西行の恋(三):西行を読む

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山家集の雑の部には、「恋百十首」と題した一連の歌が収められている。西行は何故、恋の部ではなく雑の部に、このような大量の恋の歌を収めたのか。その手がかりを掴むには、恋の部の歌と雑の部の恋の歌とを丁寧に読み比べるくらいしかないと思うのだが、それにしても両者の間にそんなに明瞭な違いがあるようにも思えない。そんななかで一つ、気になるところがある。それは、男が女を思って歌ったというよりも、女の立場から恋の思いを歌ったと思われるようなものが雑の部の恋の歌には見られるという点だ。たとえば、
  待かねて一人は臥せど敷妙の枕並ぶるあらましぞする(山1284)

これは、あなたの来るのを待ちわびて一人臥していますが、せめて枕をならべる心積りはいたしております、と歌っているもので、明らかに女から男に向けた歌である。当時の男女の間柄と言うのは、まだ妻問い婚の影響が色濃く残っていて、男が女のもとを訪ねるという形をとっていたケースが多かった。だからこの歌は、自分を訪ねてくる男を待ちわびる女の気持を歌ったと解釈できる。

それにしても西行はなぜ、自分を女に見立てて、こんな歌を歌ったのか。久保田淳は、西行には女房歌の発想が見られると指摘しているが(新古今歌人の研究)、これもその一つの現われなのか。西行に女房歌の発想が見られるとして、何故彼がそんな歌を好んで歌ったのか。ともあれ山家集雑の部の恋の歌には、女の立場に自分を置き換えて歌ったと思われる歌がほかにも見られる。そのいくつかを鑑賞してみよう。

  逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我心かな(山1269)
再びお会いできるまで生きていたいと思っていましたが、そんなふうに思いつめていた自分の心がくやしく思われます、何故ならあなたが再び逢いに来てくださることは望めないのですから、という意味の歌だろう。これは、愛してもくれない男の心を読み誤った自分を責めている女の歌と解釈できる。

  今よりは逢はで物をば思ふとも後憂き人に身をばまかせじ(山1270)
これからは逢わずにいましょう、なぜなら逢ったあとで悲しい思いをしますから、そんな人に身を任せるのは止めにしましょう、こうストレートに歌ったこの歌は、まさに女の歌としか受け取れない。身をまかせるのは女であって、男ではないからだ。

  うちとけてまどろまばやは唐衣夜な夜な返すかひもあるべき(山1295)
これは小野小町の歌
  いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る(古554)
を踏まえたもので、女が一人寝のわびしさを歌ったものと解釈できる。

  われからと喪に棲む虫の名にし負へば人をばさらに恨みやはする(山1336)
これも古今集の歌、
  海人の刈る藻に棲む虫のわれからと音をこそ泣かめ世をば恨みじ(古807)
を踏まえたもので、やはり女の失恋を歌ったものだ。

以上、山家集雑の部の恋の歌から、女の立場に立った歌をいくつか紹介したが、この部には男の立場から歌ったものも多く含まれている。いくつかあげると、
  色に出でていつより物は思ふぞと問ふ人あらばいかが答へん(山1248)
  今はさは覚えぬ夢になしはてて人に語らで止みぬとぞ思ふ(山1260)
  いとほしやさらに心の幼びて魂切れらるる恋もするかな(山1320)
これらの歌に共通しているのは遊びの精神である。恋の部に収められた歌はどれも、西行自身の片恋の辛さを歌ったものだが、ここにある歌には、恋の辛さというよりも、遊びとしての恋が歌われている。どうもそこが恋の部の恋の歌と、雑の部の恋の歌との決定的な違いのような気がする。

西行は自分自身の恋に忠実だったとともに、恋というもの自体にも関心を持ち続け、ことあるたびに、その関心を歌に寄せて歌ったのではないか。それを我々は、西行の好色の現われだといってよいかもしれぬ。






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