歌声喫茶で青春の歌を歌う

| コメント(0)
四方山話の三月の例会には都合が悪くて出られなかったが、それとは別に小子からメールがあり、歌声喫茶で青春の歌を歌わないかと誘われて、参加した。小生は日頃歌を歌うようなこともなく、カラオケなんどというものにも縁がないので、何を今さら歌声喫茶で青春の歌を歌うものか、と思われぬでもないが、この店には我々の仲間の大子が経営上関わっており、それとロシア民謡を歌わせることで知られているようなので、ロシア民謡好きの小生としては、他人が歌うのを聞くのもまた楽しからずやと思ったのだった。念のためにロシア語の歌詞をいくつか用意して行った次第だ。

現場に行って見ると、すでに大勢の客が詰めかけていて、開店を待っているところだった。しかし肝心の仲間の顏が一つも見えない。約束の時刻が迫っているというのに、誰もいないばかりか、誘った本人の小子もいない。というわけで狐につままれたような気分になっているところに、石子がやってきた。もしかしたら今日は我々二人だけかもしれないが、それでもまあいいじゃないか、歌を歌って行こうよということになって、店の中に入った。大した広さではないが、それでも七・八十人は入るだろう。それが満員になっている。我々が大子に案内された予約席には四人分の席が用意されていて、大子によれば、我々のほか小子夫妻が来るはずだという。そんなことを言っているうちに、まず小子の細君がやってきて、しばらくしてから小子本人がやってきた。仕事の帰りなのだという。

この店に入るのは初めてだ。歌をリクエストした人が中心になって、全員で歌うのだそうである。それに店のスタッフが司会役をつとめ、ピアノが伴奏するといった具合だ。だから皆で歌える歌が選ばれる。歌い手が自分の喉を披露するのが目的ではなく、みなが一斉に歌うことで一体感を醸し出すのが目的なのだ。小生はわざわざロシア語の歌詞まで用意してきたのだったが、それはどうやら無用の代物らしい。小生がわけのわからぬ言葉で歌を歌いだせば、その場をシラケさせるばかりというわけだ。

というわけで、次々とリクエストされる歌を、小生も皆さんと一緒に歌った次第だった。司会をつとめる大子は、如才ない立居振舞に加え、声もまたなかなかよい。この道数十年のベテランというから、要するにプロの芸人であるわけだ。

客の様子を見るに、みな小生と同じかそれ以上の年齢だ。ざっと見積もっても、平均年齢七十歳といったところだろう。その人たちがみな大声を張り上げて歌を楽しんでいる。中には常連やセミプロのような人もいて、大向こうをうならせた。鬼神も聞き惚れるような声の持ち主もいる。中にもまるまると肥満した初老の男性などは、窓のカーテンが張り裂ける程の大声を出して、「オー・ソレ・ミオ」を、それもイタリア語を交えて歌った。イタリア語は日本人にもしゃべりやすいので、あまり違和感はなかった。

小子の細君は「愛の讃歌」を、無論日本語で歌った。なかなか声が通っている。亭主の小子は始め知らんぷりを決め込んでいたが、大子からお前も一緒に歌えと指名されてしぶしぶステージに上がった。

小生は「青い山脈」をリクエストした。なかなか順番が回ってこないうちに、お開きの時間が近づいたので、スルーされるかと思っていたところ、最後の一曲として指名された。そこで小生はステージに上がり、右手を振り回しながら、大声で青い山脈を歌った次第だった。それにつられて小子夫妻と石子もステージに上がったばかりか、会場にいた大勢の老人たちもステージにおしかけ、皆で大合唱をした次第であった。はたから見るとかなり異様な眺めだったかもしれない。

というわけで、老いの身にとって命の洗濯となったひと時であった。





コメントする

アーカイブ