マッチポイント(Match Point):ウディ・アレン

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「マッチポイント」は、ウディ・アレンの作品としてはシリアス・タッチなものだ。プロットの基本部分はセオドア・ドライザーの「アメリカの悲劇」を下敷きにしている。ブルジョア社会での成功をつかんだ男が、それを失いたくないために、邪魔になった恋人を殺すというのが、ドライザーの小説の基本プロットだが、この映画も、貧乏な青年がブルジョワ社会での成功を失いたくないために、邪魔になった愛人を殺すのである。

「アメリカの悲劇」と違う点は、アメリカではなくイギリスを舞台にしていることだ。主人公はアイルランド出身の元テニスプレーヤーで、その男がイギリスの大金持ちに近づいて、その一家の娘の愛を射止める。一方、その男は娘の兄のフィアンセを性的に誘惑し、そのことがもとで婚約は解消される。その後、男は大金持ち一家の娘と結婚する一方、当該(娘の兄の元)フィアンセとも性的な関係を続け、あまつさえ彼女に妊娠させる。妊娠した女は男に対して責任を取るようにせまる。このままでは、折角つかんだブルジョワ社会での成功を台無しにされると恐れた男は、無残にも妊娠した愛人を銃で射殺する。

以上がこの映画の荒筋だが、これだけでも判るとおり、主人公の男はかなりのエゴイストで、人間性に欠陥があるように描かれている。「アメリカの悲劇」の主人公よりは、ずっとたちが悪い。というわけで、この映画には救いらしきものがないし、見ていて憂鬱になる。

ウディ・アレンといえば、コメディタッチを基調にした映画を作り続けてきた印象が強いが、この映画ではそうした面は全く見られない。本人が出演していないことにその理由があるのか、あるいはこんなに息苦しい映画だから本人が出演をためらったのか、よくわからぬが、従来のウディ映画とはかなり肌合いが違う。

この映画の中では、ドストエフスキーの作品「罪と罰」が小道具に使われているが、筋書きのうえではほとんど関連はない。主人公が下宿の老婆を銃で撃ち殺す場面が、ラスコーリニコフの老婆殺害を連想させないこともないが、それは表面上のことであって、内実にわたるつながりはほとんどない。

それより我々日本人にとって興味を引かれるのは、日本人のビジネスマン数人が出てくる場面だ。彼らはビジネス上の取引相手として出てくるのだが、その表情は無感動で、いささかの人間らしさも感じさせない。かといって、悪意を込めて描かれているというのでもない。好きにはなれないが、憎みたくなるわけでもない、といった中立的なアレンの視線を感じさせる(この場面でだけ、日本語のせりふが流れる)。

妊娠した愛人が主人公に向かって叫ぶ言葉にも興味をひかれるものがある。主人公は、正式な妻との間では子どもが出来なくて困っているのに、浮気相手には望まない子どもが出来てしまった。そのことについて主人公が自嘲気味に語ると、愛人はこういうのだ。「子どもは愛によって授かるものなのよ」と。

例によって、アレンらしいイロニーで映画は締めくくられる。妊娠した女が殺されたことにロンドン警察が警察なりの同情振りを見せる。母親とともに殺された胎児は果たしてひどい目にあったのか、という設問に対して、ある警察官はソフォクレスの言葉を引用するのだ。「人間にとって一番いいのは、この世に生まれてこないことだ」と。

なお、タイトルにある「マッチポイント」は、いうまでもなくテニス用語だ。勝負どころというほどの意味の言葉だが、映画では、マッチポイントでのボールの行方が決め手になるのだということを、この言葉で強調している。そのボールの行方は、偶然に左右されるところが多いのだが、この映画の主人公の場合には、彼に幸運をもたらした、というのである。







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