梅:西行を読む

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梅の花は万葉集でも萩の花と並んでもっとも多く歌われた花である。万葉集でただ花とあれば、それは梅の花をさすほどに人気のある花だった。ところが中世以降になると、花といえば桜をさすようになり、梅は花の王座を桜に譲る。これは日本人の美意識が変化した結果だと受け取るべきなのか。興味深いことではある。

梅は桜と違って日本に自生する樹木ではなく、中国から伝来したものである。「うめ」という言葉も漢語の音から来ていると思われる(現代中国語では梅を「めい」と発音する)。その梅が万葉人に最も愛されたのは、梅が春を告げる花だったことに理由があるのではないか。昔の暦では、年の初めが春の初めであったから、その年の初めに咲く梅の花は、春を告げる花として受け取られたのだろう。桜が咲くのは早くとも如月に入ってからだ。

こんなわけで万葉集の梅の歌には、年の始まりを祝う心が込められたものが多い。たとえば、山上憶良の次の歌
  春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ(万818)
これはまさに春の到来つまり新しい年の始まりを梅の花の咲いたことに重ねあわせているわけである。

また万葉集には、大伴旅人が大宰府に赴任中正月の宴に人々を招き、その席で梅の花を皆で読んだ記録が残っているが(太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首)、これは年の始まりを祝う気持ちを梅の花にことよせる風習みたいなものがあって、旅人はそれに従って客たちに梅の花を歌わせたものと考えられる。

平安時代になると、梅は花よりも匂いが歌われるようになる。古今集には梅を歌った歌が二十首ばかり収められているが、その大部分は梅の匂い(梅が香)を歌っている。代表的なのは貫之の次の歌である
  人はいさ心もしらずふる里は花ぞむかしのかににほひける(古42)
この花は詞書からして梅の花である。また月夜の梅を歌った凡河内躬恒の歌
  月夜にはそれとも見えず梅の花かを尋ねてぞしるべかりける(古40)
これは、梅を匂いだけで鑑賞しているもので、こうなると梅は花ではなく匂いを愛でるものだということになる。

多情な女として歴史に名を残した和泉式部は梅と縁が深く、彼女と梅とのかかわりをテーマにして能(東北)が作られたほどである。その和泉式部にとっても、梅は香を愛でるものであった。次の歌
梅の香を君によそへてみるからに花のをり知る身ともなるかな
これは梅の匂いが恋人の匂いを連想させると言っているわけで、梅はエロティシズムを帯びるようになったともいえる。

西行もまた梅を、匂いを楽しむものとして受け取っているようである。たとえば次の歌 
  梅が香を谷ふところに吹きためて入り来ん人に沁めよ春風(山39)
これは谷を梅の香で充満させそこに入ってくる人を包んでくれと呼びかけた歌で、かなり位の高さを感じさせるが、まさしく梅は香の担い手として見られているわけである。

また、次の歌、
  梅が香にたぐへて聞けば鶯の声なつかしき春の山里(山41)
これは、梅の香に乗って鶯の声が聞こえてくると歌ったものだが、梅は香として漂ってくるもので、そこに見られるものとしてあるわけではない。つまりこの歌でも、梅は専ら匂いとして捉えられている。

桜が見られるものとして専ら歌われているのに対して、梅は匂いとして捉えられているわけである。






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