をしたが、一番堅実なやり方は、とりあえず以前の時点に回帰するというものだった。

「赤のアトリエ(L'atelier rouge)」と題したこの絵は、「赤い食卓」における実験を再現したものだ。全体を赤で塗りつぶすというコンセプトをもとに、そこに空間の奥行きの感覚を取り入れた。「赤い食卓」はほとんど遠近感を感じさせず、壁にうがたれた窓もまるで装飾用の絵のように見えたが、この絵のなかのもろもろのオブジェは、極度に単純化されているが、物質としての実在感を感じさせる。ただその描き方が、多少抽象的なだけだ。

画面は全面的に赤で塗りつぶされ、その上のさまざまなオブジェがほとんど輪郭線だけで表現される。それでも、左手前のテーブルや右手前の椅子をはじめ、どのオブジェも実在感を持っている。壁と床の実在的な相関関係も、視覚的に納得できるように表現されている。

この絵は、構図も色彩も極度に単純化されているが、対象の実在感は十分に表現されているという点で、マティスにとっては新たな境地につながるものだといえよう。もっともこの新たな境地を予感させる試みは、この絵と、次の「会話」で打ち切られてしまい、マティスは別の境地を求めて試行錯誤を繰り返すのではあるが。

(1911年 キャンバスに油彩 191×219.1cm ニューヨーク、現代美術館)






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