(大川岸一之橋遠景 明治十三年)
墨東地区を東西に流れる堀川のうち、本所・深川境界沿いのを竪川と言い、西側から数えて、一之橋から六之橋まであった。この掘割はもともと縦川といったのだが、後に言葉の洒落で竪川と書かれるようになった。
二の橋には清澄通りが、三の橋には三つ目通りが、四の橋には四つ目通りが架っている。一つ目通りというのも昔はあったはずだが、今はそういう名の通りはない。
この図柄は、隅田川の日本橋側から対岸を眺めたもので、左手に小さく口をあけて描かれているのが竪川の河口、そこに架っているのが一之橋である。手前の岸辺には、人力車に乗った女が道を急いでいる。
(隅田川枕橋前 明治十三年)
本所地区の北辺を東西に流れる掘割を北十間川という。その一番西の河口にかかる橋を源森橋といい、二番目の橋を枕橋という。なお、北十間川は別名を源森川ともいう。橋の溜り場一帯は、屋形船の停泊場となっている。筆者も若い頃に、ここから船を出して、舟遊びを楽しんだものだ。
この図柄は、枕橋そのものを描いたわけではなく、北十間川が隅田川に合流するあたりを描いたのだと思う。今日、枕橋の南側にはアサヒビールと墨田区役所の建物が、北側にはスカイツリーが聳えている。
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