安部政権の教育勅語容認は森友学園への申し開きか?

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安倍政権が、学校の道徳等の教材として、教育勅語を用いることを容認する(否定しない)方針を閣議決定したそうだ。安倍政権の復古主義的姿勢からして、彼等が教育勅語にノスタルジーを感じていることはこれまでも伝わってきたし、またその復権を目指しているらしいことも理解できないことではないが、何故いまのタイミングか、という疑問は残る。

折から、所謂森友学園スキャンダルの嵐が吹き荒れている最中だ。一時期に比べると、かなりトーンダウンしてはきたが、まだ一件落着とまでは至っていない。この事件は色々な背景があるらしく、我々庶民の目には不可解に映ることが多い。もっとも不可解なのは、森友学園の関係者たちが、安倍政権と非常に近い考えの人達で、その教育実践の中で教育勅語を最大限に利用してきたという点で、安倍政権とはいわば盟友関係にあるにかかわらず、安倍政権がこれをコケにするような行動をとってきたことだ。

つい最近まで、安倍晋三総理自ら森友学園の教育方針を賛美していた。その舌の根が乾かぬうちに、森友学園の責任者たちを強い口調で批判するようになった。その光景を見ていると、筆者などには右翼同士の内ゲバのように見えてしまうのだが、当事者にしてみれば、自分の政治生命がかかっていることでもあり、それなりに必死なのだろうと「忖度」してしまう。

こういう状況の中で、今回の閣議決定がなされたわけである。そこで筆者など素人筋には、これは、盟友を見殺しにして沈没させたことにある種の後ろめたさを感じた安倍政権が、いままであなたに対してやってきたことは本意ではなかった、ということを示す為の暗黙のサインなのではないかと思えてしまう。あなたが情熱を込めて行われてきた教育勅語に基づく教育を、我々安倍政権として容認したいと思う。それによって我々が、あなたの理念に対して敵対しているのではなく、自分の政治生命のためにやむを得ずあなたを攻撃するようなことをしたのだ、ということを言いたいかのように聞こえる。

要するに今回の安倍政権の行動は、森友学園に対する申し開きなのではないか。そんなふうに映って見える。





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教育勅語の原文と解説を読んでみました。どう読んでも、その趣旨は「国民は戦争になったら、天皇と支配階級のために命を惜しまずに戦え。」としか読めませんでした。このようなものが現在の日本国憲法に反さずに運用できると、内閣は本気で考えているのでしょうか? このような人々が日本を動かしていると思うと恐ろしくなります。今回の閣議決定が政権の致命傷になると信じます。ならないようなら、日本に未来はないと本気で心配しております。

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