浅草夜見世、浅草寺雪中:小林清親の東京名所図

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(浅草夜見世 明治十四年)

浅草は、観音堂の門前町として古くから賑わったが、徳川時代になると、北隣に新吉原の遊郭街が出来、また観音堂の周辺に芝居小屋が出来たりして、庶民の賑わう町になった。その賑わいは明治以降にも引き継がれ、昭和の初め頃までは日本最大の繁華街を形成していた。

図柄は、左手に宝蔵門、右手に五重の塔を配している。この構図になるには、観音堂の前から宝蔵門のほうを向かねばならない。今では、土産物を売る類の店は仲見世に集まっているが、明治の初年には仲見世はまだ出来ていない。このように、観音堂の前の広場に、露天が集まったと見える。

左手に集まっている人たちは、観音堂の前で護摩を焚いているのだろう。この人たちのほかに大勢の人が境内を散策し、浅草の賑わいを表している。

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(浅草寺雪中 明治十四年)

これは雪景色の浅草寺を描いたもの。観音堂の板敷きの上から五重塔方面を眺め渡したものだ。五重塔は実物よりずっと細長く描かれている。

観音堂の板敷きの下に、雪をかぶった小さな屋根が沢山見えるのは、露店の屋根だろう。明治の初年には、このように観音堂を囲む形で多くの露天が屋根を並べたようだ。






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