花を持つ女(Vahine no te tiare):ゴーギャン、タヒチの夢

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1891年6月28日にタヒチの首都パペーテに下船したゴーギャンは、フランス政府のエージェントの資格で、現地のフランス人社会から大歓迎を受け、女まで世話してもらったが、やがてうんざりして、パペーテの南東50キロのマタイエアという部落に移り、そこの掘っ立て小屋に住むことにした。タヒチ滞在記「ノアノア」によれば、マタイエアにおちつき、仕事に取り掛かろうとしていたとき、ゴーギャンは是非タヒチの女性の肖像画を描いてみたいと思っていた。そんな矢先に一人の女性が現れて、ゴーギャンのためにポーズをとってくれた。その絵がこの「花を持つ女(Vahine no te tiare)」である。

ゴーギャンによるこの女性の印象は次のようなものだった。「彼女はたいして綺麗ではなかった。ヨーロッパ的な美の規範からすれば。けれども、美しかった。顔立ちのあらゆるところに曲線の出会いがあり、ラファエロ的な調和があった。その口は思考と口づけ、喜びと苦悩のあらゆる言語を語る一彫刻家によって塑像されていた。私は彼女のなかに読み取っていた。未知の男への恐れ、快楽と苦さのまじりあった愁い、そして一見譲歩するようであるが、結局は支配的なままでいる、あの受動の才を」(岩切正一郎訳)

綺麗ではなく美しかった、というのは、人工的な美ではなく、精神性をも含めた自然の美しさを、ゴーギャンはこの女性に感じたということなのだろう。ゴーギャンが、この南洋の果てまでわざわざやって来たのは、この自然の美しさを見出すためだったに違いない。

上の文章にあるように、構図にはラファエロ的な調和を意識しているところが見られる。一方色彩の方は、ヨーロッパ美術の伝統から大きく逸脱し、原色をふんだんに使い原始的なエネルギーを感じさせる。暖色の赤を背景にしながら、寒色の青で前景の人物を浮かび上がらせるところは、逆説的な色の使い方である。背景に花と草を散りばめたところは、「光輪のある自画像」の延長だと思われる。

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これは、女性の顔の部分を拡大したもの。唇をかたく結び合わせ、眼には思案げな様子が感じられる。ヨーロッパ人とは異なった精神性を、ゴーギャンはこの表情に認めているようである。

(カンヴァスに油彩 70×46cm コペンハーゲン ニューカールスベア美術館)





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