筆者の家の近くにある長津川公園の水路でカルガモの母子を始めて見たのは、五月の連休の最後の日だった。それからちょうど一か月がたった。実はこの数日、この母子の姿を見なかったので、どうしたのかと心配していた。この水路は、上流側にも下流側にも結構大きな段差があって、雛がそれを超えるのは至難のわざだと思われるから、それらの段差に挟まれた百メートルほどの狭い境域がこの親子の生活圏のはずなのだが、その生活圏のどこにも見かけなかったので、果してなにがこの母子に起ったのかと、かなり深刻に心配していたのであった。
ところが今日行って見ると、彼らの元気な姿を見て、うれしくなってしまった。雛の数は八羽、一羽も欠けていない。しかも体が非常に大きくなって、もうすこしで母親と同じくらいになりそうだ。もっとも、羽根のほうはまだ発達していなくて、広げても貧相に見える。羽根がしっかりしなくては、飛ぶにも飛べないし、まだまだ母親の庇護を必要とするのだろう。その羽根が十分に発達して、飛ぶことができるようになるのは、孵化して二か月後のことだという。
今日は、このカルガモたちが孵化して一人前になるまでの、ちょうど半分の期間が過ぎた節目にあたる。そのたった一月の間でのカルガモの雛の成長には目を見張る。今日はあいにくカメラを持参しなかったので、彼らの雄姿を撮影することはできなかったが、いずれ記念撮影をしたいと思っている。
ともあれ、このカルガモの母親は子育て上手と見える。この分では、子どもたちは今後順調に成長して、ここから無事羽ばたくことができるだろう。
カルガモが戻ってきたのと入れ替わりに、この公園に多数生息していた鳩の数がめっきり減ってしまった。どこか他の場所へ行ってしまったのか、それとも人間に捕獲されて、食われてしまったのか。鳩の習性に詳しくない筆者には、何とも手がかりがつかめない。筆者がこの公園の鳩を観察して、実地で学んだ鳩の習性と言えば、かれらの求愛行動くらいなものだ。
鳩は、人間同様、一年を通じて発情するようだ。大体、オスのほうからメスに求愛のシグナルを送る。そのシグナルとは、喉にくぐもったような甘ったるい声を上げながら、体全体の羽を膨らませて、自分を大きく見せようとすることだ。これは、オスがメスを見て魅力を感じると男根を怒張させる人類の場合と非常によく似たパターンと言える。人類の場合はいまさらいうまでもないが、鳩の場合には、メスは簡単にオスの求愛を受け入れない。だからオスの求愛行動は、年がら年中にわたり、しかもかなりハードな試練になっているようだ。運よくメスに受け入れてもらえると、メスの方がオスに餌をねだる仕草をする。するとオスがメスに対して口伝いに餌を与える。なんどかこの仕草が繰り返されたあとに、オスは無事メスの背中に飛び乗って交尾に及ぶというわけだ。
一般に鳥の仲間は夫婦仲がよいといわれるが、鳩の場合には、夫婦らしいのは交尾が終るまでの間で、交尾が終るとさっさと別れてしまう。それが我々人間の目にも至極ドライに映る。
カルガモの成長の話が、いつの間にか鳩の求愛の話になってしまった。
名古屋では、昨日から梅雨にはいったという。先週、鶴舞公園に散歩にでた。
晴天に輝く太陽は、夏を送り込み、世界を支配し始めているように思えた。
木々の枝葉は広がり、ますます緑の濃さをました。朱く咲くさつきも衰えを見せている。
花ショウブが一面に咲き、色とりどりの妖艶な姿で私を魅了する。
薔薇園のばらが咲き乱れ、その香りが微風に散じて、公園に満ちている。
私は公園の木陰のベンチで家から持参のおにぎりを広げる。すると、雀たちが五、六羽ほど私のほうに近づいてくる。おにぎりのご飯粒をやると、大急ぎでそのご飯粒を食べる。粘着く米粒を木の枝で嘴をしごいている雀もいる。
米粒のご飯を子雀に与える母雀(?)がいる。私のおにぎりがなくなるのを見届けると
雀たちは飛び去った。昼下がりの静かな公園のひと時であった。
散歩にでかけ、愛らしい生き物に出会うと嬉しくなる。
小鳥来る音うれしさよ板びさし 蕪村
2017/6/8 服部