神々の深き欲望:今村昌平

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今村昌平の全盛期には、日本の歴史に題材をとり、日本人の古層を探ろうとするような一連の作品があるが、「神々の深き欲望」はその嚆矢となるものである。この作品は現代日本の一隅を舞台にしている点で、純粋な歴史物ではないのだが、その舞台というのが現代とはいっても、古代がそのままに息づいているような空間なので、我々は現代の日本を見ながら、そこに古代が再帰しているような感覚に陥る。

舞台はクラゲ島という南方の孤島に設定されている。今村としては琉球の一部としてイメージしているようである。孤島と言っても完全に孤立しているわけではなく、本土の影響をもろに受けているのだが、島人たちはいまだに、古い因習そのままに生きている。その因習が半端ではない。恐らく古事記が記すような、天地開闢の頃の因習がそのままに生きているといったふうなのである。その古代的な因習に生きる人々を通じて今村は、日本人の本質とはなにか、ということを考えてみたかったのだろう。この映画は、今は失われた日本人の生き方の古層を見つめているようなところがある。

嵐寛寿郎演じる老人は島の神官の家柄の長であるが、今はさる不祥事がもとで村八分の状態にある。彼が村八分になった理由の一つは実の娘(松井康子)と交わったというものだが、この娘は自分の兄で寛寿郎の息子である三国連太郎とも結ばれている。三国には息子(河原崎長一郎)と娘(沖山秀子)がいるが、この二人も性的関係を結んだということになっている。その孫娘は重い知的障害を抱えている。こうみると、いかにも糜爛した関係と思われるが、映画の中では、そんなにいやらしくは見えない。これも人間としての生き方の一つなのであって、古代の人々はむしろ兄妹など近親の間で結ばれることが珍しくなかった、というようなメッセージが伝わってくる。

浜村純演じるいざりの語り部が、子供たちの前で蛇皮線を弾きながら島に伝わる叙事詩のようなものを語る場面が出てくるが、そこで歌われるのは、古事記の国づくり作り神話によく似ている。兄と妹が結ばれ子供ができた、その子供がこの島のことだ、と語るのだが、そうした兄と妹の関係はいまでも三国と松井との間の兄妹婚という形で受け継がれているというわけである。

三国もまた村八分の状態に陥っている。彼は大規模な台風によって島に落ちてきた巨岩を除去することを村八分解除の条件として命じられ、もう二十年もその仕事に従事している。巨岩の足元に巨大な穴を掘り、そこに巨岩を埋めようというのだ。まさにシジフォスの神話に出てくるような無益な労働なのだが、嵐寛寿郎は村八分を解いてもらう為に、息子に穴掘りを命じ続ける。息子は時たまやけになって、無法行為を働いたりするが、そのたびに老父は杖を振り回して息子を打つのだ。そんな息子を慰めてくれるのは彼の実の妹だけだ。

こういう設定で始まったところに、島を揺るがすような事態が起きる。この島はサトウキビの栽培で成り立っているのだが、サトウキビの工場を経営する会社から技師(北村和夫)が派遣されてくる。その技師が工場の水を確保する為に島の貴重な水源に目をつける。ところがその水源は島にとっては最後の命綱なので、サトウキビ工場などにまわすわけには行かない。こうして島は工場との間で緊張関係に入る。

ところがこの北村は、ひょんなところから沖山と結ばれてしまい、寛寿郎たちの家に入り婿のような形で住み着くようになる。彼にはもはや工場への関心はなく、ひたすら沖山と睦み戯れることだけが生きがいとなる。そのうちに寛寿郎が死ぬ。死んだ寛寿郎は座棺に入れられ、巨大な竪穴の底に放り込まれる。上空には夥しい数のカラスが異変をかぎつけて飛びまわる。

更に時間が流れ、北村は本社に召還される。前後して島を観光開発する計画が持ち上がり、三国の土地は飛行場用地として買収の対象となる。ところが三国は断固として買収に応じない。そのことで島人たちから憎まれるようになる。島人の長でかつ工場長でもある加藤嘉は三国とは戦友の間柄でもあり、松井を妾にしているのだが、それでも三国は加藤の説得に応じない。

やがて巨岩が崩れて穴の中に収まる。自分のミッションを果たした三国は島長である加藤のところに報告に行くが、折から妾とつるんでいた加藤は、三国の目の前で腹上死してしまうのだ。そこで三国は妹を連れて、この島を脱出し伝説の島神島に移住することを決意する。神島は古事記にあるオノコロ島をイメージしている。

ところが三国が加藤を殺したと受け取った島人たちは、二艘の船に乗って三国たちの船を追いかけ、追いつくや否や寄ってたかってなぶり殺してしまう。その中には三国の倅河原崎もいる、といった具合でなんともやりきれないのだが、島人たちにとっては、親子の情愛より島の共同体のほうが何倍も優先する。共同体の秩序を守るためには、親殺しもいとわないというわけである。

神島に向かう船のなかで三国が妹と語り合い、島に行ったら二人だけの世界を作ろう、おれたちは島の神様になるのじゃ、というところが印象的だ。三国を殺されたあと生き残った妹は赤い帆柱にくくりつけられて洋上を漂浪する。あたかも彼女こそが神々の間に生まれたできそこないの子供であるかのように。

なおこの妹は島のノロたちのリーダー格ということになっている。このノロが魂降ろしをする場面が出てくるが、東国のイタコやゴミソと違って、ノロ自身には魂は降りてこずに、違う人間に降りてくる。ノロはあくまで魂を呼び出す霊媒のような役割だ。映画の中では、ノロが寛寿郎の霊を呼び、呼ばれた霊が沖山に乗り移るということになっている。






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