能「西行桜」を見る

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最近NHKテレビが能の放送をあまりしなくなったので残念に思っているが、正月元日には縁起をかつぐということもあり、めでたい能を放送している。今年の題目は「西行桜」だった。これは世阿弥の自信作で、閑寂幽玄と華麗典雅の趣を兼ね備えているというので、正月の演目としては相応しい。昨年人間国宝になったばかりの観世流野村四郎師がシテをつとめ、これも人間国宝の大蔵流山本東次郎師が間狂言をつとめ、ワキの西行を福王茂十郎がつとめた。

西行桜の伝説は世阿弥の生きた室町時代初期には普及していたようだが、その原型は鎌倉時代中期に成立した「西行物語」にあるらしい。この物語の中では、出家後西山で庵を結んだ西行が、春になると大勢の人が花を見に集まって来るのが煩わしいと言って、「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠んだ、という話を紹介している。世阿弥はこれをもとにして、一曲の能を作ったと思われる。

一応腹式夢幻能の体裁をとっているが、多少崩れた形になっている。中入はないし、従って待謡もない。間狂言のまわしで西行と花見客がやりとりをしたあと、西行が転寝をすると、そこへ桜の花の精が、あらかじめ舞台の上にしつらえられた作り物の中から登場し、西行とやりとりをした後で、舞を舞うという構成になっている。その際に、西行が「桜の咎」云々と言っていることには根拠がない、何故なら桜は非情無心のものだから、浮世の咎とは関係ないからだ、というところがミソである。

居グセに続いて桜の精が舞うのは序の舞だが、この場合には太鼓も加わる。そのことによって、閑寂幽玄の趣に、華麗典雅の趣を加えようというのであろう。

能の曲目には、草木の精を主題にした作品がいくつかある。「遊行柳」「老松」「杜若」「梅」「藤」などだ。なかでもこの「西行桜」は、世阿弥の作と言うこともあり、もっとも完成度の高いものと言える。世阿弥自身、「後の世かかる能書くものやあるまじき」(申楽談義)といって自信のほどを披露している。

なお、この作品の原テクストの詳細については、別途紹介しているので、そちらを参照されたい。

(参考)能「西行桜」 





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