西行の恋(一):西行を読む

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西行は生涯に三百首を超える恋の歌を作ったが、それらがどんな人に向けられていたのか、特定の一人の女性か、あるいは時に触れ愛した何人かの女性か、ほとんどわかっていない。有力な説としては、西行が生涯に愛した女性はただ一人、それは待賢門院璋子だとするものがあるが、確証があるわけではない。待賢門院が徳大寺家の出で、徳大寺家に仕えていた西行とは深いつながりがあったはずだ、というのがその主な根拠で、また、待賢門院の子である崇徳院に西行が異常な忠義を尽くしていることを傍証にしているものが多いが、それとても西行と待賢門院との結びつきを愛の観点から説明するには苦しい。第一待賢門院は西行より十七歳も年上だ。十七歳という年の差は、西行の時代には母子のそれに相当する。そんな女性に西行が生涯をかけて恋い慕ったとするには、不自然なところも多い。だが、西行が待賢門院と深くかかわっていたことだけは事実のようだ。

ここでは山家集の中から西行の恋の歌をいくつかとりあげて鑑賞してみたい。まず、恋の部の中の月に寄せた一連の歌の中から。
  知らざりき雲居のよそに見る月の影を袂に宿すべきとは(山617)
月は愛する人の隠喩、雲居のよそに見る月は身分が高くて身近では見られない人という意味だ。その人の面影を衣にたまった涙のしずくに映してみるのが辛い、せめて本物の目で見つめたい、という切ない思いを歌ったものだ。

一読して、かなわぬ片恋を歌ったものだとわかる。ここから西行は、身分違いの高貴な女性に片恋の感情を抱き、その高貴な女性とは待賢門院だったとする解釈が生まれたのだろう。

  弓張の月にはずれて見し影のやさしかりしはいつか忘れん(山620)
弓張は月の掛詞、弓張月で弦月=半月をさす。その半月の明かりで見た愛する人のやさしい面影がいつまでも忘れられない、と歌ったものだ。これは、愛する人の面影を見ただけで満足したのか、それともやさしい人柄に直に接することができたのか、歌の文面からはわからぬ。読む人の想像にゆだねるということだろう。

  面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて(山621)
この別れは永久の別れではなく、一時的な別れ、つまり後朝の別れのことをいうのだろう。そうだとすると、西行はこの女性と一夜を過ごしたということになる。片恋ではないわけだ。そんなはずはない、西行には女と一夜を過ごした形跡はない、と主張するなら、この別れは永久的、あるいは半永久的な別れを歌ったものだとするほかはない。

  嘆けとて月やは物を思はするかこちがほなるわが涙かな(山628)
月は愛する人の面影に通じる、その面影を見ると嘆きの気持ちが深まって、つい涙が出てしまう、と歌ったものだ。これは、片恋の切なさを歌ったとも、愛する人と離れ離れになっていることを嘆いた歌とも受け取れる。

  面影に君が姿を見つるよりにはかに月の曇りぬるかな(山639)
月が曇ったのは涙のためである。月を見て愛する人の面影を抱き、そこから涙が流れてくるのをどうしようもなくもてあます、というような心の動きを歌ったものだろう。

以上、いづれの歌にあっても、月は愛する人の面影として捉えられている。月を見て愛する人を思い出すというよりは、月そのものが愛する人の面影なのである。西行が恋の部に月にかかわる一連の歌を載せたのは、月が愛人の面影と重なっているためなのだ。






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