木田元「わたしの哲学入門」

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木田元の「わたしの哲学入門」は、生涯をハイデガーを読むことにささげたという木田が、そのハイデガーの視点から西洋哲学の歴史をたどったものだ。なぜそんなことが可能かといえば、ハイデガーには、西洋哲学の歴史を解体しようとする強い意志があって、それを実現するためには、西洋哲学史についての、一貫した見方を持たねばならない。その見方は、西洋哲学をトータルに展望するものとなるはずなので、それを腑分けしていけば、おのずから西洋哲学史について俯瞰することになるわけである。

実際、木田が言うように、ハイデガー自身筋金入りの西洋哲学史研究者であったわけで、彼ほど西洋哲学の歴史に精通しているものはないといってよい。そんな男に寄り添いながら西洋哲学史を俯瞰すれば、自ずから西洋哲学入門のような効果が期待できる。そう木田は考えたというのだが、この本はそんな木田の考えを十分証明する役割を果たしたと言えるのではないか。この本を読めば、ハイデガーの問題意識がわかりやすく解明された気になれるし、またそのハイデガーの問題意識にそって西洋哲学史を学ぶことができる。ハイデガーについて批判的な人にも、十分ためになる本と言ってよい。

この本での木田の議論の進め方は、まず何故自分がハイデガーにいかれてしまったか、その個人的な事情の説明からはじめて、ハイデガーが自分の期待にたがわぬ壮大な思想を展開したとして、その思想のあらましを俯瞰し、その思想にもとづいて西洋哲学の歴史をたどり、それを通じて哲学の本質について考えようとするものだ。木田が持ち出すテーゼは、ハイデガーは存在への問いに生涯こだわった思想家であり、また西洋哲学の歴史についても、それを存在論の歴史として捉えた、というものである。

もっと踏み込んで言うと、西洋哲学史というのは、形而上学の歴史であった、ということになる。形而上学というのは、プラトン・アリストテレスによって確立され、その後中世のスコラ哲学によって洗練され、近代以降はデカルト、カント、ヘーゲルといった西洋哲学の主流の考え方を支配してきた。その考え方をごく簡略化していうと、存在を事実存在と本質存在に文節化したうえで、本質存在を事実存在に優越させる考え方である。そしてそのような考え方が成立した背景には、存在者を被制作物として捉える見方があった、というふうに見る。

こうした形而上学の考え方に対して、反旗を翻したものがないわけではなかった。その代表はニーチェだ。ニーチェは、神は死んだ、と言ったが、ここで言われている神とは、西洋の思想を2000年以上にわたって呪縛してきた形而上学的な考え方だということになる。ニーチェは、プラトン以前のギリシャの思想に関心を示し、プラトンによって確立されたイデア論的な形而上学を転覆し、プラトン以前の素朴な存在論に回帰しようという問題意識を提示したが、その企ては中途半端に終わったとハイデガーは言う。ニーチェならずとも、すでにアリストテレスが、本質存在に対する事実存在の優位という形で、プラトン的な形而上学を克服する動きを見せていたとハイデガーは言うのだが、ニーチェ同様アリストテレスも、所詮プラトンによって確立された形而上学的な思考の外に出ることはなかった。

こんなわけで、ハイデガーは、西洋の哲学の歴史を形而上学の歴史として捉えたうえで、存在への問いという形をとる哲学の本当の問いに答えるためには、この形而上学を転覆して、存在についての正しい見方を確立しなければならないとした。それはどういうことかというと、プラトンによって確立された形而上学的な見方、つまり存在を本質存在と事実存在に分節し、本質存在に優越的な地位を与え、事実存在には、アリストテレスのいう質料としての役割に甘んじさせる、というような見方を転覆して、存在についての見方を、プラトン以前の素朴な見方に立ち戻させることだという。その見方とは、存在を生成する自然として捉える見方である、哲学的に言えば、存在を形而上学成立以前の原初の単純な姿に戻らせることだというわけである。

こう捉えると、ハイデガーが抱いていた構想が、実に壮大なものだということがわかろうというものだ。木田はそうしたハイデガーの壮大な構想を追体験するような形で、西洋哲学の歴史を読み解こうとする。その読み解きのプロセスから、哲学とはなにか、という問題意識への回答も見つかるだろうというわけである。その回答をごくかいつまんで言えば、西洋哲学の歴史は、ソクラテス・プラトン以前の素朴な存在論、それは自然についての考察という形をとったわけだが、そうした存在論から出発しながら、プラトンによる形而上学の確立によって、存在が原初の単純なあり方を失って、本質存在と事実存在に分裂し、イデアとしての本質存在が単なる質料としての事実存在に優越することで、自然が単なる物質として貶められる結果となった。西洋近代の物質文明は、その延長として必然的に生じたものである。いまやその物質文明に行き詰まりが見えてきた。それを打破する為には、物質文明を背後で支えている形而上学的な存在の見方を転換させなければならない、ということになるわけだ。

こうした問題意識に立ってハイデガーが提起するのは、存在即生成する自然という見方である。形而上学的な存在の見方は、イデアとしての永遠普遍な存在を本質的な存在と見るわけだが、ハイデガーの提起する新しい見方によれば、存在は、一瞬も静止することなく、たえず生成変化する自然である、ということになる。つまりハイデガーにあっては、存在は静止して存在する「ある」という形から、絶えず生成変化するものとしての「なる」という形へと転換されるわけである。

西洋哲学史のうえでは、ハイデガーの打ち出したこの転換は、歴史の赴く方向を変えようとする壮大な試みとして映るのだろうが、我々日本人には、そんなにものめずらしくは映らない、と木田は言う。木田は、丸山真男の「歴史意識の古層」での議論に言及して、我々日本人には、古事記の「あしかびのもゆるがごとき」自然観というものがあった。つまり我々日本人は、そもそもの太古から、存在の本質を生成する自然として捉えてきた。西洋人のように、存在を、イデアのような永遠不変の静止したものとは思わなかったのである。西洋の言葉では、どの国の言葉でも、本質存在などというが、そもそも本質と存在とを結びつけることが、我々日本人には目障りに映る。ただの本質ですむところを、なぜ存在をくっつけて、本質存在というのか。だが、それは言葉の成り立ちが影響しているのであって、西洋語の本質(エッセンシア)という言葉には、存在(エッセ)という語がそもそも含まれている。だから、西洋語では、有無をいわさず、本質と存在とが結びつく、というわけである。

言葉が思想を制約するというのは、わかりやすい道理である。西洋では、言葉のうえで、本質と存在とが結びついていたがゆえに、本質こそが存在の本来のあり方だと思われたのだろう。そう思われたことが先になって、存在の内部で本質存在と事実存在の分裂が起こったのだろう。その分裂を解消し、存在を原初の自然な形で捉えようというのが、ハイデガーの悠遠な構想なのである。

ところが我々日本人にとって、存在というのは、ものの「なにかであること(=本質存在)」というよりは、もの「があること(事実存在)」として、もともと捉えられてきた。だからいまさら事実存在が本質存在に優先するとか、存在の事実存在と本質存在への分裂を解消して、存在を原初の単純な姿に立ち返らせようといわれても、なにかぴんと来ないところは、木田が指摘するように、ある。






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