御城内吊橋之図、九段坂五月夜:小林清親の東京名所図

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(御城内吊橋之図)

皇居内の道灌堀に日本最初の鉄橋が架けられたのは明治三年。西の丸山里と吹上庭園を結んでいたところから、山里の鉄橋と呼ばれた。作ったのは明治政府に招かれたアイルランド人土木技師のウォートールス。当時の橋梁技術の粋を尽くしたものだった。

この鉄橋は、吹上御殿の建設に伴い、明治十四年には解体撤去されてしまったので、きわめて短い命だったわけだ。その貴重な一瞬を、清親の筆がとらえたのが、この図柄である。鉄橋は親柱がレンガ造りで、鉄製のワイアで両側から吊るしていた。

絵のなかには、橋を見に来た庶民が描かれているが、この橋は非常に人気があって、一般公開の日には大勢の人々が押しかけ、おかげで橋が人の重さでたわんだそうである。

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(九段坂五月夜 明治十三年)

九段の坂上に靖国神社が作られたのは明治二年のことだが、その二年後に高灯篭と言われる灯台が建てられた。当初は靖国神社内ではなく、靖国通りを隔てた反対側にあったそうだ。

これは、題名からわかるとおり、五月の夜を照らす灯台を描いたもの。灯台と言っても、海からは見えないだろうから、象徴的な機能しか果たしていなかったと思われる。その機能とは、靖国の霊を守護することだという説もある。






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