ほととぎす:西行を読む

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古今集の夏の部の歌は九割方ほととぎすを歌った歌が占めている。これは、ほととぎすが夏を代表するものとして人々に受け入れられていたことをあらわすと言えないでもないが、逆に、夏にはほととぎすくらいしか思い浮かばない、つまり夏にはあまり風情を感じない、ということを物語るとも受け取れる。

ほととぎすが既に万葉の時代から人々に親しまれていたことは明らかであり、日本人とほととぎすとの相性は非常によいと言える。ほととぎすは甲高い声を出しながら空中を飛ぶことから、人々に切羽詰ったような印象を与える。そこからほととぎすは、悲しみからこんな鳴き声を上げているのだとか、そうではなく逆に、この声は喜びを表したものだとか、さまざまな解釈を呼んだ。そういう多様な解釈を許すところにも、ほととぎすが日本人に愛された理由があるのかもしれない。

万葉集には、ほととぎすを歌った歌が百五十首以上もある。それらの歌の多くはほととぎすを単体としてではなく、藤の花や卯の花あるいは花橘とともに歌っている。その例をいくつかあげると、
  藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり(万1944)
卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや(万1976)
橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを(万3916)
これらの花はいづれも夏に咲くことから、夏を告げる鳥とされるほととぎすとは非常に似合うと思われたのだろう。

こんなところから、夏の到来を期待する気持をほととぎすの声に寄せる歌も多く作られた。古代の日本人にとって夏は恋の季節であったようで、ほととぎすの到来はその恋の季節の始まりを意味してもいたらしいのだ。
  逢ひかたき君に逢へる夜霍公鳥他(あした)時ゆは今こそ鳴かめ(万1974)
これはほととぎすに恋の仲立ちを願った歌で、万葉人にとってのほととぎすの意味をはからずも明らかにしたものと言ってよい。

ほととぎすは初夏に飛来して一夏を過ごし、その合間に子を生むが、カッコウの仲間として、自分で営巣せずに、鶯などの巣に卵を産んで育ててもらう託卵の習性がある。その習性を読んだ歌も万葉集にはある。
  鴬の生卵(かひこ)の中に 霍公鳥独り生れて 
己が父に似ては鳴かず 己が母に似ては鳴かず 
卯の花の咲きたる野辺ゆ 飛び翔り来鳴き響(とよ)もし 
  橘の花を居散らし 終日(ひねもす)に鳴けど聞きよし 
  賄(まひ)はせむ遠くな行きそ 我が屋戸の花橘に 住みわたれ鳥(万1755)

古今集夏の部の冒頭を飾るのはやはりほととぎすの歌だ。
  我やどの池の藤波さきにけり山郭公いつかきなかむ(古135)
これには「ある人のいはく柿本人麻呂が也」との注がついている。

山家集の夏の部にもほととぎすを読んだ歌が多く収められている。卯の花や橘とあわせて歌う万葉以来の伝統を踏まえたもののほかに、西行の場合には,ほととぎすの声に夏の到来を期待する気持をこめた歌が目立つ。たとえば、
  我やどに花たちばなを植ゑてこそ山ほととぎす待つべかりけれ(山182)
  郭公待つ心のみつくさせて声をば惜しむ五月なりけり(山184)

また、ほととぎすの声は何度聞いても聞き飽きぬといった歌もある。
  待つことは初音までかと思ひしに聞き古されぬほととぎすかな(山189)

ほととぎすが到来するとやがて五月雨の時候になる。五月雨は憂鬱なものだが、ほととぎすの声が雨の合間に聞こえることで、幾分かは気持のやわらげられるのを覚えることもある。そんな気持を西行は読んだ。
  さみだれの晴れ間尋ねてほととぎす雲井に伝ふ声聞ゆなり(山1468)

また、ほととぎすの託卵の習性についても西行は暖かい目を向けている。
  うぐひすの古巣より立つほととぎす藍よりも濃き声の色かな(聞78)
声を色にたとえるところが新しい感性を思わせる。






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