独逸四方山紀行

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(ベルリン、アレクサンダープラッツのマルクス・エンゲルス像前にて)

昨年の正月に四方山話の会に加わった際、会のメンバーのうち石、浦、岩、七谷の諸子が二週間かけて中欧の諸都市を歩いたという話を聞いた。彼らがその旅行をしていた丁度その時、小生は親しい男と二人でイタリアの街を歩いていたのだった。そこで、俺たちがイタリアの陽気な街を歩いている時に、君たちは中欧の陰気な街々を歩いていたわけだと冷やかしたところ、いやそんなことはない、なかなか面白かったし、色々な知識を得られたという点で有意義でもあったと反論された。そこで、互いに旅行の手柄話をしあっているうちに、イタリア組と中欧組とが合同して、ひとつドイツにでも旅しようじゃないか、ということになった。その結果、今回こうしてドイツに旅行することになったわけだ。


イタリア組といっても、実質は小生一人である。その小生が、中欧組の四人と一緒になって、五人でドイツを旅しようという計画から始まった。しかし、計画を詰める過程で、石子が脱落した。計画している丁度その時期に、石子は石子で別の旅行をするつもりだというのだ。それには、さる女性を伴うというので、他の連中は石子の再婚旅行なのだろうと悟った。残りの四人は、計画の時期をずらしてでも一緒に行こうよと誘ったのだったが、老い先の短い身としては、行ける時に行っていた方が得策だという判断になって、とりあえず別々に旅することとなった。かくして今回のドイツ旅行には、七谷子を団長として、浦、岩、小生を併せ、四人で行くこととなった次第だ。

前回の中欧旅行でもそうだったようだが、旅の計画から交通機関やホテルの予約まで、手配一式を七谷子が引き受けてくれた。旅行会社を通さずに、すべて七谷子が直接手配したのだった。そのおかげで、費用はかなり安く収まったし、また自由に行動できるよう、しかも無駄のない計画を組むことができた(その結果無理も生まれたが)。そんなわけで今回は、何から何まで七谷子まかせで、他の三人は大船に乗っている気分でいることができた。昨年中欧旅行の話を聞いた時には、浦子らが自分らは何もしないですんだなどと気楽なことを言うのに、あきれたことを覚えているが、何のことはない、今回は自分自身も気楽な立場になったわけだ。

ヘルシンキ経由でベルリンのテーゲル空港に行き、ベルリンに三泊、その後ハンブルグとカッセルにそれぞれ二泊、最後にフランクフルトに一泊という計画だ。ベルリンとハンブルグでは市内観光、カッセルではドクメンタという行事(芸術祭のようなもの)の見物、フランクフルトではライン川の観光船に乗ってローレライを見物する。そのほか、オペラを楽しんだり、ナイトクラブでくつろいだりする心づもりだ。ベルリンのホテルは、アパルトメント形式だというが、これは七谷子おすすめの特製メニューだ。

いよいよ出発という日の二日前、石子からメールがあって、自分はこれからヨーロッパ旅行に出発すると言ってきた。その際に、ヘルムート・コールが死んだことに言及し、ドイツではコールがどのように思われているか、よく調べて、あとで教えてくれと言う。コールは、ドイツ統一の立役者であり、またドイツの独立と自主性を追求した人物だ。ドイツは日本と同じく敗戦国ではあるが、日本がいまだに戦勝国たるアメリカに屈従しているのに比べると、ドイツの誇りを貫徹した政治家だ。その点では、日本の政治家とは幾重にもスケールの違いを感じさせられる。

小生は日頃、旅行をするとだいたい旅行記のようなものを書いてきた。今回も書くつもりだ。もとより備忘が目的で、他人様の機嫌を伺うつもりはないのだが、多少は文辞に綾をつけようという魂胆があって、規模の大きな旅行、とりわけ海外旅行については、つたない文語で以て記してきた。今回もその例に倣おうと思う。そこでいよいよ旅行記にとりかかる段となったいま、その旅行記を独逸四方山紀行と名づけたい。四方山というのは、四方山話の仲間とともにする旅という思いを盛り込んだものだ。もとよりつたない文章を以て、老耄の思いを語るわけであるから、読者諸兄の軽蔑にしか値せぬことは論を待たない。そこをなんとか大目に見てもらって、もし読んで下さるなら、読んでいただきたいと思う。





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