夏の歌:西行を読む

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四季のうちでも夏は、長雨や耐え難い暑気のためにとかく敬遠され、歌に歌われることも少なかった。古今集では、秋の歌二百三十七首、春の歌百七十三首に対して夏の歌は八十首で、もっとも数が少ない。山家集でも、夏の歌は三十四首で、冬の歌の二十九首とともに数が少ない。日本人はやはり、春と秋を愛し、その時期に多くの歌を読んできたのである。

日本人が四季の感覚を読むときには、季節そのものを直接読むのではなく、その季節に縁のあるもの、とくに草花を手がかりにして季節感を読むのが普通である。春ならば桜、秋ならば萩を読むことで、間接的に季節の感じを表すのである。では夏はどうかと言えば、春の桜、秋の萩に相当するような夏の季節感を象徴するような草花の存在感が薄い。しいて言えば卯の花とか菖蒲ということになるのかも知れぬが、桜や萩のように多く歌われているわけでもないし、人の心に訴えかけるすぐれた歌もあまり見当たらない。

夏を歌う場合には、夏の季節感をストレートに歌ったもののほうが多いようである。古今集の夏の部の歌は杜鵑を歌ったものが大半を占めるが、杜鵑はなによりも夏の到来を告げる季節の鳥としてイメージされている。山家集では、夏の到来を告げるものとして杜鵑を歌ったもののほかに、長く降り続く五月雨や、夏の盛りの暑さを歌ったものがあるが、いずれも夏というものの季節感を歌うことに比重が置かれている。

万葉集でも夏を歌った歌はそう多くはない。夏を歌った歌でも、草花などにことよせて夏の季節感を味わうというものはあまりなく、夏という季節の旺盛な生命力に着目したものが多い。たとえば次の歌、
  人言は夏野の草の繁くとも妹と我れとし携はり寝ば(万1983)
これは、夏草のように旺盛に繁っているうわさなど気にせずに、一緒に寝ていようよ、という呼びかけの歌であるが、ここでは噂の横行するさまを、夏草が繁っていることに喩えているわけであり、夏は生命力の旺盛さと結びつけられている。

次の歌も同様である。
  このころの恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひしくごとし(万1984)
これは、自分たちの恋が盛んなさまは、夏草がいくら刈り取られても次々と生えてくるのと似ている、と歌ったもので、やはり夏草の生命力の旺盛さに着目している。

ある事象に事寄せて夏の季節感を読んだものとしては、持統天皇の有名な歌があげられる。 
  春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山(万28)
これは乙女らが織ったばかりの白布を水に晒して天日に干す光景に、春から夏への季節の移ろいを読み込んだものだ。雄大な自然を背景に、人間の小さな営みに注目するところは、いかにも格の大きさを感じさせる。

一方滑稽さをねらったものとして、大伴家持の次の歌があげられる。
  石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ(万3853)
うなぎは万葉の時代から夏バテ対策に重宝されていたようである。

ほとんどが杜鵑を歌っている古今集の夏の歌のなかで出色なのは次の歌である。
  さ月まつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする(古139)
これは古今集ではよみひとしらずとされているが、伊勢物語では在原業平が歌ったことになっている。

山家集の夏の歌は、夏の到来を告げるものとしての杜鵑、何時までも降り続く五月雨の頃、そして夏のさかりに暑苦しさを忘れさせてくれる夏の月を歌ったものが多い。その中で、夏に縁あるものとしての杜鵑、花橘、卯の花を同時に読み込んだ次の歌が興味深い。
  ほととぎす花たちばなはにほふとも身を卯の花の垣根忘るな(山195)
普通なら夏の季語を三つも並べたらうるさすぎて歌の格が劣るものだが、この歌はそのへんをうまくしのいでいる。もっとも秀歌とまではいえない。

夏を思わせる草花としてはあやめがあげられるが、これはどういうわけか、浄土信仰と結びついて、人を浄土に導くものとして表象されていたようだ。その信仰の一端を思わせるような歌を西行は歌っている。
  西にのみ心ぞかかるあやめ草この世はかりの宿と思へば(山205)






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