木田元「ハイデガーの思想」

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木田元はハイデガーの日本への紹介者として知られる。ハイデガーの紹介といえば、ハイデガーに心酔するあまり、ハイデガー流の難解な言葉を駆使してその思想を賛美するか、あるいはハイデガーのナチス加担という事実をもとに、一方的な批判をするか、そのどちらかに偏ることが多いのだが、木田はどちらか一方に極端に偏ることなく、比較的バランスよくハイデガーを紹介してきた。しかも哲学の素人でも理解できるような平易で、わかりやすい言葉で。そういった点では、非常にすぐれた紹介者と言えよう。

木田はハイデガーについての本をいくつか出しているが、岩波新書の一冊として出した「ハイデガーの思想」は、もっともバランスがよく、ハイデガーの思想を巨視的に俯瞰できるようになっている。バランスがよいというのは、ハイデガーの哲学史上の位置づけを明らかにする一方、ナチス加担に見られるハイデガーの人間性のゆがみにも触れているということだ。ハイデガーのナチス加担については、木田は弁護の余地はないといって厳しく批判しているし、ハイデガーのそうした政治的行為は彼の卑小な人格に由来しているというような厳しい言い方もしている。たとえば、「表向き親交を結びながら蔭で相手を裏切るという~ヤスパースがいく度もこういう目にあったと言っている~ハイデガーの人柄の一端がうかがわれる」といった具合だ。

そう言いながらも木田は、ハイデガーのナチス加担には彼なりの必然的な動機があったのだろうと推測してもいる。木田が推測するところ、ハイデガーは「存在と時間」の時期以来一種の文化革命の理念を抱いており、その理念をナチスの文化理念と重ね合わせることで、「あるいはナチズムを領導しておのれの文化理念に近づけうると夢想した。その心理は理解できるように思う」と言うのだが、もしそうなら、ハイデガーのナチス加担は確信犯的な行為であったことになり、余計に悪質だとも言えるのだが、木田はそこまで言ってはハイデガーに対して酷すぎると考えているのだろうか。それ以上突っ込んで言及することはしない。ただ、「彼がファシズムに加担したことと、その加担に際して必要以上に思い上がった言動が見られたり、卑劣な言動が見られたりするということとは区別して考える必要がありそうである。後者は彼の卑小なパーソナリティに由来するものであって、別に理解してやる必要はない。嫌悪すればよいだけのことである」と言うのみである。

ともあれハイデガーは、1934年以降はナチスと距離をとるようになる。それは自分の文化理念がナチスのそれと相容れないことがわかったからだろうと木田は推測する。ハイデガーが自分の文化理念との間に共通性を感じていたのは、ナチスの中の突撃隊の主張する理念であって、これが親衛隊によって粛清された後は、ハイデガーはナチスに親近感を持たなくなるようになり、おのずから距離を置くようになったと木田は言う。もっともそうだからといって、ハイデガーのナチス加担の事実が免責されるわけではないだろうが。

以上は、ハイデガーの政治的行為についての木田の厳しい評価であるが、一方、ハイデガーの思想上の位置づけについては、木田は非常に高く評価している。西洋哲学を根本から再構成しようとする歴史的な試みを行った偉大な思想家だ、と言わんばかりである。西洋哲学というと、それは西洋の哲学というにとどまらず、哲学そのものを意味している。何故なら本物の哲学は西洋にしか生まれなかったし、その展開も西洋の内部で行われた。それ故、哲学という言葉と西洋哲学という言葉は同義なのだ、とハイデガーは言うわけであるが、木田もそれについて反論していないから、そうだと同意しているのだろう。そんな西洋哲学即哲学を、哲学とは本来無縁の日本人にわかりやすく紹介しようというのが自分のささやかな役割だ、と木田は割り切っているのかもしれない。

ハイデガーのやった仕事を、木田はおおよそ次のように整理している。デカルト以来哲学は存在を忘却してきた。だが哲学というのは、ギリシャで産声を上げたときには、存在についての驚きの感情から出発したのであるし、その後も存在とは何か、を中心に展開してきたように、そもそも存在についての問いなのだ。ところが、デカルト以来哲学はこの根本的な問いを忘れてしまった。だから自分(ハイデガー)は、再び存在への問いという哲学の原点にかえり、哲学を存在の学として再構成するのだ。だがその場合、この存在という概念は、プラトンやアリストテレスによって深められた存在論にそのまま立脚することはできない。彼らの存在論は、存在についての一面的な見方に立っている。それ故、存在についての見方を改めて、真の存在論を展開する必要がある、と言うのである。

ギリシャの存在論については、それ自体が膨大な問題領域を抱えており、議論し出すとキリが無いので、木田は一応それを、「存在=現前性=被制作性」という概念セットで整理したうえで、それにハイデガーは「存在=生成」という概念セットを対立させた、とする。この「存在=生成」というアイデアは、ニーチェの思想に深く影響されたものである。

この新しい存在概念を以て、ハイデガーは存在の歴史としての西洋の哲学の歴史を再構成しようとした、そう木田は結論するのだが、しかしその試みは必ずしも成功しなかった、と批判する。そのためハイデガーの存在論は、存在なき存在論と呼ばれるのだというわけである。その辺の議論はかなり錯綜しているので、ここではこれ以上触れないが、一つだけ、木田が「存在と時間」を未完の作品であり、しかも挫折した試みだったとする点について触れておきたい。

木田の推測によれば、ハイデガーは「存在=生成」という存在概念を構成した上で、この概念を導きの糸としながら西洋の哲学の歴史を再構成しようとした。それ故「存在と時間」もこの存在論の歴史が本体をなすはずであったが、ハイデガーは存在論を展開する前に、「存在=生成」という存在了解がどのようにして成立するのかについて、明らかにしようとした。その存在了解は当然人間=現存在を場として成立する。だからまず現存在分析を予備手続として行い、そこで成立した存在了解をもとにして、哲学史を再構成したい、そうハイデガーは考えていたのだろうと木田は推測するのである。だが、「存在と時間」はこの現存在分析で終わってしまい、本体であるはずの存在論の歴史の再構成にまでは至らなかった。そこにはある深刻な理由が介在したのだろう、そう木田は言って、「存在と時間」が中途で放棄された未完成の作品だと断言するわけである。放棄された部分についてハイデガーは。「現象学の根本問題」で取り上げたりもするが、やはりうまく行かなかった。それはやはり、ハイデガーの中で、存在了解について自分なりに納得でききないものが残ったからだろうと木田は推測し、その納得のいかない部分が、ハイデガーに「思索の転回」をもたらしたのだと見ている。この転回以降、後期ハイデガーと呼ばれる思想の営みが始まるというわけである。

以上、かなり複雑なハイデガーの思想の体系を、木田はかなりわかりやすく描いて見せてくれる。これはなかなか出来ないことで、敬服に価すると言えよう。







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