(中部ドイツの田園地帯)
列車はカッセル十四時三十七分発のチューリッヒ行なり。車窓より田園地帯の様子を見るに、麦畑と喬木の森こもごも相半ばす。喬木には幹の曲がれるもの多し。和辻哲郎の風土論には、ドイツの森林の樹木は、一様に真直ぐ天を向くとあり。その理由は、ドイツの森には強風の吹くことなきが故とありしが、ここ中部ドイツの森には、強風の吹きつけることあるにや、樹木は一様に真直ぐ天を向くことあらざるが如くなり。
また、集落は喬木の森林の影に隠れるやうにしのびやかに点在す。赤色の切妻屋根と白壁が特徴なり。田園といひ、小規模なる集落といひ、のどかな光景といふべし。
十六時十分フランクフルト着。駅前のホテル、エルシオールにチェックインす。このホテル顧客の多くが東洋人といふ。ツインルーム一泊六十二ユーロは格安といふべし。部屋にて一憩し、十七時にホテルを出づ。まず駅構内のライゼ・ツェントルムに立ち寄り、明日の切符を買はんとするに、ローカル線のこと故指定席はなし、切符は明日自動販売機にて買ふべしと言はる。
やがてレーマー広場に至る。旧市街地の中心部なり。広場を囲んで、ラートハウスやら中世風の建築物建ち並びたり。最もドイツらしさを感ぜしむる眺めといふ。ラートハウスは、ハンブルグはもとより、カッセルに比較してもはるかに地味なり。
広場よりやや隔たりたる一角に一の教会風建築物あり。ナチスの蛮行を記念せるものらしく、壁の一角にナチスゆかりの都市の名を列記せり。また、この広場の近くにはゲーテの生家を博物館として開放する施設あれど、すでに閉館したれば訪れずして止む。
ゲーテはいふまでもなく、フランクフルトにて生まれ、青少年時代の大部分をこの町にて暮せしなり。そのゲーテにフランクフルトを直接歌ひし詩は思ひ当たず。フランクフルトなる自宅の庭に生えたる銀杏の木の葉を歌ひしものの一節を思ひ浮かべぬ。次の如し
これは はるばると東洋から
わたしの庭に移された木の葉です
この葉には 賢者の心をよろこばせる
ふかい意味がふくまれています
これはもともと一枚の葉が
裂かれて二枚になったのでしょうか
それとも二枚の葉が相手を見つけて
一枚になったのでしょうか (井上正蔵訳)
レーマー広場を去りて後、アイゼルナー橋を渡ってマイン川左岸、ザクセンハウゼン地区を目指す。アイゼルナー橋の欄干には、夥しき数の鍵結束せられてあり。ハンブルグのランドゥスブリュッケと同じ眺めなり。こちらの方が、橋の大きさに比例してより大規模なり
マイン河畔には半裸の男女甲羅干しをなす。男女とも体格よし。多くの男女刺青をなしてあり。その河畔よりいま来た方角を眺め返せば、アイゼルナー橋を距ててフランクフルトの旧市街はるかに見渡されたり。大聖堂のシルエットも美しく見えたり。
ザクセンハウゼン地区の一角なる酒場ツム・ゲマルテンハウスを探す。なかなか見当たらず。数名に聞いて後、ある老人に聞くに、なつかしそうな表情を呈せらる。彼の細君日本人にして高橋といふ由。自身もかつて日本に滞在せしといふ。ドイツ人にしては小柄な老人なり。
ドイツ人の若者二人組に聞くに、共に歩みて現地まで案内せらる。休業中なり。その隣のアドルフヴァーグナーなる店を紹介せらる。銀座のライオン堂に良く似た雰囲気の店なり。アップルワインと料理数種(ビーフステーク、ポークソテー、シュニッツェル、フンガーリッシュスープ、サラダなど)を注文す。皿ごとにボリュームあり。この店、独逸風縄暖簾ともいふべし。値段はすこぶる廉価にして、メニューは豊富なり。余らの入りて後幾許もせずして、広大なる店内満員となれり。
食後駅方面に戻らんとして道に迷ふ。老女の二人組に聞くに、またもやなつかしさうな顔を呈せらる。彼女ら二十五年ほど前に日本に滞在し、石打にてスキーを楽しみたる由なり。余、小生も石打にてスキーをなせしことありと伝ふ。老女らいよいよ懐かしさうなる表情を呈せり。
十時頃駅に至る。構内売店にて水とブランデーの小瓶を買ひ求め、ホテルの部屋に落ち着く。風呂を浴び、日記を整理して後、ひとりのんびりとブランデーを舐めたり。
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