カール・ヨハン街の夕べ:ムンクの不安

| コメント(0)
munch1892.1.1.jpg

ムンクは、印象派や後期印象派の画家を始め、さまざまな画風を吸収しながら自分の作風を確立していった。その画風変遷のプロセスを物語るものとして、カール・ヨハン街をテーマにした三点の作品が上げられる。1889年の「カール・ヨハン街の軍楽隊」はマネの強い影響がうかがえるし、1891年の「春の日のカール・ヨハン街」はスーラ風の点描画法で描かれている。そしてここに紹介する1892年の「カール・ヨハン街の夕べ」に至って、やっと今日ムンク風といわれる作風に近づいているわけである。

前の二作品についても、遠近法を重視していることとか、人物を切り取り画法で描くとか、ムンクなりの特徴が見られたが、この絵にはそうした特徴に加えて、ムンク独特の精神性のようなものが現われている。この絵の場合、それは人々の表情から伺える無関心さではないか。大衆の無関心さが、画家本人に向けられると、それは画家にとっては不安の原因となる。この絵の中には、そうした相補的な精神の動きが、表現されているといえるのではないか。

画面全体の構図は、遠近法を重視しながら構成されている。しかし、厳密にいうと、建物の輪郭が一部人間の群像で蔽われているために、消失点が曖昧になっている。この群像と反対側の方向に向かって歩いてゆく孤独な男の後姿は、ムンク自身の自画像だといわれている。ムンクはこの自画像によって、群集の無関心への自分なりの嫌悪感を現わしているというのである。

色彩的には、前の二作が印象派風に明るくなっているのに、この絵は暗く仕上げられている。夕べの街がテーマだから、画面を暗くすることにはそれなりの理由があるが、この絵の場合の暗さは、登場人物たちのかもし出す精神性の暗さと吊りあっているようである。

munch1892.1.2.jpg

これは、群像の部分を拡大したもの。人々の表情はみな、不気味なほど感情に欠けている。感情に欠けているから、どの顔にも表情がなくなり、みな同じように見えるわけである。

なお、カール・ヨハン街は、当時はクリスチャニアといわれたオスロの目抜き通りである。

(1892年 カンヴァスに油彩 84.5×121cm ベルゲン ラスムス・メイエル・コレクション)







コメントする

アーカイブ