浅草田圃太郎稲荷、浅草蔵前夏夜:小林清親の東京名所図

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(浅草田圃太郎稲荷)

浅草田圃は吉原の裏手にあった田地である。吉原は、浅草とは反対側の北東部に入り口があったから、その裏手といえば、吉原と観音堂との中間地帯に当たる。徳川時代の古地図を見ると、吉原の周辺一帯が田地として表示されているから、吉原が田圃の中の、いわば水中楼閣のようなものだったわけだ。

太郎稲荷は落語の「ぞろぞろ」に出てくる。それによれば、浅草田圃の真ん中にあると言うことになっている。好事家によれば、東上野にある柳川藩の屋敷の中にあるそうだ。

この図柄を見ると、鳥居の向こう側が一面の水田になっており、また夕日の落ちるさまが描かれているから、東上野の一角から、上野山の方角をみているものと推測できる。

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(浅草蔵前夏夜 明治十四年)

蔵前は、徳川幕府の御用米の集積地として、米蔵や札差の店が集まっていたところである。明治になると、幕府関連の機能はなくなってしまったが、引き続き商業地として栄えた。

この図柄は、奥州街道沿いの蔵前の様子を描いたもの。右手に倉庫らしい建物が連なって見えるのは、江戸の時代の名残だろう。







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