和辻哲郎の平安文学論

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和辻哲郎は「日本精神史研究」の中で、日本の奈良時代以前の古代文化を仏教の受容によって代表させたが、平安時代の日本文化については、清少納言と紫式部によって代表される女流文学を以てその典型とした。ところで、平安時代の女流文学、特に紫式部の「源氏物語」に高い価値を認め、そこに現わされている「もののあはれ」なるものを、日本の文芸のみならず、日本人一般の精神的な本質として称揚した者に、本居宣長が上げられる。それ故和辻の平安文学論が、宣長の所説を大きく意識したものになるのは、ある意味自然なことであった。

「『もののあはれ』を文芸の本意として力説したのは、本居宣長の功績の一つである」(「もののあはれ」について)。こう和辻は言って、本居宣長の業績を賞賛しながら、その意義について検討する。意義は、歴史上の位置づけと、それ自体の内実との、二つの方面にわたって解明される。歴史上の位置づけに関しては、宣長は、文芸の独立と価値とを認めた。「このことを儒教全盛の時代に、すなわち文芸を道徳と政治の手段として以上に価値づけなかった時代に、力強く彼が主張したことは、日本思想史上の画期的な出来事といわなくてはならぬ」(同上)というのである。つまり宣長は、日本の思想史上初めて、文芸を政治や道徳から独立した、それ自体の価値を持ったものとして認めた初めての思想家だった、と和辻は評価するわけである。

その日本の文芸の本意を、宣長は平安時代の文学に現われたる「もののあはれ」に求めたわけだが、ではその「もののあはれ」とは、どのようなものであったか。これが「もののあはれ」の内実にかかわる議論につながるわけだが、その内実を宣長は人間の感情一般に求めた。「もののあはれ」とは、哀しい感情ばかりではなく、心を動かす限りでのあらゆる人間の感情にかかわる。それゆえおかしいという感情や、場合によっては怒りの感情さえも、それが「心のまこと」「心の奥」を反映している限りは、「もののあはれ」の現われとされる。要するに人間のあらゆる感情が「もののあはれ」とつながるわけである。

「もののあはれ」を人間の感情と関連させて理解することについては、和辻は基本的には反対しない。しかし、人間のあらゆる感情を「もののあはれ」につなげるのは行き過ぎではないか、というのが和辻の反応である。そこで和辻は、宣長もその行き過ぎにはうすうす気付いており、「もののあはれ」を特に強調するときには、人間の様々な感情のうちでも、人間の心を高めてくれるような感情、すなわち「みやび心」や「こよなくあはれ深き心」を呼び覚ますような感情を、とりわけ重視する、と主張している。このあたりは、宣長自身の主張なのか、あるいは宣長に仮託した和辻の主張なのか、いささかわかりづらいところがあるが、いずれにしてもみやびな感情が「もののあはれ」の根底にあるし、またあるべきだ、という和辻の考え方が現われている部分である。

「もののあはれ」とのからみでもう一つ、和辻には宣長に賛成できないところがあったようだ。宣長は、「もののあはれ」が主に紫式部などの女性たちによって展開されたことを前提に、それが女性ゆえの「めめしさ」を帯びるようになるのは避け難いとしたうえで、その「めめしさ」を、そっくりそのまま受け入れている。それどころか、この「めめしさ」は日本独自の伝統なのであって、称揚されるべきではあっても、貶めるべきではないと主張している。中国の文学に「めめしさ」の要素が見当たらぬのは、中国人が木石のようなやからであって、人間のまごころをわきまえぬ野蛮人だからだとまでといって、この「めめしさ」を擁護しているくらいである。ところが和辻には、この「めめしさ」が気に入らないようなのだ。

平安時代の文芸がめめしくなったのは、それが女性たちによって担われたという事情以外に、時代全体がめめしかったことにも由来する、と和辻は考える。「平安朝は何人も知るごとく、意力の不足の著しい時代である。その原因は恐らく数世紀にわたる平和な貴族生活の、限界の狭小、精神的弛緩、享楽の過度、よき刺激の欠乏等に存するのであろう」(同上)。そう和辻は言って、めめしさを本意とする「もののあはれ」は、平安時代に特有の現象であったと考えるべきであり、宣長の言うように、時代を超えて日本文化をつらぬく普遍的なものと考えるべきではない、と主張するわけである。そうすることで、日本の文化的伝統には、たしかに宣長のいうような「めめしさ」の要素も無いではなかったが、それは平安時代という時代に特有の現象であって、日本史全体から見れば、特殊なものだったととらえるべきだ、と和辻は主張するのである。

それゆえ和辻は次のように言うわけである。「『もののあはれ』をかく理解することによって、我々は、よき意味にもあしき意味にも、平安朝の特殊な心に対して、正当な評価をなし得ようかと思う。それは全体として見れば、精神的の中途半端である。求むべきものと求むる道との混乱に苦しみつつ、しかも混乱に気付かぬ痴愚である・・・我々はいかにしてもここに宣長のいうごとき理想的な『みやび心』を見出すことができぬ(同上)と。

こんなわけで和辻は、次のようにも言うのである。「『物のあはれ』は女の心に咲いた花である。女らしい一切の感受性、女らしい一切の気弱さが、そこに顕著に現われているのは当然であろう」(同上)

要するに和辻は、女の心に咲いた「もののあはれ」を、日本の文芸の一つのありかたとして認めながらも、それを平安時代という一時代に局限されたものとして、日本文学一般とは切離して考えるべきだというのである。その点では、「もののあはれ」を、日本文学の歴史に通底する普遍的な理念としてとらえた宣長とは根本的に異なっている。宣長はめめしさが日本人の本質でよいではないか、と割り切るのに対して、日本人はめめしいばかりではだめだ、と和辻は言っているわけである。どちらが筋の通った考え方かは、読者一人一人に判断してもらうほかないようである。






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