戦車に乗ったベアトリーチェ:ブレイクの「神曲」への挿絵

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ダンテを先頭にして三人が進んでゆくと、小川のほとりにいたる。小川の対岸には一人の淑女がいて、ダンテの問いに答えて言う。ここは地上の楽園にして、人間たちが夢想してきた黄金時代の展開された場所だと。

淑女はそのまま対岸を歩き、ダンテらがその反対側を歩きながら小川を遡ってゆくと、光り輝き、妙なる音楽を鳴らしながら近づいてくるものがある。やがてそれは、淑女のいる小川の堤の傍らでとまる。

その有様に驚いたダンテが、事態の意味を問おうとしてヴィルジリオのほうに振り返ると、ヴィルジリオの姿はもはやないのだった。先ほどの言葉通り、ダンテはこの先、自分一人の力で進んでゆかねばならないのである。


 かの大いなる翁の聲をきゝて神の車の上にたちあがれる永遠の生命の僕と使者百ありき 
 みないふ。來たる者よ汝は福なり。また花を上とあたりに散らしつゝ。百合を手に滿たして撒け。 
 我かつて見ぬ、晝の始め、東の方ことごとく赤く、殘りの空すみてうるはしきに 
 日の面曇りて出で、目のながくこれに堪ふるをうるばかり光水氣に和らげらるゝを 
 かくのごとく、天使の手より立昇りてふたゝび内外に降れる花の雲の中に 
 白き面の上には橄欖を卷き、縁の表衣の下には燃ゆる焔の色の衣を着たるひとりの淑女あらはれぬ 
 わが靈は(はやかく久しく彼の前にて驚異のために震ひつゝ挫かるゝことなかりしに) 
 目の能くこれに教ふるをまたず、たゞ彼よりいづる奇しき力によりて、昔の愛がその大いなる作用を起すを覺えき 
 わが童の時過ぎざるさきに我を刺し貫けるたふとき力わが目を射るや 
 我はあたかも物に恐れまたは苦しめらるゝとき、走りてその母にすがる稚兒の如き心をもて、たゞちに左にむかひ 
 一滴だに震ひ動かずしてわが身に殘る血はあらじ、昔の焔の名殘をば我今知るとヴィルジリオにいはんとせしに 
 ヴィルジリオ、いとなつかしき父のヴィルジリオ、わが救ひのためにわが身を委ねしヴィルジリオははや我等を棄去れり 
 昔の母の失へるすべてのものも、露に淨められし頬をして、涙にふたゝび汚れしめざるあたはざりき 
 ダンテよ、ヴィルジリオ去れりとて今泣くなかれ今泣くなかれ、それよりほかの劒に刺されて汝泣かざるをえざればなり。(煉獄編第三十曲から、山川丙三郎訳) 


絵は、小川をはさんで向き合うダンテと戦車の一行。先ほど出あった淑女マティルダは、対岸にいてダンテたちのほうを向いている。ダンテと一緒にいるのはスターツィオである。






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