梅を詠む:万葉集を読む

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梢に高く咲く花のうちで万葉の人々がもっとも愛したのは梅だったようだ。というのも、万葉集には梅を歌った歌が百二十首も載せられており、これは花を歌った歌としては萩についで多い。桜を歌った歌は四十首ばかりだから、それと比べても、いかに梅が愛されていたか推測される。何故万葉の人がかくも梅を愛したか。民俗史的な関心を引くところだが、考えられるのは、梅が春の訪れを真っ先に知らせる花だということ、そして梅の花から漂い来る香が、万葉の人々に訴えたのだろうということだ。日本人は古代から、香に敏感な民族だ。

梅を歌った百二十首の歌のうち、三十首あまりが、巻五の中で梅花の歌三十二首として収められている。これは天平二年の正月に、大宰府の大伴旅人の邸宅で開かれた新年の宴で、出席していた三十二人の客がそれぞれ梅を歌に詠んだものだ。当時の人々の梅についての感受性が伺われるものとして、民族史的にも興味深いものである。その歌のなかでひときわ目を引くのは、山上憶良の次の歌だ。
  春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ(818)
これは、春がくると真っ先に咲くのが梅の花だと歌っており、梅が春の到来を知らせるメッセンジャーのようなものとの意識があったことを思わせる歌だ。なお、この歌は、折角咲いた梅の花を一人で見るのは味気ないと歌っているわけだが、それは、妻を失って間もない旅人への、憶良の気遣いが込められているのだろうと解釈される。

主人の旅人は次の歌を詠んだ。
  我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(822)
我が園に梅の花が散りしきっているが、それは空から雪が降ってきたのだろうか、といって、梅の花の散るさまを雪の降るのに喩えている。梅は春を告げる花ではあるが、新暦では一月中から咲く。それは旧暦ではまだ冬の間のことであるし、そんなことから梅と雪が自然に結びついたという背景がこの歌には働いているのだと思う。この宴は、新年に開かれたわけだが、旧暦の正月には雪が降ることも多くあったに違いない。そんなわけで、梅の歌を冬の雑部に載せているものもある。

次の歌はその一例、巻八冬の雑歌に収められた梅の歌である。
  引き攀じて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも(1644)
枝を引きよじって花をとろうとすると散ってしまうだろうから、花をこきむしって袖の中に入れよう。袖が花にしみても気にはしない、と歌ったものだ。これは、梅の花の形を愛でるのではなく、その香を楽しんだのだろうと思われる。染むとは、色が染みるというより、香りが染みるということではないか。

大伴旅人は、個人的にも梅が好きで、都の自分の屋敷の庭にも梅の木を植えていた。その梅を詠んだ歌がある。
  吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る(453)
これは大宰府勤務を終えて故郷に帰って来たときの歌である。大宰府に発つ前に、妻と一緒に植えた梅の木を、今は自分ひとりで見る。すると妻が恋しくなって、涙が流れるのだと、男泣きをしているさまを歌ったものである。死んだ妻が恋しくて涙が流れるというのは、いかにも優男を思わせる。こういう歌は、万葉の時代以降には見られなくなったもので、万葉の時代の日本人の素直な心ばえを感じさせる。もっとも、大伴旅人という人の個性もあるのだろうが。

梅の木を自分の手で植えて、やっと咲いた花を愛でる歌もある。中納言阿倍広庭卿の次の歌だ。
  去年の春い掘じて植ゑし我がやどの若木の梅は花咲きにけり(1433)
昨年の春、掘り起こして植えた我が家の梅の若木がやっと花を咲かせたよ、と歌ったものだ。い掘じてのいは接頭語。い掘じてで掘り起こしてという意味。庭を掘り起こして植えたとも、野原を掘り起こし移し植えたとも読める。大伴旅人に限らず、樹木を自分の屋敷の庭に植えて楽しむ造園趣味が、この時代に普及したいたことを思わせる。

万葉の時代には、梅の花を酒盃に浮かべる風習があったようだ。大伴坂上郎女の次の歌が、そんな風習の趣を感じさせてくれる。
  酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし(1656)
梅の花を杯に浮かべて皆で飲もう、飲んだ後なら花が散ってもよい、と言う趣旨だ。杯に菊の花を浮かべるのは中国の重陽の節句の風習だが、梅の花を浮かべることにはどんな背景があるのか。

梅の花ではなく実を歌っためずらしい歌もある。
  妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ(399)
あなたの家に咲いている梅の花が実を結んだときには是非思いを遂げてみたいものです、という歌だが、ここでの思いを遂げるとは、相手と結ばれることのようだ。実を結ぶを、人と人とが結ばれることと解したわけであろう。歌手は藤原八束。






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