色川大吉「自由民権」

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先日読んだ松沢裕作の「自由民権運動」と、この色川大吉の「自由民権」を読み比べると、その落差の大きさに気付かされる。松沢は、自由民権運動というのは、自由と民主主義を勝ち取る戦いだったという面が認められないわけではないが、それは運動の表面的な要素であって、その本質は維新で勝組になった勢力同士の権力闘争だったという見方をしている。板垣に象徴されるような、維新で功績をあげたにもかかわらず、権力にありつけなかった連中が、権力の分け前を求めて起こしたもの、それが自由民権運動だったとする、きわめてさめた見方をしているわけである。それに対して色川のほうは、自由民権運動は、民衆のなかから自然発生的に盛り上がってきたものであって、明治藩閥勢力の反動的で抑圧的な政策に対抗して、進歩的で民主主義的な政治を実現する為の、いわば革命的な戦いだったとするわけである。

松沢の見方によれば、権力闘争としての自由民権運動を担ったのは、板垣に代表されるような政治勢力であって、それらが主に自由党を拠点として反政府運動を盛り上げた。それに参加したのは主として士族層であり、彼らは維新における自分たちの功績に相応しい処遇を藩閥政府に求めたということになる。それに対して、関東・東北地方を中心に起きた庶民の反政府運動は、明確な理念をもたないまま、自由党の中枢に踊らされた跳ね上がり分子の暴発だったということになる。ところが色川のほうは、秩父事件に代表されるような庶民による蜂起は、一見無法な外観を呈することは否めないにしても、基本は民衆レベルでの革命的な動きだったとする。松沢が単なる暴動と見る秩父事件を、色川は民主主義的な抵抗権の行使としてとらえるのである。

言ってみれば、松沢が上から目線で自由民権運動を俯瞰しているのに対して、色川は下から目線で民衆の革命的な動きを追っているわけである。これは、どちらがどうともいえない。歴史に対する姿勢の問題だと思う。ただ、松沢のような見方は、これまでも無かったわけではないが、それを前面に押し出して、明治初期の歴史についての見方を抜本的に変えようとする試みは、松沢が最初ではないか(筆者の鄙見の範囲内では)。

ともあれ色川は、自由民権運動を民衆による新しい国づくりを求める運動としたうえで、それの革命的な意義を強調するわけで、そうした視点から、五日市憲法草案など、民権運動の中から出てきた政治的な理念に高い評価を与えている。その辺は、松沢がほとんど考慮に入れていない点だ。それはやはり、両者の姿勢の違いによるのだろう。

この本の中で興味深いのは、福沢諭吉への色川の評価が極めて厳しいという点と、アメリカ亡命者の中から出てきた自由民権運動の紹介だ。福沢については、その脱亜入欧論を取り上げて、福沢が日本の民衆の関心を、国内での民主主義の拡大を求める動きからそらして、対外的な強硬路線へと導いたことを強く批判している。排外主義を煽って国内の矛盾を隠蔽するについて、一肌脱いだとんでもない奴だ、と見ているわけである。

アメリカ亡命者の民権運動の動きを紹介した中で、南方熊楠もそれにかかわっていたと言及しているが、詳細には及んでいない。資料が限られているからだろう。熊楠のかわりに馬場辰猪の活躍を強調している。

自由民権運動についての色川の見方を単純化して言えば、板垣などの政治家たちによる権力奪取の闘争ではなく、人民が自由と民主主義を求めて立ち上がった革命的な運動ということになる。だからこそ、「自由民権のたたかいの栄光は、そうした"無名の人民"にささげられるべきもの」であり、「人民による民主憲法の起草と、抵抗権を行使した秩父困民党の蜂起などはこの自由民権の頂点をなす」というわけである。





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