ベルリンへ:独逸四方山紀行

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(ベルリンの宿泊先アパルトメント前にて)

平成廿九年六月十九日(月)晴。七時半に家を出で、新鎌ヶ谷北総線経由にて成田空港に赴き、九時近く第二ターミナル駅三階ロビーにて七谷、浦、岩の諸子と会ふ。ロビー内の銀行にて両替をなすに、一ユーロ約百二十八円のレートなり。チェックインしてコーヒーをすすりつつサンドイッチを食ひ、十一時近く飛行機内の座席につく。飛行機はフィンランド航空AY074便十一時発ヘルシンキ行なり。十一時十四分に離陸す。離陸後ややして左手下方に富士の頂上雲を突いて露出するを見る。その後、新潟上空にて日本海に出で、ヴラヂヴォストーク東方にてロシア大陸に入り、シベリア上空を飛び続けたり。十二時五十分頃及び十九時頃食事の提供あり。ビールと白ワインを飲みつつ食ふ。また成田にて買ひ求めし日本酒を飲みたり。

フィンランド上空に差し掛かるに、眼下に大小夥しき数の湖とそれらを囲む森林を見る。その光景たるや頗る幽邃なり。二十時五十分(現地時間十三時五十分)ヘルシンキ空港に着陸す。ここにてヨーロッパへの入国手続をなし(すべて機械式なり)、ベルリン行へ乗り換ふ。空港ロビーにて両替レートの情報を見るに、一ユーロあたり、買ひは百三十八円、売りは百七円なり。成田に比すれば手数料の割合大なりといふべし。

ヘルシンキ十七時発フィンランド航空AY917便に乗る。フィンランド時間十七時十分に離陸し、同十八時四十五分(ドイツ時間十七時四十五分)ベルリン・テーゲル空港に着陸す。空港周辺は、ベルリン市街地に接するなれど、広大な田園風景拡がり、大都市の一部とは思はれぬなり。

空港よりバスに乗り込み、ユングフェルンハイデにて環状線電車に乗り換へ、更にシューホイザーアレにて地下鉄に乗り換へ、ゼーネフェルダープラッツ駅にて下車す。アレクサンダープラッツより二つ手前の駅なり。空港よりここまでタクシーにて短時間の距離なれど、谷子が言ふには、ベルリンの公共交通を諸君に味あはしむるなりと。どの線にても切符の改札をなさず。さればプラットフォームは直接外界と接しをるなり。いささか驚きに耐へたり。

宿は地下鉄駅のすぐ近くにあり。いはゆるホテルにあらず。普通のアパルトメントを旅行客用に転用せるなり。したがってホテルらしきサービスは一切なし。単に寝るためのベッドを提供するのみなり。谷子携帯電話にて到着を告ぐるに、管理人らしき男(三十台の大男なり)現はれ、余らを寝室に案内す。かなり古びたる建物にて、外壁の損傷激しく、扉の如きは鍵も締まらぬ始末に加へ、無様に落書せられてあり。このアパルトメントに限らず、ベルリン市街の建物には落書を施さるるもの多し。

谷子の事前の心つもりにては、部屋はリビングルームのほかに四つの寝室を有し、それぞれ我々一人一人を収むるはずなりしが、実際には三つの寝室を有するばかりなり。部屋割りを相談したるところ、余と浦子にて相部屋せんとも話せしかど、岩子がリビングルームのソファに寝ねんと申し出で、その他はそれぞれ一部屋づつ占有することと決す。いづれの部屋もツインベッドを装備せり。余は二つの通りに面せる奥の角部屋を占有す。

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ひと段落の後、アパルトメントを出でて付近を散策。東の方向へ進みてコルヴィッツ通りを歩み、ケーテ・コルヴィッツの旧居跡を訪ねて後、コルヴィッツプラッツに至る。ケーテ・コルヴィッツとは、谷子によれば、第二次大戦中ナチスによって迫害せられたる人々に手を差し伸べ、自らもナチスに迫害せられて大戦末期に死したる芸術家なる由。

コルヴィッツプラッツの一角にケーテ・コルヴィッツの銅像設置せられてあり。その像の傍らに姉妹と思しき少女二名遊びゐたり。上は十五歳ほど、下は五歳ほどなり。谷子彼女らに向かってケーテ・コルヴィッツを知れるや否や問ふたるところ、無論知るところなりと答ふ。しかして銅像の一隅を指差しぬ。近寄り見るに、ケーテ・コルヴィッツの足跡を記してあり。ケーテ・コルヴィッツはかかる少女にも知られをるなり。

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ついでクルトゥーア・ブロイエライなるものを見物す。ブロイエライとは、中小のビール蒸留処を集約せるものにて、広大なる敷地を有す。東西ドイツ統合後一時衰退し、空家になりたるところを青年たちに占拠せられ、青年文化発信の拠点となれる由。

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そこよりタクシーに乗り、谷子推奨のドイツ料理屋に行く。ホーゼマンス・シュトラーセに面せるツーア・ハクゼといふ店なり(ゼーネフェルダープラッツより北東数キロの所)。ここにて、白アスパラガス(シュパーゲル)の料理を食ふ。日本にて見るアスパラガスとは異なり、太目の牛蒡の如き外観なり。これを茹でてジャガイモを添へたるばかりの簡素な料理なれど、味なかなか美なり。ビールとワインの量進みたり。

この店を辞せしはすでに十時過ぎのことなれど、未だ日没せず。ドイツにては黄昏時が長く続く由なり。タクシーを雇ひてゼーネフェルダープラッツに戻り、駅付近のスーパーマルクト・レーヴェにて買物をなし、十一時過アパルトメントに帰る。疲労甚だし。





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