2017年2月アーカイブ

三番叟を見る

| コメント(0)
170201.sanba1.jpg

和泉流狂言の名跡野村万之丞襲名披露として演じられた「三番叟」の模様を先日(三月廿六日)NHKが放送した。この披露は、一月の松のうちに千駄ヶ谷の国立能楽堂で行われたそうだ。三番叟は毎年の初めに、「翁」とともに演じられるのが恒例化しており、今年もそれにあわせて松のうちに演じられたわけだが、これに名跡の襲名披露が重なって、めでたさも二重になったというわけである。

益田兼尭像:雪舟の肖像画

| コメント(0)
ss6002.jpg

雪舟には、肖像画が四点伝わっている。いずれも大和絵風の画風に従って描かれたもので、そのうちの三点は鮮やかに彩色されている。肖像画は、鎌倉初期に写実的なすぐれた作品が生まれたあと、長く停滞気味であったが、雪舟は大和絵の画法によりながら、質の高い作品を生み出した。

gg1892.5.1.jpg

「いつ結婚するの(NAFEA Faa ipoipo)と題したこの絵は、ゴーギャンの第一次タヒチ滞在時代の傑作の一つだ。長らくバーゼル美術館が保存してきたが、2015年に所有者が匿名の相手に売却した。その時の価格は三億ドルだったそうだ。

原敬:服部之総「明治の政治家たち」

| コメント(0)
服部之総の「明治の政治家たち」は、原敬を中軸に据えて、何らかの程度で彼につながりのある政治家たちを取り上げている。そのメンバーは、陸奥宗光、星亨、伊藤博文、板垣退助、大隈重信、山縣有朋、桂太郎、西園寺公望といった面々である。陸奥は原の庇護者として原を政治家として鍛えた人間であり、星もやはり陸奥の庇護を受け、原とは兄弟弟子の関係にあった。また、原が活躍の舞台とした政友会を実質的に立ち上げた人物である。伊藤は、長州閥のチャンピオンかつ明治の元勲というイメージが強いが、初代の政友会総裁として政党内閣をつくった人物だ。板垣はその政友会の先祖というべき自由党の党首であったし、大隈はその板垣と対立しながら、政党政治の成熟に一定の役割を果たした。山縣は長州閥の首領としての意識が強く、一貫して政党政治に敵対した。その点では原の最大の政敵であった。桂と西園寺は、政治家としてはやや小粒だが、原の目論んだ政友会と閥族による政権のたらいまわしを担った役者である。

伊勢神宮に参る:西行を読む

| コメント(0)
西行はたびたび伊勢神宮に参拝しているが、その最初のものは出家後間もない頃のことだったと思われる。山家集の次の歌が、その折の気持を歌ったものだと考えられる。
「世を遁れて伊勢の方にまかるけるに、鈴鹿山にて
  鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てていかになり行くわが身なるらん(山728)

神々の深き欲望:今村昌平

| コメント(0)
imamura10.kami0.jpg

今村昌平の全盛期には、日本の歴史に題材をとり、日本人の古層を探ろうとするような一連の作品があるが、「神々の深き欲望」はその嚆矢となるものである。この作品は現代日本の一隅を舞台にしている点で、純粋な歴史物ではないのだが、その舞台というのが現代とはいっても、古代がそのままに息づいているような空間なので、我々は現代の日本を見ながら、そこに古代が再帰しているような感覚に陥る。

トランプの対メディア戦争がいよいよ現実化したようだ。日頃自分を批判するメディアを敵視してきたトランプだが、先日の保守系の集会CPACの会場でそうしたメディアを不正直でうそつきだと改めて決めつけ、彼の腹心のバノンは、トランプを批判するメディアは「国民の敵」だと断言した。そういう動きを受けた形で、ホワイトハウスでは記者会見の会場からトランプに対して批判的なメディアが締め出される一方、トランプに好意的なメディアだけを対象に会見が行われるという事態が起きた。

雪舟の山水図

| コメント(0)
ss6001.1.jpg

この山水図には、朝鮮人李孫及び朴衡文の賛がある。この二人は、文明十一年(1479)の朝鮮通信史の一員として来日したので、その折に賛を寄せたのだと思われる。この頃雪舟は、周防の大内氏に身を寄せていたが、朝鮮通信史の一向も、京の兵乱を避けて周防に寄り、その際に雪舟のこの絵を見て、賛を寄せたのだろう。

安部公房は「壁」と前後して何本かの短編小説を書いている。その中で今日でも色あせて見えないのは「デンドロカカリア」と「水中都市」だ。どちらも人間の変身を描いている。「デンドロカカリア」のほうは人間の男が植物に変身する話だし、「水中都市」のほうは、肉体的には人間の外形を保ったままであるが、機能的には魚となって水中の都市を遊泳する男たちの話だ。

日独社会文化比較論を聞く

| コメント(0)
四方山話の会の諸子といつもの通り新橋の古今亭で小宴を催した。今回の語り部は七谷子だというので、小生の外、福、岩、越、石、小、六谷、浦の諸子あわせて九名が参加した。小生が会場についたのは集合時刻より十五分も前だったが、それと前後して大方の参加者が集合し、時間どおりに現れた七谷子が遅刻の言訳をしなければならなかった。

gg1892.4.1.jpg

「気晴らし(Arearea)」と題したこの絵は、女たちの楽しいひとときを描いたものだ。マタイエアの珊瑚の浜辺で、木陰に座った二人の女。一人は縦笛を吹き、もう一人がその音に聞き入っているが、何故か表情はこちら側を向いている。あたかもポーズをとっているようだ。

エロ事師たちより人類学入門:今村昌平

| コメント(0)
imamura09.ero.jpg

小沢昭一は日本映画史上に独特の存在感を残した個性的な俳優だったが、その彼の始めての主演映画で、圧倒的な小沢的世界を見せてくれたのが1966年の映画「エロ事師たちより人類学入門」だ。小沢は川島雄三に見込まれ、端役ながら川島の映画に数多く出ていたが、川島の助監督を長く続け、川島を師匠と仰ぐ今村のこの作品で主役に抜擢された。

アドルノの「本来性という隠語」を読んだ後で仲正のこの本を読むと、落差の大きさに驚かされる。一方はハイデガーの民族主義的・全体主義的傾向を徹底的に批判する意図で書かれているのに対して、こちらは初心者を相手にした入門書だという違いもあるが、同じ「本来性」という言葉についても、両者の受け止め方は大分違っている。アドルノはこの言葉に、ハイデガーの狭隘な民族主義を読み取っているのに対して、仲正の方はハイデガーの意図を尊重して、それを人間の「本来的な」生き方というニュアンスで、肯定的に捉えている。

出家後の西行:西行を読む

| コメント(0)
「西行物語」は、西山で出家した西行はそのまま西山に滞在し、その後しばらくして伊勢に移ったとしているが、「山家集」などの記述によると、鞍馬山とか東山、嵯峨などを転々としていたようである。西行が出家後も都にとどまったのは、都に愛する女性、すなわち待賢門院がいたからだろう、と瀬戸内寂聴尼は推測している。

武士道残酷物語:今井正

| コメント(0)
imai07.zankoku.jpg

今井正の1963年の映画「武士道残酷物語」は、ベルリン映画祭でグランプリを受賞した。この映画に描かれた人間が、日本人の本質を表現していると評価されたからだと思う。日本人というのはヨーロッパ人にとっては、なかなか理解しにくい人間たちだった。なにしろお国のためなら何の疑問もなしに死んでゆくわけだし、自己を殺して集団に同調する特異な生き物と見られていた。そんな日本人の特異性の秘密が、この映画によって多少解明された、そう多くのヨーロッパ人は感じて、この映画を高く評価したのではないか。

このところアメリカ各地のユダヤ人施設が爆破予告などのいやがらせにあっているという。これはアメリカ国内で高まっている人種差別感情が、ユダヤ人に対して向けられているものだ。アメリカに限らず白人国家では、人種差別感情が高まるごとにユダヤ人が標的になってきた歴史がある。今般については、その人種差別意識を煽動しているのがトランプだ。トランプは、自分の娘婿がユダヤ人であり、娘自身もユダヤ教に改宗したこともあって、イスラエルやアメリカのユダヤ人コミュニティに対して自分のユダヤ贔屓をアピールしているが、それが反イスラムの人種差別と結びついていることで、アメリカ人の人種差別意識を刺激し、その攻撃性がユダヤ人に向かっているのだと考えられる。

冬景山水図:雪舟

| コメント(0)
ss5704.1.jpg

「冬景山水図」は、「秋景山水図」と対をなすものであり、ともに雪舟の最高傑作に数えられる。なかでもこの「冬景山水図」は、構図と言い筆致といい、特に完成度の高い作品である。左上に「雪舟」の落款と「等楊」の押印があるが、これはもともとの形であったと思われる四幅一組の左端に配したものであろう。

gg1892.3.1.jpg

「市場にて(Ta Matete)」と題したこの絵は、パペーテの市場の様子を描いたものだ。南洋の島の市場にかかわらず、果物や魚などを売る様子は描かれていない。描かれているのは、派手に着飾った女たちだが、実はこれも売り物なのだ。女たちは着飾って媚びを売るような表情を見せ、自分の体をフランス人に売り込んでいるのである。

ウッドロー・ウィルソンとF・D・ローズヴェルトは、アメリカの歴代大統領の中では、政治理念にこだわった珍しい部類の政治家ということになっている。二人とも民主党の大統領として、今日で言うリベラルの政治理念を掲げ、それを実行に移した政治家であったといえる。このリベラルという理念について、ホフスタッターは立ち入った分析をしていないが、それまでのアメリカの政治理念である自由放任主義に対立した概念だという漠然とした捉え方はしている。ウィルソンもローズヴェルトも、自由放任主義をマイナスに捉えたわけではないが、その行き過ぎは社会正義に反するという考え方は持っていた。ここで社会正義と言われるのは、自由放任主義者の固執するような、機会の平等ということではなく、機会の平等が形式的な理念にとどまらず実質的なものになるには、人々を同じ条件で競争に参加させるような舞台を、政府が作るべきだという考え方の上に成り立っていた。こうしたリベラルの立場は、21世紀の今日まで、すくなくともアメリカの政治においては、一定の影響力を持ち続けているが、ウィルソンはそうしたリベラルの考え方をアメリカの大統領として最初に提示した政治家であり、ローズヴェルトはそれを受け継いだうえ、更に発展させた、というふうにホフスタッターは捉えているようである。

西行の出家二:西行を読む

| コメント(0)
徳川美術館蔵の「西行物語絵巻」は、出家を決意した西行が、自分に取りすがろうとする幼い女子を縁側から蹴落とす場面から始まる。その部分の詞書は次のとおりである。

米:今井正

| コメント(0)
imai06.kome.jpg

今井正の1957年の映画「米」は、霞ヶ浦地方の貧農の暮らしぶりをテーマにしている点で、内田吐夢の戦前の作品「土」と似ている。実際今井は「土」を意識してこの映画を作ったようである。しかし、「土」の場合には、同時代の小作農の生活の実態が描かれていたのに対して、今井がこの映画を作った時代には、「土」で描かれたような小作農は、すでに存在しなかったはずだ。それ故、この映画は当時の農村の実像とはかなりずれたところがあると思うのだが、今井自身はそのことにあまり頓着している様子がない。あたかも戦後十年以上たった日本においても、小作農と呼ばれる貧農層が最低限の生活を強いられているといったイメージを持ち続けていたようである。

あひるの新年会

| コメント(0)
あひるの仲間と遅ればせの新年会を催した。場所は例年のとおり新宿西口の三代目網元。参加したのは、ミーさんあひる、オーさんあひる、静ちゃんあひる、少尉あひる、アンちゃんあひる、横ちゃんあひる、それに絵描きあひること小生のあわせて七羽であった。今ちゃんあひるは今年も出られなかった。横ちゃんあひるが残念がって、今年は今ちゃんあひるの卒業する年だから、記念に卒業旅行を計画したいと思って、今日会ったら是非何処に行きたいか聞いてみたかった、というので、後日別途聞いて見なさいとすすめた次第だった。

秋景山水図:雪舟

| コメント(0)
ss5703.1.jpg

「秋景山水図」及び「冬景山水図」は、もともと四季山水図四点のうちの二点だったと考えられる。この二点は、「山水長巻」と並んで雪舟の最高傑作というに相応しい作品だ。画法的には、若年時の技法や中国からの影響を脱して、雪舟独自の境地を切り開いた記念碑的な作品と言える。

安部公房「壁」

| コメント(0)
安部公房を始めて読んだのは高校生のときであったが、その折に受けた印象は、直前に読んでいたカフカの模倣のようで、オリジナリティを感じることがなかった。そこで若い筆者は安部の作品を読む動機を失ってしまったのだったが、どうやらそれは早合点過ぎたようだ。というのも、最近になって安部の作品「壁」を読んでみて、たいへんぞくぞくさせられたからだ。これはこれなりにオリジナリティがある。たしかにカフカを思わせるところはあるが、安部らしい独創性もある。戦後の日本文学の中でも、かなりユニークなものなのではないか。そんな印象を受けたのであった。

gg1892.2.1.jpg

「マンゴーを持つ女(Vahine no te vi)」は、「花を持つ女」とともに、ゴーギャンが西洋流の構図で描いた肖像画の傑作だ。「花を持つ女」のほうは、ダ・ヴィンチのモナリザを想起させるのに対して、この「マンゴーを持つ女」は、同じくダ・ヴィンチの「白貂を抱く女」を想起させる。「白貂を抱く女」は、両手で白貂を抱いた女が、頭を体と反対向きにしているところを描いているが、この絵でも、女は体と反対の方へ顔を向けている。

真昼の暗黒:今井正

| コメント(0)
imai05.mahiru.jpg

今井正の映画「真昼の暗黒」は、冤罪事件として有名な八海事件を取り上げたものである。この事件は1951年に発生し、最高裁判所による最終判決が1968年に出されたという非常に息の長いものだったが、裁判が進行中の1956年に今井が映画化し、被疑者の冤罪を訴えたために大きな話題となった。係争中の事件を取り上げ、あたかも国家権力の暴力によって冤罪がおきたといわんばかりの内容だったので、司法当局側から厳しい批判を受け、国民の間からも大きな関心が寄せられた。そんなことが災いしたか、冤罪被害者の無罪が確定するのは、事件後十七年も経ってからであり、そこには国家権力の面子への配慮が働いていたと思わせたものである。

トランプがパレスティナ国家構想に疑問

| コメント(0)
トランプがイスラエル首相ネタニアフとの会談後に行った記者会見の席で、これまでアメリカの外交方針だったイスラエル・パレスティナの二国家共存構想に疑問を投げかけた。その意図は、これまでこの構想が実現しなかったのだから、ここで新しいアプローチを考えてもよいということらしい。

徳永洵「現代思想の断層」

| コメント(0)
徳永洵は、三島憲一と並んでドイツ現代思想の紹介者として知られる。ドイツ現代思想は、フランスの現代思想のにぎやかさに押されて、日本ではいまひとつ流行らなかったが、徳永はそれを根気強く日本人に紹介してきた。とりわけ、フランクフルト学派の紹介で知られるが(「啓蒙の弁証法」を翻訳している)、それはフランク学派が戦後のドイツ思想を代表するものであってみれば、当然のことだろう。

西行の出家(一):西行を読む

| コメント(0)
saigyo2.jpg

西行の若い頃のことはあまりわかっていないが、数え年二十三歳で出家したということは、藤原頼長の日記「台記」に言及がある。以下、その部分(永治二年三月十五日)を引用する。

山びこ学校:今井正

| コメント(0)
imai04.yanabiko.jpg

今井正の1952年の映画「山びこ学校」は、生活綴り方運動で知られる無着成恭の実践記録を映画化したものである。無着成恭は、戦後山形の師範学校を卒業した後、山県県内の僻地の中学校の教師となり、そこで生徒の貧困に直面しながら、民主主義教育に邁進した人物である。彼は、生徒の低い学力を高める方法として、生徒に綴り方を書かせる運動をはじめ、その運動の経緯を記録にして出版したところ、それがベストセラーとなった。綴り方運動は、戦前の寺田寅彦たちの運動など前例もあって、国民の関心を集めていたこともあり、無着の運動は大いに注目を集めたわけである。民主主義の理念を普及することを使命に思っていた今井が、それを映画化した次第だ。

トランプ時代の中国

| コメント(0)
トランプが登場して、アメリカのエスタブリッシュメントと世界秩序への挑戦を叫ぶようになって、世界に大きな衝撃が走っている。従来の同盟国を含めてどの国にもマイナスの影響が予想されるなかで、最も大きな影響を蒙るのは中国だと思われる。その影響は経済と政治の両面に及び、場合によっては新たな冷戦の始まりを予想させるような厳しいものになる可能性がある。

山水図屏風(右隻):雪舟

| コメント(0)
ss5702.1.jpg

山水図屏風の右隻は、左隻と連続しているわけではないが、図柄としては、同じような雰囲気のようなものを並べ、左右一体で調和を醸し出している。

gg1892.1.1.jpg

「浜辺のタヒチの女たち」と非常に良く似た構図の絵だが、微妙に違うところもある。二人の女のうち左側は、ポーズも服装も全く同じといってよいが、右側は腕と脚を露出させ、タヒチ風と思われる衣装を身につけており、ポーズも違っている。ただ表情はよく似ている。もっともこちらの方が、ピリッとした表情に見える。

南北戦争が終了してから世紀の変わり目までの数十年間を、ホフスタッターは「アメリカの金ぴか」時代と呼んでいる。この時代には共和党の凡庸な政治家たちが合衆国大統領職に次々とついた。唯一の例外はグローヴァー・クリーヴランドで、彼は一応民主党に担がれたということになっているが、ウッドロー・ウィルソンが後に主張したように、全然民主党的ではなく、「保守的共和党員」と言ってよかった。要するにこの時代は、共和党がアメリカの政治を牛耳っていたわけである。

山水図屏風(左隻):雪舟

| コメント(0)
ss5700.1.jpg

雪舟としてはめずらしい六曲一双の図屏風形式の山水画である。一応伝雪舟という扱いになっていて、真筆とは断定されていないが、真筆の可能性は非常に高いとされる。落款に「備陽雪舟筆」とあることから、文明六年(1474)頃の作品と思われる。この時期に雪舟は、山水小巻を描いており、筆致に共通するものがあると指摘される。両者とも、行体画だということで、全体としてやわらかい印象が特徴である。

どっこい生きてる:今井正

| コメント(0)
imai03.dokkoi.jpg

日本の映画人が敗戦直後の日本の混乱を正面から描くのは、戦後かなり経ってからだ。そこには進駐軍の強い意図が働いていたと思われる。敗戦による混乱を描くよりも、軍国主義から解放され民主主義が実現した喜びを描くべきだ、というような進駐軍の意向が、日本の映画人に作用して、戦後の混乱を正面から描くことをためらわせたフシがある。

阿漕:西行を読む

| コメント(0)
世阿弥の作と伝えられる能に「阿漕」という作品がある。伊勢の阿漕が浦に伝わる伝説を取り上げたものだ。阿漕とはその地の漁師の名であったが、その男が、伊勢神宮にお膳を供えるために一般の漁が禁止されていた海でたびたび漁をした。それが発覚してお咎めをこうむり、この海に沈められてしまった。それ以来このあたりの海を阿漕が浦と呼ぶようになったという話である。それが何故か、早い時期から西行の伝説と結びついた。阿漕はすこしならばれないと思ってやっていたところ、それが度重なったために発覚してしまったのだが、それと同じように、西行も思い人にたびたび懸想したために片恋がばれてしまった、というふうに伝わるようになったわけである。

サルトルのフォークナー論

| コメント(0)
サルトルは、フォークナーを世界でもっとも早く評価した。「サートリス」を取り上げたのは1938年のことだし、「響きと怒り」を取り上げたのはその翌年のことだ。いずれも刊行から10年くらいしかたっておらず(両作品とも1929年刊行)、フォークナーはまだ無名だった。サルトルがフォークナーを紹介したことで、フォークナーはまずヨーロッパで名が知られるようになり、その後アメリカに逆輸入されたような形だ。ここではサルトルのフォークナー論のうち、「響きと怒り」を論じた「フォークナーにおける時間性」を取り上げてみたい。

gg1891.5.1.jpg

「砂浜のタヒチの女たち」と呼ばれるこの絵には、マオリ語の題名はついていない。右下にゴーギャンの署名と91年の年期が記されているだけである。

また逢う日まで:今井正

| コメント(0)
imai02.mataau.jpg

「また逢う日まで」といえば、ガラス戸越しに接吻する男女のせつない姿が、戦後の日本人の心を揺さぶった、という伝説がある。何しろ終戦直後の日本人は、いわゆる民主的な空気が社会を覆うようになって、男女の愛についても従来ほど因習的ではなくなっていたとはいえ、若い男女がガラス戸越しに接吻する姿は、やはりショッキングに映ったものと見える。そんなこともあってこの映画は、色々な意味で、日本映画にとってエポックメーキングな作品だったといえる。

細見和之「フランクフルト学派」

| コメント(0)
細見和之はドイツ現代思想研究者で「啓蒙の弁証法」の訳者徳永洵の弟子として、フランクフルト学派を主に研究してきたとあって、フランクフルト学派を紹介したこの本は実に目配りが聞いており、しかもわかりやすい。フランクフルト学派研究の入門書としては非常にすぐれているといえよう。先日読んだ仲正昌樹の「現代ドイツ思想」も、フランクフルト学派を中心に現代ドイツ思想を手際よく紹介していたが、そちらは文意の解釈が主体で、フランクフルト学派の思想史的な意義についての突込みが足りない。それに比べるとこの著作は、フランクフルト学派の思想内容はもとより、その思想史的・社会史的位置づけがわかりやすく論じられている。対象への向かい方が、仲正と違っているせいだろう。仲正は「思想業界」の一員を自認しているとおり、商品の効用を説明するような気軽さを感じさせるのに対して、こちらは対象へのコミットメントというか、対象への同情が感じられる。その同情が文章に熱を含ませ、それが読んでいる者にも伝わってくるといった具合なのだ。

両国でちゃんこ鍋を食う

| コメント(0)
山子夫妻、落、松の諸子と遅ればせの新年会を催した。場所は両国のちゃんこ屋川崎。両国に数多いちゃんこ屋の中でも、最も古い店だ。開業は昭和十二年だという。歴史が古いばかりでなく、建物もかなり古い。隅田川べりの路地に面して立っているが、外観も内装もなかなかの渋さを感じさせる。

西行の同性愛:西行を読む

| コメント(0)
西行には、同性愛を疑わせる歌がある。たとえば、 
  こととなく君恋ひわたる橋の上にあらそふ物は月の影のみ(山1157)
この歌には次のような詞書が付されている。「高野の奥の院の橋の上にて、月明かりければ、もろともにながめあかして、その頃西住上人、京へ出でにけり、その夜の月忘れがたくて、又同じ橋の月の頃、西住上人のもとへ言ひつかわしける」

青い山脈:今井正

| コメント(0)
imai01.aoi.jpg

今井正の1949年の映画「青い山脈」は、戦後日本を象徴するような映画だった。新憲法が発布されて二年後に作られたこの映画は、ある意味新憲法の精神を国民に訴えるプロパガンダ作品のような面を持っていたし、またそこで描かれた男女の愛の素晴らしさとか、個人の自立を強調するところなどは、いままでそんなことを見聞したことのない日本人に大きなインパクトをもたらした。そんなこともあって、この映画は賛否どちらの立場からも大いに議論されたし、一般国民の関心も引き寄せた。興行的には大成功し、主題歌も大ヒットした。この歌は今でも人々に愛唱されており、その人気の根の深さは誰もが認めるところだ。内田樹などは、この歌を日本の国歌にしたいと言っているくらいだ。

雪舟の山水小巻

| コメント(0)
ss5501.1.jpg

現在山口県立美術館が保存する雪舟の山水図巻は、毛利博物館所蔵の山水図巻が「山水長巻」と呼ばれているのに対比して「山水小巻」と呼ばれる。長巻に比べてもともと高さも幅も短かったことに加え、現存するものは、原本を二つに裁断したものの前半に過ぎないからだ。

トランプとドゥテルテ

| コメント(0)
先般、トランプとベルルスコーニの共通点を強調する意見を紹介したが、最近はトランプをフィリピンのドゥテルテに比較する議論もあるようだ。最近のJapan Times に載っていたフィリップ・バウリングの小文などもその一つだ。バウリングによれば、この二人は致命的なところで共通の間違いを犯している。それは同じく共通点と言っても、負の共通点というわけだ。

gg1891.4.1.jpg

タヒチの人々との係わり合いについて、ゴーギャンは「ノアノア」のなかで次のように書いている。「野蛮人と私との、親睦の始まりだった。野蛮人! このことばは、食人の歯をしたこの黒人たちのことを思うと、避けがたく私の唇にのぼってくるのだった・・・私にとって彼らがそうであるように、彼らにとっても私は『野蛮人』であった。そしてたぶん私のほうが間違っていたのだろう」

リンカーンといえば、アメリカ流民主主義の体現者であり、また奴隷解放に象徴されるようなヒューマンな政治家だったというイメージが強い。彼は六十万人以上のアメリカ人の命を奪うこととなった南北戦争を主導したが、それはアメリカという生まれて間もない国を、民主主義の理念のもとに再統一する為の戦いであって、この内乱を経ることによって、アメリカは強固な民主主義国家として生き残ることができた。そういう評価がいまでも支配的だが、ホフスタッターも基本的にはそういう見方に立ってリンカーンを積極的に評価する一方、多少冷めた視線から、リンカーンを相対的に見ているところもある。

西行の恋(三):西行を読む

| コメント(0)
山家集の雑の部には、「恋百十首」と題した一連の歌が収められている。西行は何故、恋の部ではなく雑の部に、このような大量の恋の歌を収めたのか。その手がかりを掴むには、恋の部の歌と雑の部の恋の歌とを丁寧に読み比べるくらいしかないと思うのだが、それにしても両者の間にそんなに明瞭な違いがあるようにも思えない。そんななかで一つ、気になるところがある。それは、男が女を思って歌ったというよりも、女の立場から恋の思いを歌ったと思われるようなものが雑の部の恋の歌には見られるという点だ。たとえば、
  待かねて一人は臥せど敷妙の枕並ぶるあらましぞする(山1284)

カティンの森:アンジェイ・ワイダ

| コメント(0)
pol202.katin.jpg

「カティンの森」は、アンジェイ・ワイダが2007年に作った映画だ。第二次大戦勃発後まもなく起った「カティンの森」事件を題材にしている。この事件は、長い間真相が不明瞭であったが、世紀の変わり目前後に全貌が明らかにされ、ポーランドは無論世界中の関心を集めた。この映画はそうした関心に応える形で作られたのだと思う。アンジェイ・ワイダはその時八十歳になっており、老後の情熱をこの映画に傾けたようだ。そのわりにややしまりのないところもあるが、ワイダの年齢を考えれば仕方のないことだろう。

黄初平図(倣梁楷):雪舟

| コメント(0)
ss5303.1.jpg

梁楷は、南宋の宮廷画家として活躍した人だが、宮廷の雰囲気とは正反対の、禅味を思わせる渋い絵を描いた。その渋さが日本の禅僧たちに受け、禅寺ではもてはやされたという。禅僧の端くれだった雪舟も、梁楷には親しみを感じたに違いない。

フォークナーの「サンクチュアリ」

| コメント(0)
「響きと怒り」は、小説の様式を大きく変化させた20世紀最大規模の実験的な試みとして、構成や語り口に大きな関心が払われてきたが、小説の本体ともいえるストーリー展開にはそれほど関心が向かなかった。フォークナー自身も、ストーリーよりスタイルのほうに拘っているといった様子で、この小説を通じて何を訴えたかったのか、かならずしも明確なイメージを持っていなかったように見えるところもある。それに比べると、「サンクチュアリ」のほうは、物語としても面白く、またそのメッセージ性も強烈だ。それは一言で言えば、アメリカ社会批判ということになる。

gg1891.3.1.jpg

ゴーギャンは、タヒチの原地人(マオリ族)の宗教感情について、彼らがヨーロッパ人とは違うものを持っていることに気付いたが、それをイメージであらわす際には、ヨーロッパ的な表現を採用した。この「マリアを拝す(Ia Orana Maria)」と題した絵は、その典型的なものだ。

pol201.piano.jpg

「戦場のピアニスト(The Pianist)」は、ワルシャワ・ゲットーの生き残りであるユダヤ系ポーランド人ウワディスワフ・シュピルマンの手記を映画化したものである。この手記は1946年にポーランドで出版された際には、すぐさま絶版処分されたのだったが、1998年に息子のアンジェイによってドイツ語訳が出版されると大きな注目を浴びた。ポランスキはそれを2002年に映画化したわけである。

円安誘導批判は「全くあたらない」か?

| コメント(0)
トランプが日本を名指しで批判し、日本が為替操作を通じて円安誘導していると言ったことを受けて、安倍内閣の官房長官が早速、その指摘は「全くあたらない」と反論したほか、安倍晋三総理自身も、トランプの指摘は「あたらない」と逆批判した。その理屈は、日本の金融緩和政策は「物価安定目標のために設けられているもので、円安誘導を目的としたものではない」ということらしい。

仲正昌樹「現代ドイツ思想講義」

| コメント(0)
ドイツ思想というのは昔の日本人には大変人気があって、カントやヘーゲルの研究者はそれこそ雲霞の如くいたし、マルクスをドイツ思想に含めれば、日本人にとっての外来思想はほとんどドイツ色一色に染まっていたといってよいほどだ。そんなドイツ思想の勢いも、現代に入ると急に色あせる。戦後の日本人にとっては、かつてドイツ思想が誇っていた地位はフランス人の思想にとって代わられたばかりか、いまや現代ドイツ思想に親しみを覚える人はあまりいないのではないか。仲正昌樹は学校でドイツ研究を専攻した事情もあって、現代ドイツ思想に親しみを覚える数少ない人の一人である。

西行の恋(二):西行を読む

| コメント(0)
山家集の恋の部は、月に寄せて恋を歌った一連の歌のあとに、単に恋と題した歌五十九首を載せている。月は愛する人の隠喩だったからこそ、恋の部の歌の多くを、月を歌ったものが占めたわけだが、恋はなにも月を連想させるだけではない。ほかのものを通じても恋は連想されるわけだし、恋の感情そのものをストレートに歌ってもよい。そんなふうに思わせる歌が、月に続いて収められたわけであろう。ここではその中からいくつかを取り出して鑑賞したい。

rus21.boku2.jpg

1962年のソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」は、第二次世界大戦、ロシア語でいう「大祖国戦争(Великая Отечественная война)」の一齣を描いたものだ。この戦争はソ連にとって、対ナチスドイツの戦争だったわけだが、実に2000万人の国民がドイツ軍によって殺された。これがどんなにすさまじい数字であるか。当時のソ連の人口はロシア以外のソ連構成国を合わせても二億に満たなかったと思われるし、ロシア人だけでは一億程度だったろう。そのうちの2000万人が殺されたわけであるから、半端な数字ではない。だからドイツ人に対するロシア人の恨みは深いのであって、その恨みは戦後20年もたっていない1962年の時点では、まったく薄まっていなかったはずだ。この映画はそうしたロシア人側の心情を強く反映したものになっている。この映画の迫力は、ロシア人の怨念に根ざしているといってよい。

最近のコメント

アーカイブ