四季の歌:万葉集を読む

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万葉集巻八は、春雑歌、春相聞という具合に、春夏秋冬の季節ごとに雑歌と相聞歌とに分けて配列されている。この季節ごとの分類は巻十にも採用されている。両者の違いは、巻八が作者のわかっている歌を制作年代順に並べているのに対して、巻十のほうは、作者未詳のものを、テーマ別に並べていることだ。そのテーマというのは、春雑歌の場合には、鳥を詠む、霞を詠む、という具合に季節の景物に即したものであり、春相聞歌のほうは、鳥に寄する、霞に寄する、という具合に、季節の風物にことよせて恋を詠ったものである。

これに似た分類は巻七にも伺える。巻七は、雑歌と比喩歌に別れているが、雑歌のほうは、天を詠む、月を詠む、という具合に季節の風物に即して季節感を歌ったものを並べており、比喩歌のほうは、衣に寄する、玉に寄する、という具合に、季節の風物にことよせて恋を歌ったものを並べている。比喩歌とは言っているが、実質は恋の歌である点は、巻十の恋の歌と全く同じことわりなのであり、当時の相聞歌の中核が比喩歌であったことを物語る。万葉の人々は、恋の気持をストレートに表出したのではなく、風物にことよせて、それとなくほのかに歌ったのだといえる。

歌集の歌の配列を、季節ごとに分けて並べるというのは、古今集以来の日本の歌集の伝統である。単に季節感を盛り込んだ歌を季節ごとに並べるだけではない。恋の歌にしろ、ほかのジャンルの歌にしろ、日本の詩歌には季節感を盛り込んでいない歌を探すのが難しいほど、詩歌と季節は深く結びついている。

こうした伝統は俳句にも受け継がれ、詩歌以外の文芸ジャンルにも影響した。近代小説でさえもが、季節感にあふれた作品が多い。日本人の心に染み渡った季節の感覚が、そういうものを求めさせ、作家たちもそれを強く意識するからであろう。

以上述べた歌と季節との深い結びつきが、すでに万葉集に現われていたということだろう。日本人は、万葉の時代から、季節を強く意識しながら生きていた民族だということを、これは物語っているのだと思う。

万葉集はまた、恋の歌を多く収めている。古今集の分類が四季の歌の後に恋の歌を置いているように、四季の歌と恋の歌は日本の文学的伝統の二本の太い葉脈のようなものといえるのだが、それが万葉集の中ですでに形となって現われているわけである。

恋の思いは人類に普遍的な感情であるから、どの民族の文学も恋を取り上げたものが中心となる。だが万葉の時代の日本人は、どの時代のどの民族よりも恋を詠うことが好きだったようだ。古今集時代以降の日本人と比べても、恋を詠うのが好きなように見える。これにはおそらく、歴史的・社会的背景が働いていたのだと思う。

万葉の時代の婚姻は、妻訪婚といって、男が女の家に通い、一夜を共にしたあと、夜明けに辞去するというのが普通だった。いまのように年中一緒に暮していたわけではなかった。そこで男女の間に、お互いの気持を確かめ合う必要が生じた。その手段として、当時の人々は歌を用いた。だから歌は、基本的には男女の間のコミュニケーションの回路だったわけである。男も女も歌を通じて自分の気持を相手に伝え、そのことで愛を確かめ合ったり、必要な情報を交換したりした。歌を詠むことは日常生活の不可欠の要素として組み込まれていたのである。歌を詠めない者は、おそらく恋もできなかったに違いない。

久しぶりにこのサイトで万葉集を取り上げるについて、今回は、四季の歌、恋の歌、というキーワードを軸にして、万葉の歌を楽しんでみたいと思う。






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