和辻哲郎の日本礼賛

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和辻哲郎は、日本の風土とそれが織り成す日本の文化、その担い手たる日本人をどのように論じたか。日本が東アジアに位置し、その限りでモンスーン型の風土類型に分類されることは間違いないが、しかし日本の風土は同じモンスーン型と言っても、インドや中国とはかなり違う。その違いをもたらす特殊性を和辻は、やはり日本の自然条件にまず求める。日本はインドや東南アジアとは違って、単調な熱帯・亜熱帯気候ではない。モンスーン型気候として夏の炎暑と湿潤を有する一方、冬には雪が降る。つまり、亜熱帯型と寒帯型とが共存している。そのことが日本の風土に独特の陰影をもたらす、そう和辻は主張するわけである。

亜熱帯型と寒帯型とが共存する日本の気候の特徴を、和辻は日本の竹で象徴させている。「熱帯型植物としての竹に雪の積もった姿は、しばしば日本の特殊の風物としてあげられるものであるが、雪を担うことになれた竹はおのずから熱帯的な竹と異なって、弾力的な、曲線を描きうる、日本の竹に化した」。この竹に象徴されるような日本の風土が、日本の文化とその担い手である日本人に独特の陰影を付与した、と和辻は言うのである。

日本人の基本的なあり方は、モンスーン型風土に共通した受容的・忍従的な態度である。しかし、日本に特有な寒帯的な要素が、日本人を単に受容的・忍従的にとどまらせない。この二重性格に寒帯的要素が加わることによって、季節的・突発的という特殊な二重性格が加わってくる。この新しい要素が働くことによって、戦闘的・反抗的な気分が醸成され、モンスーン的な忍従は日本的なあきらめに変化する。「そこで日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が反抗においてあきらめに沈み、突発的な高揚の裏に俄然たるあきらめの豊さを蔵すること、において規定せられる。それはしめやかな激情、戦闘的な恬淡である。これが日本の国民的な性格にほかならない」というわけである。

このように特徴付けられる日本人の生き方について、和辻はそれを家を中心に成り立っていると整理する。家はどの民族にもかならずあるものだが、それが人間の生き方を根本的に規定していること、日本に如くはないと和辻は主張する。牧場的風土類型の故郷というべきギリシャにおいては、家はポリスに従属するものであった。ギリシャの人間は家の一員である前に、ポリスの成員であった。また沙漠的風土にあっては、生活の単位は部族であって家ではない。沙漠の民もまた家の一員であるより前に、部族の成員であったわけである。

ところが日本人は、まず家の成員として存在している。日本では「家族の全体性が個々の成員よりも先である」。家族とそれが住む家とが人間の生活の中心であって、家を境にして、その外部は「そと」として区別され、家の内部は「うち」としてあらゆる区別が消滅する。家の内部では人間は個性を失い、家の一員としての存在となる。「最も日常的な現象として、日本人は『家』を『うち』として把捉している。家の外の世間が『そと』である。そうしてその『うち』においては個人の区別は消滅する。妻にとって夫は『うち』『うちの人』『宅』であり、夫にとって妻は『家内』である。家族もまた『うちの者』であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。すなわち『うち』としてはまさに『距てなき間柄』としての家族の全体性が把捉せられ、それが『そと』なる世間と距てられるのである」

和辻はこのような日本人の生き方をヨーロッパのそれと、家の構造に即して比較している。ヨーロッパの一般的な家は、日本のように一軒家ではない。アパート形式が普通であって、一軒の家屋を複数の家族で共用している。そのような家にあっては、家(アパート)の中の廊下が街路の延長であることはもとより、個々の家族の内部でも、個々の部屋は互いに独立していて、その象徴としてすべての部屋には鍵が設けられている。家族同士といえども、個々人のプライバシーが尊重されている。これは、家が外である町から隔絶される一方、家の中ではあらゆる区別がなくなる日本のあり方とは対照的だ。

ヨーロッパでは、「家庭内の食堂がすでに日本の意味における『そと』であるとともに、レストランやオペラなどもいわば茶の間や居間の役目をつとめるのである。だから一方では日本の家に当たるものが戸締りをする個人の部屋にまで縮小せられるとともに、他方では日本の家庭内の団欒に当たるものが町全体に広がっていく」。つまりヨーロッパでは、家の存在意義は希薄で、個人がいきなり社会と直面するのに対して、日本は個人が全体としての家に吸収され、家を通じて社会と対面するという形をとる。

このどちらが人間にとって望ましいのか。和辻は日本的な生き方こそが人間にとって望ましい生き方なのであり、日本人はそういう生き方をできていることに誇りを持つべきだ、と言いたいかのようである。

先に、日本人は家を介して社会に対面しているといったが、和辻は国家をも家とのアナロジーでとらえているようだ。国家を規模の大きな家とみなす考え方は、当時の日本人には人気のあったもので、和辻は一応それを紹介する形で、国家を大きな家とする考え方について議論している。その考え方とは、「日本の国民は皇室を宗祖とする一大家族である。国民の全体性は、同一祖先より出づるこの大きな家の全体性である」とした上で、この考え方が多くの無理を含むとしながらも、基本的に否定してはいない。むしろ、無理を承知で日本は大きな家と考えたほうがよろしい、と思っているようである。

皇室を宗祖とする一大家族であると国民すべてが思っていたからこそ、「日本国民がきわめて緊密な団結を形成し、多数の軍隊を朝鮮にさえ送りえたのは、かくのごとき宗教的な結紐によるのである」といって、和辻は日本人の「感情融合的な人間の共同態」を尊重する姿勢を見せるわけである。

この感情融合的な共同態である日本の国家は、国民的教団のごときものであり、その頂点には天皇が君臨する。日本の国の形は、この天皇が国民の感情融合を促進する宗教的な核であるとともに、政治の主権者としても君臨するところに最大の意義がある。日本の国は本来祭政一致の国柄なのであり、またそうあり続けるべきなのだ、と和辻は考えていたようだ。それ故「国民的教団においては祭り事は多面において政治であった。天皇は法皇と同じく全体性の表現者に座すと同時に、法皇とは異なって国家の主権者であられた」と言って、尊王思想に肩入れするわけであろう。和辻はこうも言うのだ。「貴さはまず第一に祭り事を司どる神において認められる。それは国民の全体性への帰依があらゆる価値の源泉であることを意味する。我々はそれを尊王心として言い現わすことができる」

和辻はこのように、日本の国柄が世界的にみてもすぐれている所以を強調するわけであるが、日本人のすぐれているところは趣味や道徳の領域においても顕著に見られると主張する。文明という点ではたしかに日本はヨーロッパより遅れている面があるかもしれない。たとえば機械化とか技術の領域では日本はヨーロッパの後塵を拝している。しかし機械化とか技術だけで、趣味や道徳の問題を云々するのは馬鹿げている。日本的な趣味や道徳は繊細な感情に裏付けられているのであり、そうした繊細さをヨーロッパは持ち合わせていない。その点ではヨーロッパの方が原始的なのだ。日本人の「衣食住の一切の趣味に現われた『渋味』や『恬淡』への愛好、あるいは日常の行儀における『控え目』や『ゆかしさ』に対する感じ方のごときは、ヨーロッパ人の理解しえざるほどに洗練されたものである。機械化という意味での文明においては日本は今追随の最中であるが、しかし趣味や道徳においてはむしろヨーロッパの方が野蛮であると言い得られる」

こういう言葉は、たとえば谷崎潤一郎のような審美的な文学者が言うのであればそれなりに首肯できるところもあるが、和辻のような、日本を代表する哲学者といわれる人が言うと、なんとも滑稽に聞こえてくる。ごまめの歯軋りを思わせるからだ。和辻がこんなにも滑稽に陥ったのには、ヨーロッパ留学中に感じた日本への差別意識への反感が働いていたとも考えられるし、また昭和の初期に日本人の国家意識が異様に高まったという歴史的な事情も働いていたと思われる。いづれにせよ和辻のこのちぐはぐさは、我々二十一世紀に生きる日本人としては、ひとつの教訓として受け取るべきかもしれない。






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