2017年6月アーカイブ

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ムンクといえば条件反射的に「叫び」が思い浮かぶほど、この絵はムンクの絵の中でももっともインパクトの強い作品だ。精神世界を表現することを最大のコンセプトとしたムンクにとって、人間の叫びはもっとも精神性を感じさせる事柄だったのだろう。この絵の中の人物の表情を見ていると、叫び声を通じて彼の内面がそのままむき出しにされているように感じられる。

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ウディ・アレンには、大都市の観光案内を思わせるような一連の作品がある。「僕のニューヨークライフ」とか、「それでも恋するバルセロナ」とか、「恋のロンドン協奏曲」といった作品がそれだ。「ミッドナイト・イン・パリ」もその系列に入る作品だが、この映画の場合には、同時代のパリの観光案内にとどまらず、パリの歴史も紹介してくれる。1920年代のパリ、そして1890年代のベル・エポックのパリが、ノスタルジックによみがえってくるという趣向になっているのだ。

木田元はハイデガーの日本への紹介者として知られる。ハイデガーの紹介といえば、ハイデガーに心酔するあまり、ハイデガー流の難解な言葉を駆使してその思想を賛美するか、あるいはハイデガーのナチス加担という事実をもとに、一方的な批判をするか、そのどちらかに偏ることが多いのだが、木田はどちらか一方に極端に偏ることなく、比較的バランスよくハイデガーを紹介してきた。しかも哲学の素人でも理解できるような平易で、わかりやすい言葉で。そういった点では、非常にすぐれた紹介者と言えよう。

明日六月十九日から同二十八日までの十日間、小生はドイツに旅行します。ついてはその期間中、当ブログの更新を休止しますのでご了承ください。なお、旅行中の見聞等については、帰国後別途記事にして、当ブログ上で報告する所存ですので、どうかご期待ください。

西行は、自分の手では歌論らしきものを残していないが、彼と触れ合いのあった人々が、その一端に触れているものはある。たとえば、伊勢神社の神官で、西行の歌の弟子となった荒木田満良が蓮阿という名で紹介しているものなどである。ここでは、西行の晩年の歌境に触れているものとして、明恵と慈円を紹介しよう。

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「それでも恋するバルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)」は、二人の若いアメリカ女がスペインのバルセロナを舞台にして繰り広げる恋のアヴァンチュールを描いた映画だ。アメリカ女たちの名前は、タイトルにあるとおりヴィッキーとクリスティーナ。二人はバルセロナへ観光旅行に来ている。その二人の前に、画家を標榜するスペインの色男が現われ、いきなり三人で乱交セックスをやろうと誘われる。さすがにすれた女たちも、この申し出をどう受け取っていいのか戸惑うのだが、そのうち男の魅力に屈服し、一人の男を二人の女が共有するという事態に発展する。男女のやりとりに熟達したスペイン男と、尻軽なアメリカ女たちが繰り広げる行動は、恋のアドヴェンチャーというよりは、セックス賛歌といったほうがよいかもしれない。

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白隠の描いた観音像は、慈母のイメージが強い。達磨像を初め男性的な表情における鋭い覇気のようなものに代って、観音像には女性的な優しさが顕れている。その多くは伏し目がちで、控えめな表情をしており、白隠の女性についての理想像が垣間見られる。

安部公房のエッセー集「内なる辺境」に収められた三篇の小文はいづれも異端をテーマにしている。安部がこれらの文章を書いたのは、1970年頃のことだが、どういうつもりでこんなテーマを取り上げたのか。異端といえばカミュの「異邦人」の提起した問題意識につながるが、「異邦人」の衝撃は1970年頃にはもう収まっていたはずだから、その影響がこれらの文章を書かせたとはいえないようだ。やはり安部自身の内部に、異端をとりあげさせる動機が潜んでいたのだろう。安部は、正統と異端という対立軸にてらせば当然異端の部類に入るのだろうし、本人もまたそれを自覚していたに違いない。だから彼が自分の生涯の一定の時期に、異端というものを通じて自分に改めて向かい合おうという気になったとしても、それは不自然ではない。

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先日(六月六日)、しばらく見かけなかったカルガモの母子を久しぶりに見てうれしくなったことを紹介したが、その後再びカルガモの姿は杳として知れなくなった。最近は雑草が生い茂っていることもあって、その姿を見るのが困難になったせいだろうか、そんなことを思いながら、昨夜などは家人にそのことについて話したら、もう大きくなってどこかに飛んで行ってしまったのではないの、と言われたのだが、雛はまだ飛べるほど成長していないようだ。それに、前述したように、この水路は上流にも下流にも結構大きな落差があって、雛には超えるのが難しい。

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「吸血鬼」と題したこの絵のモチーフは、男の血を吸う女である。この絵は一見すると、女が男を抱擁しているように見えるのだが、実はそうではなく、女が男の首筋に歯を立てて、男の血を吸っているのである。

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「マッチポイント」は、ウディ・アレンの作品としてはシリアス・タッチなものだ。プロットの基本部分はセオドア・ドライザーの「アメリカの悲劇」を下敷きにしている。ブルジョア社会での成功をつかんだ男が、それを失いたくないために、邪魔になった恋人を殺すというのが、ドライザーの小説の基本プロットだが、この映画も、貧乏な青年がブルジョワ社会での成功を失いたくないために、邪魔になった愛人を殺すのである。

熊野純彦のこの本は、前半では和辻の人間形成の軌跡を、彼の「自叙伝の試み」を引用しながらたどり、後半では人間形成を成し遂げた和辻がどのような思想を抱くに至ったかを、主に「倫理学」を参照しながら腑分けする。しかして前半と後半とは深いところでつながっている。それをつなげている主なファクターは、和辻の自己意識にあるというのが、どうも熊野の見立てのようである。和辻は姫路市北郊の寒村で生まれ育ったが、そこは非常に貧しい村落で、村民はみな厳しい労働に耐えながら生きていた。労働から解放されていた家は、一軒の寺坊主の家と、医師であった和辻の家だけだった。そこで和辻は、この村落に生涯懐かしい思いを寄せる一方、自分はそこから疎外されているといった感情を抱くに至った。この感情はまたエリート意識の裏返しでもあった。そんなふうに熊野の文章からは伝わってくる。

先日、トランプ政権の閣議が公開されたが、その様子があまりにも異様だったので、世界中が驚かされた。というのも、閣僚たちが次々とトランプ大統領に向かって最大限の賛辞を捧げたその様子が、皇帝に対する臣下の忠誠のように見えたからだ。いまどき臣下が皇帝に忠誠を誓う国と言えば、先進国の間ではどこにもない。だから先進国のメディアは、この様子をこぞって、おもしろおかしく報道した。中には、トランプ政権を中国の習近平政権に譬え、どちらも皇帝への個人崇拝を皇帝自らが強要しているとして、その異常さを比較しているものもある。英紙 Guardian の記事はその代表的なものだ。後日の参考のために、引用しておきたい。

「山家集」には、法華経を読んでの感想を詠んだ歌が十数首収められている。このほか「聞書集」には、「法華経廿八品」と題して、法華経二十八品のそれぞれすべてに対応する歌が収められている。これらはみな西行の若い頃に詠んだものと考えられる。待賢門院の落飾を祝うために、若い西行が法華経の書写を有力者に求めたことが藤原頼長の日記「台記」にあるし、また西行が出家して最初に修行のためにこもった鞍馬寺が、延暦寺の末寺として法華経を講じていたらしいことなどから、若い頃の西行が法華経に強い関心を持っていたことは十分に考えられる。法華経を詠んだ以上の一連の歌は、そうした境地から生み出されたのであろう。

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ウディ・アレンの作品「世界中がアイ・ラヴ・ユー(Everyone says I love you)」は、ミュージカル仕立てのラヴ・コメディである。完全なミュージカルではないが、随所に歌と踊りを取り混ぜて祝祭的な雰囲気を演出している。テーマは無論男女の愛だ。アメリカのミュージカルといえば、男女の愛をテーマにしないものはない。ウディ・アレンもその伝統に倣ったということだろう。

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「出山釈迦」と題したこの絵は、山中で修行を重ね、悟りを開いた釈迦が山を下りてゆくところを描く。仏教の経典では、釈迦は川のほとりの菩提樹の木の下で瞑想し、悟りを開いた後は梵天の勧めに従って衆生の教化を始めたということになっている。川と山の違いはあるが、悟りを開いた釈迦が衆生の教化のために歩み出したというイメージは共通しているようである。

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「声」と題するこの絵は、森の中で、月光を反射した湖を背後にして立つ女性を描いたもの。この絵の特徴は、モチーフの女性が朦朧としたイメージになっていることと、それに対比して背景が強い色価で描かれていることだ。主な目的は神秘的な風景を描くことで、女性はその神秘性を目出させる為の小道具だといわんばかりである。

「海舟座談」は、巌本善治が晩年の勝海舟から聞書きした話を一冊にまとめたものに、海舟生前にかかわりのあった人物からの回想談を加えたものである。巌本は、教育者兼ジャーナリストで、どういういきさつから海舟と昵懇になったかよくわからぬが、晩年の海舟はこの男に気を許し、自分の生涯について色々語って聞かせた。海舟が死んだのは明治三十二年の一月十四日のことだが、そのわずか五日前の一月九日にも、海舟は巌本に会って、話を聞かせている。巌本が海舟から話を聞きたがったのは、その頃修史事業が活発になって、明治維新にかかわる資料の発掘が盛んになっていたことと、明治維新における海舟の行動に感心が集まっていたことを反映しているようだ。巌本とは別に、吉本譲が海舟の語録なるものを編集して「氷川清話」を出版したということもあった。

イギリスで総選挙が行われ、事前の予測に反して、メイ首相率いる保守党が敗退した。敗退というのは、これまで単独で過半数を占めていたものが、過半数を割り込んだという意味だ。メイ首相が、単独過半数という財産を犠牲にしてまで、まだ三年も任期を残している下院を解散した理由は、自分自身選挙の洗礼を受けておらず、その点で正統性に疑問を投げられていることについて、選挙で過半数を取ることで、その正統性を得たいという思惑があったからであり、また、その選挙に勝つ自信があったということだった。ところが、そうした見込みに反して、メイ首相の保守党は過半数を割ることとなり、彼女の政権基盤は一層不安定になった。そのことで、彼女はわざわざやらなくてもすんだことをやって、自分の墓穴を掘ったとあざけられる始末だ。

「聞書集」には、「地獄絵を見て」と題する歌以下、地獄絵を見た感想を詠んだものが二十七首載っている。「聞書集」は西行最晩年の歌集と考えられるところから、これら一連の歌も、「たはぶれ歌」同様西行最晩年の作と考えられる。「地獄絵」というのは、浄土信仰の普及に伴って、極楽浄土の素晴らしさを強調するための反面教師のようなものとして、描かれたもののようで、その背後には源信の「往生要集」の影響を見ることが出来る。西行は往生要集を読んでいただろうから、そこでの記述にあらわれた地獄の様子を思い描きながら、地獄絵を見たと思われる。

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「ハンナとその姉妹(Hannah and her sisters)」は、「アニー・ホール」とともにウディ・アレンの代表作といってよい。どちらも、ニューヨークを舞台にしてアメリカ人のシティ・ライフを描いている。「アニー・ホール」では、アニー・ホールという名の女性とウディ・アレンとの、セックスを中心とした都会人の男女関係のあり方が描かれてきたが、「ハンナ」では、ハンナとその二人の妹たちを囲んで、いくつかのパターンの男女関係が描かれる。人間の生きざま、すくなくともニューヨークに生きている成年男女の生きざまは、究極的には男女関係に集約されるというのが、この映画の基本的なコンセプトである。

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白隠は、禅宗の祖師を描いたほか、釈迦や菩薩の絵も描いた。そのうち、白隠の描く釈迦は、説法をしたり衆生済度を行う尊い姿ではなく、修行中の姿を描いたものがほとんどだ。修行をする釈迦に、己の姿を重ね合わせていたのかもしれない。

安部公房の小説世界は、デビューしたてのしょっぱなから独特の空間感覚に彩られていた。たとえば「壁」では、現実界と異界とが壁一つを隔てて接しあっていたし、「水中都市」では現実界としての日常空間が異界としての水中空間に突然変化するといった具合だ。そうした安部独特の空間感覚が本格的に表明されたのが1960年の短編小説「賭」だ。この小説の中で安部は、日常空間の中に織り込まれた異界空間を描いている。その空間は日常空間の隙間をふさぐようにして忍び込んだ空間であるとされるから、イメージとしては歪曲しているように受け取れる。それを今流行の異次元空間といわずに歪曲空間というべきなのは、そのためである。

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ムンクの家族は、両親とムンクほか四人の子ども、計七人からなっていた。そのうち母親が、ムンクが五歳のときに、姉のソフィエが、ムンクが十三歳のときに亡くなった。こうした家族の死は、ムンクや残された家族に大きな影響を及ぼした。特に父親の悲嘆ぶりは甚だしかった。そうした悲哀がムンクに、不安に親和的な雰囲気を付与するようなった原因だろうと考えられる。

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ウディ・アレンの映画「マンハッタン(Manhattan)」は、アレンなりのニューヨーク賛歌といったところか。ガーシュウィンの曲に合わせながらニューヨークを賛美する言葉で始まるこの映画は、ニューヨークはセクシーな女と手馴れた男の街であり、白黒が似合う街だと締めくくる。その言葉通り映画はわざわざモノクロームフィルムで作られ、世事に手馴れた男アレンとセクシーな女たちとの恋のやり取りを描いてゆく。筋書きはほとんどないに等しい。男女のさやあてがとめどもなく続いてゆくだけだ。その点では、フィリーニの「甘い生活」やアントニオーニの「愛の不毛三部作」と似た雰囲気を持っている。

いつものように長津川公園を散策し、調整池の土手をジョギングして疲れた体をベンチで休める。いつもだと鳩が沢山寄ってくるところだが、最近はその姿をめっきり見かけなくなった。このことで不審な思いをしていることは、先日のブログで書いたところだ。今日は、鳩の代わりに雀の夫婦が寄って来た。

戸坂潤が和辻哲郎の風土論を取り上げて、そのイデオロギー性を批判したのは1937年のことだ。「和辻博士・風土・日本」と題する小論がそれだが、この中で戸坂は、和辻の風土論を、一つにはアラモードでハイカラな時代性を感じさせるとしながら、他方ではそのハイカラな手法を使って日本という国の特殊性、それは他国にすぐれた特殊性という意味だが、その特殊性を強調することで、イデオロギー的な役割を果たしていると批判するのである。

「聞書集」に、「嵯峨に住みけるに、戯れ歌とて人々よみけるを」という詞書を添えて十三首の歌が載せられている。子どもの遊びを詠ったもので、年老いた西行の子どもに寄せる視線が新鮮に感じられるものだ。今日の我々にもストレートに訴えかけるものがある。寂聴尼は、西行が二度目の陸奥への旅から帰り、最後の住処としての弘川寺に移るまでのある時期に嵯峨に住んだと推測しているが、西行最晩年の作に違いないと思われる。

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「アニー・ホール(Annie Hall)」は、ウディ・アレンにとって転機となった作品だ。それまでは専ら軽いタッチのコメディ映画を作っていたアレンが、この映画では喜劇的精神をベースにしながらも、シリアスなことを語るようになる。その語り振りが独特で、しかも時代の雰囲気にマッチしていたというので、アレンは一躍メジャーな映画作家として認められるようになった。

筆者の家の近くにある長津川公園の水路でカルガモの母子を始めて見たのは、五月の連休の最後の日だった。それからちょうど一か月がたった。実はこの数日、この母子の姿を見なかったので、どうしたのかと心配していた。この水路は、上流側にも下流側にも結構大きな段差があって、雛がそれを超えるのは至難のわざだと思われるから、それらの段差に挟まれた百メートルほどの狭い境域がこの親子の生活圏のはずなのだが、その生活圏のどこにも見かけなかったので、果してなにがこの母子に起ったのかと、かなり深刻に心配していたのであった。

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これも永青文庫所蔵の大燈国師像。乞食大燈像とほぼ同じ構図だが、頭に笠をかぶっていること、左手で椀を持っていること、背中に薦のようなものを背負っていることなどに相違が見られる。右手でなにかの印を結んでいること、左手でズタ袋を持っていることなどは共通している。

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「メランコリー」と題するこの絵は、自然の中で絶望する男のイメージを表現したもので、1890年代の初期に、ムンクがたびたび描いたモチーフだ。このヴァージョンでは、男の頭部だけが絵の右手片隅に描かれているが、別のヴァージョンでは、立ったままうなだれた男とか、背中を丸めて座っているものもある。

明治維新前後の神仏分離・廃仏毀釈の動きは、民俗信仰や芸能を含めた習俗行事の抑圧をもたらしたと安丸良夫は指摘する(「神々の明治維新」)。国体神学を通じて国民の精神的な統一を図ろうとする意図にとって、民俗信仰は迷信の巣窟として国家による国民教導を妨げるものであったし、習俗行事の多くは国民を怠惰にさせ、国家秩序を乱すものとして捉えられたというのである。

前回紹介した「江口」や、その前の「西行桜」のほかに、能には西行をフィーチャーした作品が結構多くある。それほど西行は、物語の世界と馴染むところがあると、日本人がとらえていたことの一つのあらわれだろうと思う。「雨月」も、西行の旅の僧としての漂泊性を強調した作品で、その点では「江口」と似ているところがあるが、こちらは作者が金春善竹ということもあって、観阿弥の「江口」とは、やはり異なった雰囲気をかもし出している。善竹はひたすら幽玄に拘った人で、その点ではリアルな現実を重視した観阿弥とはちがう。その違いが、「江口」と「雨月」の作風の違いにも反映している。「江口」のほうは西行と遊女との機知に富んだ歌のやりとりを強調しているのに対して、「雨月」のほうは、住吉大明神を登場させたりして、かなり幽玄の趣に拘っている。

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ウディ・アレンの1973年の映画「スリーパー(Sleeper)」は、1973年に凍結保存された男が200年後に目覚めるという話だ。彼が目覚めた200年後のアメリカは、独裁者が支配する全体主義社会ということになっている。それがオーウェルの「1984」の世界を想起させる。オーウェルの小説の主人公たちは、その世界で窒息させられてしまうわけだが、アレンのこの映画の主人公は、全体主義社会に挑戦し、その支配者たちを粉砕するということになっている。そこがオーウェルの悲観論とは異なったところで、コメディに相応しい幕引きになっている。コメディはこうでなくちゃ、というわけであろう。

前回の四方山話の例会で、自分史の割り当てが一巡したところで、次は銘々が自分の好きなテーマについて勝手にしゃべる機会を持とうということになったところだが、一年下の世代の梶子が、私にも自分史をしゃべらせて欲しいと言い出したそうで、今夜(六月二日)は彼の話を聞くことになった。

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日本の臨済宗では、日本臨済宗の発展に尽力した三人の僧を祖師として尊重している。大應国師・南浦紹明、大燈国師・宗峰妙超、関山国師・慧玄である。大應国師は、鎌倉時代に中国から日本に渡ってきて、崇福寺の開山となり、大燈国師は、大應国師の法を継いで大徳寺の開山となり、関山国師は、前二者の法を継いで妙心寺の開山となった。この三人を臨済宗では應燈関と称している。現在の臨済宗のすべての法統はみなこれにさかのぼるという。

安部公房の短編小説「人魚伝」は、異種間結婚をテーマにした作品だ。異種間結婚というのは、人間がほかの動物との間で結婚したり愛し合ったりする物語で、世界中に分布している。日本にも「鶴の恩返し」をはじめとして、多くの伝説や逸話が流布している。それらの話は、動物が何らかの事情で人間との間の交流を求め、人間の姿となって人間に近づき、人間と結婚するのだが、いつかは真実を告白して動物の姿にもどり、異界へと去ってゆくというパターンのものが多い。ところが安部のこの小説の場合には、人間が人魚をその姿のまま愛してしまい、幸福なひとときを過ごした後、その人魚を殺してしまうという不幸な結末になっている。その辺が、安部独特の話法が働いているところだ。

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ムンクは、印象派や後期印象派の画家を始め、さまざまな画風を吸収しながら自分の作風を確立していった。その画風変遷のプロセスを物語るものとして、カール・ヨハン街をテーマにした三点の作品が上げられる。1889年の「カール・ヨハン街の軍楽隊」はマネの強い影響がうかがえるし、1891年の「春の日のカール・ヨハン街」はスーラ風の点描画法で描かれている。そしてここに紹介する1892年の「カール・ヨハン街の夕べ」に至って、やっと今日ムンク風といわれる作風に近づいているわけである。

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「ウディ・アレンのバナナ(Bananas)」は、ウディ・アレンが監督・主演した二本目の映画で、いわゆるウディ・アレンさが見られる最初の本格的な作品だと言うことだ。ウディ・アレンらしさというのは、ギャク漫画を映画に転換させたような軽いタッチのコメディで、それを小男のアレンが真顔で演じることで比類ないユーモアを感じさせるということらしい。そういう「らしさ」を、この映画は十分感じさせてくれる。

道元の思想は、我々現代の凡俗にはなかなか理解し難く、その著作「正法眼蔵」を読み解くのは容易なことではない。和辻もその全体像には通じていないと謙遜しているが、彼なりの読み方を「沙門道元」の中で披露している。道元には、精進とか仏性とかいった根本概念がいくつかあるのだが、和辻はその中から「道得(どうて)」と「葛藤」をとりあげて、道元の概念的な思考の特徴を彼なりに分析する。それがなかなか興味深い論じ方なのである。

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