光の川で水を飲む至高天のダンテ:ブレイクの「神曲」への挿絵

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ダンテとベアトリーチェはいよいよ至高天へと上って行く。至高天とは神の座するところである。ダンテはここで神の姿を直接見ようと望むが、それには準備がいる。その最初のものが、光の川から水を飲むことだ。こうして身を清め、神を見るに耐える視力を持たねばならない。

 敏とき導者に似たる動作と聲とをもて重ねていふ。われらはいと大いなる體を出でゝ、純なる光の天に來れり 
 この光は智の光にて愛これに滿みち、この愛は眞の幸の愛にて悦びこれに滿ち、この悦び一切の樂しみにまさる 
 汝はこゝにて天堂の二隊の軍をともに見るべし、而してその一隊をば最後の審判の時汝に現はるゝその姿にて見む。 
 俄に閃く電光が、物見る諸の靈を亂し、いと強き物の與ふる作用をも目より奪ふにいたるごとく 
 生くる光わが身のまはりを照らし、その輝かゞやきの面おほひをもて我を卷きたれば、何物も我に見えざりき
 この天をしづむる愛は、常にかゝる會釋をもて己が許に歡よろこび迎ふ、これ蝋燭をその焔に適しからしめん爲なり。 
 これらのつゞまやかなる言葉わが耳に入るや否や、我はわが力の常よりも増しゐたるをさとりき 
 しかして新しき視力わが衷に燃え、いかなる光にてもわが目の防ぎえざるほど燦やかなるはなきにいたれり 
 さて我見しに、河のごとき形の光、妙なる春をゑがきたる二つの岸の間にありていとつよく輝き 
 この流れよりは、諸の生くる火出でゝ左右の花の中に止まり、さながら紅玉を黄金に嵌さむるに異ならず 
 かくて香に醉へるごとく再び奇しき淵に沈みき、しかして入る火と出づる火と相ひつげり
 汝が見る物のことを知らんとて今汝を燃しかつ促す深き願ひは、そのいよいよ切なるに從ひいよいよわが心に適ふ 
 されどかゝる渇きをとゞむるにあたり、汝まづこの水を飮まざるべからず。わが目の日輪かく我にいひ 
 さらに加ふらく。河、入り出る諸の珠、及び草の微笑は、その眞状を豫め示す象かたちなり 
 こはこれらの物その物の難きゆゑならず、汝に缺くるところありて視力未ださまで強からざるによる。 
 常よりもいと遲く目を覺しゝ嬰兒が、顏を乳の方にむけつゝ身を投ぐる疾ささへ 
 目をば優まさる鏡とせんとてわがかの水(人をしてその中なかにて優れる者とならしめん爲流れ出いづる)の方かたに身を屈かゞめしその早さには如かじ 
 しかしてわが瞼まぶたの縁この水を飮める刹那に、その長き形は、變りて圓く成ると見えたり
 かくてあたかも假面を被かうむれる人々が、己を隱しゝ假の姿を棄つるとき、前と異なりて見ゆる如く 
 花も火もさらに大いなる悦びに變り、我はあきらかに二組の天の宮人達を見たり 
 あゝ眞の王國の尊き凱旋を我に示せる神の輝よ、願はくは我に力を與へて、わがこれを見し次第を言はしめよ(天堂編第三十曲から、山川丙三郎訳)


絵は光り輝く至高天の太陽から、光が川となって落ちるさまを描き、それにダンテがひざまついて川の水を飲んでいる。ダンテの右手にはベアトリーチェがいて、ダンテの様子を見守る。

水を飲んだダンテは、ベアトリーチェが去ったあとに現れた聖ベルナルドスに導かれ、神を直接見る準備を進める。








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